85話 織田信忠の野望④
「刺された? 武田が?」
「ああ。傷害事件に巻き込まれたんじゃが、子供にはうまく説明できん大人の事情での。とにかく信玄を失った武田軍は、なすすべなく甲府に引き返しおった」
「あっそ」
帰蝶の報告に織田信忠はそっけない反応をし、まだ食事の途中だと言うのに席を立った。
「お、おいっ。あっそって特に手を打たなくてもいいのか?」
「帰蝶に相談することは何もない」
「へ……?」
いたたまれなくなった給仕係たちは、そっとその場から姿を消す。
「えらく嫌われちゃったの」
帰蝶はショボンとしながら、彼の食べ残しを片付けた。
――武田信玄、イカスルメル星での通称・スケルトンカセット師匠だが、彼は、とある侍女にセクハラを働き、抵抗されたあげく、彼が持っていた短刀を奪われ、それで腹部を刺されたのだった。ただちに母星から警察が駆けつけ、関係者への事情聴取が行われた。
この場合、地球人である侍女の人権などはなくあくまで器物扱いされるが、所有物は彼自身である。一方、被害者スケルトンカセット・信玄の人権や人命保護は認められているため、加害者侍女の凶暴性やイカスルメル人への危害の可能性の有無などを巡り、「殺処分」の是非が話し合われた。
しかし、後ろめたさがあったスケカセは結局、被害届を出さなかった。いや、出せなかったのだ。イカスルメルの女性団体から連日激しいバッシングを受け、ウーチューブが大炎上していた。彼は逃げるように母星に帰り、しばらく世間から雲隠れするしかなくなったのである。
なにはともあれ織田家の最大の脅威だった武田軍の襲来はなくなった。このことにより岐阜、尾張に集中させていた兵団を、いまだ紛争中の伊勢と近江に振り分けることが出来るようになった。
信忠少年の承認を受け、独断専行の軍事行動を行っていた木下秀吉は、本格的に足利将軍の追い落としに掛かった。
このころ日和見のつもりで再び織田から距離を置いていた松永弾正は、将軍足利義昭に急接近し、彼をそそのかして武田の支援を鮮明にさせていた。
「アナタさまが真に天下を取るには、今をおいてしか、チャンスはございませんわよ?」
水運に恵まれ、当時難攻不落と謳われた山城国(=現京都府宇治市)の槙島城に寄った足利義昭は、弾正から耳打ちされてその気になり、武田を始め、浅井・朝倉や本願寺などの助勢を期して織田軍と徹底抗戦の構えをとっていた。
「我が始祖、足利尊氏公は連戦苦杯を乗り越え、最期の大勝負に勝利したのである! 心あるものよ! 正道に仇名す邪なる者どもに、いまこそ鉄槌を加えようぞ!」
ところがそこで武田の高転び事件に直面した。急転直下、彼は孤立への道を深めていく。
「さあ。織田のターンだ」
織田信忠少年は自らの軍を引き連れ、木下秀吉軍と合流する。
佐和山城で待機していた秀吉は、琵琶湖畔に信忠を誘導した。
「織田海軍の創設に向け、試作一号艦が完成しましてござる」
「これか。まずまずの出来だな」
全長三十メートル以上、横幅十メートル以上、こぎ手が百を超える、当時としては驚きの巨艦だった。
「多賀村などから材木を徴収し、宮大工の岡部又右衛門を棟梁に据えて、近江国中の工芸職人を総動員して造り申した。大輸送船でござる」
「よくやったよ。関連地域は無税にした上で存分に褒美を与えてやれ。さあ、京に向かうぞ!」
「おおっ」
続々と兵が船に乗り込む。その周囲にも無数の早舟が用意されていた。
信忠自身は父信長が愛用していた水陸両用車に秀吉と共に搭乗する。
「将軍を粉砕した後は、浅井お市の番だ。パパ上をさんざん苦しめた女!」
「恨んでござるのですか?」
「母上を早死にさせ、パパ上を引きこもりにしたのはアイツだろ。今すぐにでも八つ裂きにしてやりたいよ。ぜんぶあの女のせいなんだから。朝倉と浅井の人間ごと、きれいさっぱり地上から消し去ってやる。さっさと車を出せ、秀吉」
「ウッキー!」




