87話 織田信忠の野望⑥
「ここいらで完了かな」
地面に立てた鍬に寄りかかり、汗を拭くお市。
彼女まわりは見渡す限りの畑。その内訳はサツマイモやトマト、きゅうりなどが二割。後の八割が人畜の食用に供するトウモロコシだった。
これらは昨春、織田家と束の間の休戦状態になっていた頃に、母星イカスルメル星にあるホームセンターから、石灰、堆肥、化学肥料などとともに大量に取り寄せ、蒔いたものだ。
いま、城の敷地内で畑になっていない地面はほとんどないのではないか。というくらい徹底している。
またそれより以前からも、奥屋敷の一部を改装して家畜棟を造り、 城下の牛、豚、鶏を飼ってもいた。他にも、かつては単なる観賞用の池だったところも今やドジョウ、エビ、カニ、貝類などのいけすに様変わりしている。
小谷の城は、自給自足経済が成り立つ小世界にリノベーションしていた。
それではそこに暮らす人の方はどうか。
こちらは元々の身分を問わず、適性を見極め、戦闘要員、農地耕作者、畜産飼育者、水産飼育者、その他管理、庶務的な仕事、奥向きの用務、補助を担当する者らなどに分かれ、おのおの役割りを担っている。子供も例外ではない。親の手伝いや自分より年下の子の面倒を見たり教育を行うなどしている。
「茶々(ちゃちゃ)! お初とお江は?!」
茶々(ちゃちゃ)と呼ばれた幼子は、プチトマトつまみ食いの手を止めて答えた。
「知んなーい」
「わたし、ここだお」
「わっ。近くに居たんだ」
もじもじと体をくねらせ、甘えたようにお市にまとわりつくお初。お江はというと、石積みの上に立って、衛兵ら相手になにやら演説に興じている。
「茶々、お昼にしよう。奥までお江を連行して」
「いえっさ、まーむ」
返事は良かったが茶々は動かない。
「どーしたの?」
「お江、お歌してるなの」
「あー。演説じゃなくってリサイタルだったかー。こりゃカン違いしてたよ」
ひとしきり持ち歌を熱唱し終えたお江は拍手喝さいを受ける中、後ろからお市に抱えあげられた。満足したのかきゃっきゃっと喜んでいる。
「ちょっとナガマサのところに行くから。茶々、二人を連れて先に行っててね」
いっこ年上の茶々に後を託し、足早に詰め所に向かう。呼び出し用の携帯端末が反応したためだ。
ここ半年くらいは織田軍に北近江一帯の基地局を押さえられ、かつては普通に使えていたスマホやインターネットが機能しなくなった。
そこで新たに城内のみであるがネットワーク回線を張り巡らせ、内線活用することにしたのである。
「市か」
「……いよいよなの?」
「とうとう一乗谷館が落ちた。朝倉の兄(=朝倉義景)も自害した」
「ああ……」
お市はしばらくの間、うつむいたまま瞑目した。
「いつまで持つかな、ここ」
「十日ほどか」
「お城にはあと何人くらい残ってる?」
「ざっと三百人だな」
「《あの人》からの返事は?」
浅井長政とお市の投降を条件に、城内すべての者の助命を求めていたのだ。
「浅井久政と万福丸も出頭しろと」
「わたし、もう覚悟は決めてるよ?」
「お前がそこまでする必要はない。オレだけで十分だ」
「ナガマサと一緒に居たいんだよ、わたしは」
「あの世までもか?」
「あの世までも、よ」
「市……」
「おじいちゃんと万福丸のイカスルメル行きのチケットはもう届いてるし。宇宙港まで手引きしてくれる手はずをもう一度確認しておくだけだしね」
そうだなと長政は市の肩に手を置いた。
「ひとつ気がかりなのは茶々たちなんだけど、幾ら何でも悪いようにはされないと思う」
「そう言うがお前、昨日の晩、大泣きしてたじゃないか」
「いやー。《ヒトラー最期の十二日間》って映画観てね、子供たちに毒薬呑ませるシーンあるの。一番上の子がただならない空気を察して『飲みたくない』って愚図るんだ。それが何となく茶々を連想しちゃって……」
父親の影響で多数のDVDを秘蔵している市は、夜な夜な起き出しては独り鑑賞会を催している。よく寝付けないせいもある。
「――えいが、か。ときどき市の言ってる話がよく分からん時があるが、とにかく心配するな。いざとなったら親父らと共に船に乗せればいい」
「そう、だよね」
「お市さま、ちょっとよろしいですか?」
ふたりの会話に割って入ったと恐縮したのか、申し訳なさそうに衛兵のひとりが報告した。
三日ほど前に山中で捕縛し収監している男がうわごとのように市の名前を呼び、会わせろとうるさいと言う。
刺客によくある手だ。構うなと切り捨てる長政だったが、気になった市はこっそり会いに行った。
「この男です」
予想に反して男は老齢だった。
ボサボサの髪の毛は白髪交じりで総毛立ち、着衣は着たきりで汚れがこびりつき、ところどころに何処かに引っ掛けて出来た穴が開いている。いわゆる物乞いの風体だ。
気力が尽きたのか、体力を消耗しているのか、男はボロ雑巾みたいに真ん丸に縮こまって横たわっている。
「ゴハン、ちゃんと食べさせてるの?」
「失礼な。このご時世、三食とはいきませんが朝夕にちゃんと食事は与えておりまする。もっともほとんど手をつけないでござるが」
「うーん……」
やや怯えを含んだ声色で話し掛けると、男はわずかに体を動かした。袖から覗く手足はやせ細っているが案外きれいだと市は思った。
返事が無かったのでもう一度呼ばわる。
「呼びましたか? わたしのコト」
ふ……と頭をもたげた男。
「わたしの声、聞こえますか? わたし、市ですよ? わたしに何か、用なんですか?」
――すると。
突如男の様子が変わった。
「!? ――ふおおっっっ!」
「きゃーッ?」
男が急迫し、格子越しに腕を伸ばした。市に掴みかからん勢いだった。
《何か》に気付いた市がしりもちをついた。
「――お、お兄ちゃん……なの?」




