86話 織田信忠の野望⑤
この時代、山城国南部(=現京都府宇治市)に、巨椋池という広大な湖沼があった。
そこの浮島に構築された要塞、《槙島城》に拠って、万全の戦備を整えた将軍、足利義昭。――そのはずだった。しかし、織田軍の圧倒的な物量と常識外れな電撃作戦に恐れおののいた彼の側近らが、戦わずして次々に投降してしまった。
「ええっ! なんでっ!」
うろたえている間にも、織田の猛者たちが宇治の大河を乗り越え、沼を踏破し、障害をものともせず、たちまち槙島城を取り付き、壮絶な攻撃を加え出す。そしてその先頭には織田信忠がいた。
「狙え、狙えっ! あれが織田の総大将ぞ!」
噂に聞く信長の息子に違いないと踏んだ義昭は、彼への集中砲火を命令した。しかし当の本人はスルスルと矢玉をかいくぐり、一番乗りで城中に飛び込んだ。
「なにをしとるかあ、小僧ひとりに手こずるなあ! さっさとやっちまえ!」
天下の将軍とは思えない罵声である。
かたや織田勢も、主人の狂気じみた率先行動に必死に追いつこうとした。
「若をお守りせよっ! 出遅れて恥をさらすな! 突っ込め、一気に抜けっ!」
織田の大軍が雪崩を打って本城に群がり、敵陣を覆いつくした。
気が付くといつの間にか足利義昭の身辺には護衛の者がいなくなっていた。織田軍の勢いに怖気づき遁走したのだった。
「上さま、いったん引きましょう!」
「ぐぐぐ……! あの小童」
そこへ信忠と、甲冑に身を包んだ大勢の兵士らが踏み込んだ。
「遅いよ。義昭さんの負けだ」
「……ぐ。ち、ちくしょう」
将軍足利義昭は拉致され、そのまま大坂方面に護送された。将軍位ははく奪されなかったものの、幕府公権は完全に失くしてしまった。この後彼は、毛利家を頼って西国に都落ちした。
宇治川の対岸から遠望する秀吉主従。
「――のう、佐吉。信忠さまは、信長さま以上だと思うか?」
「殿はどちらの答えがお望みで?」
「知れたことを聞くなでござる」
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
元亀三年八月――。
将軍、足利義昭の追放からわずか二週間後、浅井の重臣、阿閉貞征が、織田方に寝返った。浅井の本城、小谷城からほぼ真西、琵琶湖岸に接した山本山城の守将である。距離にして四、五キロほどしか離れていない。
その後も連鎖的に月ヶ瀬城、焼尾城が相次いで離反する。
誰の目にも浅井の衰微ぶりが明らかになった。
この機会を捉えた織田方は、信忠少年を筆頭に、丹羽五郎左、木下秀吉、柴田勝家、滝川一益、佐久間信盛など名だたる武将を打ち揃えて北近江に乱入した。今度こそ、この地から浅井を根絶やしにしてやるという意気込みに満ちていた。
かたや、浅井長政から急報を受けた越前の朝倉義景は、重臣筆頭だった朝倉景鏡に救援に向かうよう命じたが、体調不良を理由に出兵を拒まれる。このことから、もはやこの時点で浅井のように朝倉家も、斜陽の陰が色濃く出ていたと言えた。
「致し方なし。ワシが出る」
前回出兵時は二万を下らぬ軍勢だったが、今回は一門衆の魚住氏にも従軍を断られたので、実数五千ばかりの自兵を連れて北陸街道を南下した。
後に賤ケ岳の戦いでも舞台となった余呉、木之本あたりにいったん陣を張った朝倉軍は、想像以上に分が悪い事態になっているを知り、躊躇した。
浅井の居城・小谷城と連携をするため、前回と同様、重要拠点となっている《大嶽砦》に入城し、長期戦に持ち込もうとした。――のだが、信忠に先手を打たれ、進軍に支障をきたす山田山という場所に一足早く、織田の先鋒が陣を張ってしまったのだ。
「浅井と連絡が取れません」
さらに大嶽砦には朝倉の手勢が五百ばかり残存していたが、こちらも浅井の小谷城と同じく、織田の大軍勢によって完全にシャットアウトされてしまっている。
下手をすれば、知らぬ間に大嶽どころか小谷城が落とされてしまい、余勢を駆った織田が朝倉の陣にも殺到してくるかもしれない。
義景にとって、じりじりとした時が流れた。
「引くべきか、留まるべきか」
グズグズと出陣を延ばしていた己が身を後悔した。もう少し早く行動していれば……。
朴訥な浅井長政のカオが頭をよぎった。
姉川の戦いで自ら兵を率いていたら……。
志賀の陣で退かずに粘っていたら……。
和睦の際、長政に賛同し、信長の背を襲っていたら……。
しかし今更過去には戻れない。小谷の長政に詫びることも叶わない。
義景の心内を映すかのように、夕方から急速に天候が崩れ、大粒の雨が降り出した。
「イヤな雨だ」
見る間に山中の陣は豪雨と暴風にさらされ、軒を探してうろつく有様となった。
そのころ。
木下秀吉から遣わされた石田佐吉の献策で織田勢は、風雨に乗じて大嶽砦を急襲し、あっという間に占拠した。
そうして彼の作戦通り、敵兵をわざと朝倉の陣に向けて逃がしたのだった。
「動揺する朝倉を衝き、一気にカタを付ける」
織田信忠少年の眼が爛々と光った。




