84話 織田信忠の野望③
「ああ、ワシとしたことが。なんたる失態……」
織田信長が引きこもり生活を始めて、もうすぐ2年になる。
武田信玄がいよいよ上洛の途に就くと聞いた帰蝶は、さすがに居てもたってもいられなくなり、彼の部屋を訪ねた。
しかし、ミイラ取りがミイラになる結果になってこのざまか……と、彼女は自分で自分のアタマをポカリと殴りつけた。
「あー? 帰蝶、どーした?」
「いや! なんでもないわい! ただの自己嫌悪じゃ」
寝ぼけ眼で歯ブラシを動かしている信長の横顔に、やるせなさを感じた帰蝶は、ゲーム機のコントローラーを握り直し、テレビ画面に映るドットキャラの動きに集中した。
「おわっ、やったぞ?! ハーゴン倒したぞー! 見ろ、みてみろっ信長ぁ! どーじゃワシ、強かろー?」
「あーそーだなー。よくやったな、貫徹乙! だが、まだまだ気を抜くなよー?」
「は? ――わっ! な、なんなんじゃあ、炎に囲まれたぞっ?! ぎゃああぁ、新手の敵が現れおったぁ! で、デカイッ! シドーだとォ?! の、のぶながぁ、メッチャ強そーなヤツがぁ」
「あー、それがラスボスだ。がんばれー」
こんな調子で丸一日ほど入り浸ってしまった帰蝶は、後悔と幸福感をハーフ・ハーフ(笑)で味わいながら、ようやく信長に向き直った。
「なあ。そろそろここから抜け出さんか?」
「いいよ。ここは昔、吉乃が使っていた部屋なんだ。居心地がいいんでな」
「居心地、なぁ」
和洋折衷、二間つづきの地味な部屋だったが、信長なりに深い思い入れがあるのだろうと、帰蝶は室内を見回した。
「……なんだ? あのバカにデカイ箱は?」
部屋の奥のカベに立て置きされた物を指差す。帰蝶の目から見れば、どう見ても《カンオケ》だった。ドラクエをプレイしたが故に、初めて気付いたものだ。
「カンオケだ」
「いや、そりゃ分かっとる! そーじゃなくって、なんであんなもんが部屋の中にあるのかって聞いておるのだ」
「いや。タイムマシンを買おうとしたんだがな、何かの手違いでコールドスリープが届いちまったんだ。……それでな、買い直そうとしたんだが、返品不可でな。しかも、肝心のタイムマシンが国家予算並みに高かったんだ」
帰蝶には信長の言っていることがまったく理解できなかった。なんせ地球生まれ、地球育ちの戦国人なのだから。
「……ヌシよ。よー分からんのだが、要はヌシは、故郷のイカメシ国とやらに帰りたいわけか?」
「正確にはイカスルメル星な。……いや、帰りたいと言うか、過去に戻りたい」
「過去? でもな、信長。過去は変えられんのだぞ? それよりも未来を見詰めろよ」
信長が寄って来たので、帰蝶は両腕を広げて彼を迎え入れ、そっと抱き締めた。
「ヌシが幾ら悲しんでも吉乃はもう帰ってこんし。むしろヌシが悲しめば悲しむほど、あの世の吉乃も悲しむと思うぞ?」
「……別にそんなんじゃねーよ」
「じゃあ、なんじゃ?」
信長は帰蝶の小柄な身体を押し倒し、上から覆いかぶさった。
「ち、ちょっと待ていっ! なにをするかっ!」
「おまえ、オレの正室なんだろ? いまさらナニ狼狽してんだ? ……おまえ、オレのこと好きなんだろ?」
「はあっ? ヌシ、とーとつになんじゃ! 気でも狂ったか」
「そーだな、ずっと狂っちまってるのかもよ? でも、おまえはどーなんだ?」
「え?」
「何回も質問させるな。帰蝶はオレが好きなのか、それともキライなのか?」
「……なにを」
帰蝶が赤面したのを確認した信長は、彼女の上から退き、カンオケにもたれ掛かった。
「あの寺……、正徳寺だっけ? はじめておまえに会ったとき。あのときは済まなかったな、ヘンな飲み物飲ませて。あのことが無かったら、おまえとオレ、今ごろどーしてたっけなあ。オレと長良川辺りで大決戦くりひろげてたかなあ? 織田と斎藤の頂上決戦、とか言って」
「さあ。どーかのう。ワシは過去にはこだわらん主義じゃし、想像などしたこともない」
「すぐそれか。じゃあ、行く末はどーなんだよ? オレとおまえの」
フンと、帰蝶はふたたびコントローラーを手に取った。ラスボス・シドーに会心の一撃を当て、「ヤッタぞ」とはしゃぐ。
「小谷のお市は、新しい家族を持ったそうじゃ」
「……」
あれ以来、信長は外部との接触を一切絶っている。スマホは帰蝶がずっと預かったままだった。返せばその場で叩き壊しそうだったから、意図的に隠しているのだ。
「お市は未来に目を向けておるのかの」
「……」
「反応なしか?」
「……いや」
「なんか言えぬのか? ひたすらショックか?」
「……へえ、そーかとは思ったよ」
「行く末、のう」
「……」
「……ワシはな、ヌシのかたわらにずっと付き従う。死に顔まで拝んでやるつもりじゃ」
「き、帰蝶」
「キショイ! しがみつくなっ!」
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
「武田の件、どー対応するの? ボーヤ」
「戦えば負けるだろ?」
「そりゃヒャクパーね」
無礼者の松永弾正を見据える丹羽五郎左と木下秀吉。
ボーヤと揶揄された織田信忠は板敷の上であぐらをかき、沈思黙考した。
そして、
「徳川に足止めさせる。3ヶ月、いや1ヶ月でもいい。その間に将軍を京から追い払う」
「容易ではありませぬ」
丹羽が反論した。
「弾正どの」
重苦しい空気を破ったのは秀吉だった。
「弾正どのが放った忍びが、まんまと信玄のお眼鏡にかなったそうでござるな?」
「いーえ。そんな話まったくのデマよ。……で、それが何か?」
「弾正どのは天下一の知恵ものでござるなぁと。それだけでござる」
信忠は幼い頬を膨らませ気味にし、
「ふたりで内緒話するな」
と怒鳴った。そして、
「その昔、今川義元が尾張に侵攻してきた時に、パパ上は無謀な突撃をしたそうだけど、ホントウか?」
「ホントウでございます」
「こたびは、その役目を徳川にやらせまする」
秀吉が畏まって応える。
「武田につくんじゃない? 徳川家康は?」
「いいえ。カレは性格的に……オコチャマには理解しなくていい話ね、ごめんなさい」
「イライラする。また子ども扱いかよ」
丹羽が咳払いする。弾正の、信忠を見る目に嫌悪を感じたのである。
弾正の口が小さく動いた。
「悪くない。悪くないわ。光秀お嬢の趣味が理解できる気がしたわ」
「うっほん、うっほん!」
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
元亀3年10月のはじめ、武田軍2万5千は、甲府・躑躅ヶ崎館を進発し、信濃国(=現長野県)を経由して、徳川領である遠江に到達した。
二俣城など各地の支城をいともたやすく落とし続けた彼の軍は、家康の居城であった浜松城をガン無視し、まっすぐ三河方面に突き進んだ。
期待……もとい、緊張で張り詰めていた家康は総員を率いて追尾を開始し、浜松城から北西に位置する三方ヶ原という地で決戦を挑んだ。
織田からの加勢を入れ、1万の軍勢での大勝負だった。
「戦術も何もあったもんじゃねーな。お望み通り、徳川家康には強烈なムチを与えてやるよ!」
家康には前々から寝返りを働きかけていたのだが。
どういうわけか返事は回を重ねるごとにヒートアップしていき、しかも終始一貫した強気の拒否文だったので、彼が《イジメられ》に喜びを感じるヤツだと知った時には、武田信玄(=スケルトンカセット師匠)は「失敗した!」 と叫んだという。
「それだったらただ一言、『躑躅ヶ崎のプレイルームに招待してやるぜ?』 で済んだものを。……クソメンドくせえコトしちまった!」
で、結果は徳川方の惨敗。援兵の織田勢も四散した。
家康は絶頂の恍惚カオをさらして浜松城に逃げ帰り、最期の時を迎える準備に入った。彼の通過した後は、ここでの表現は差し控えたい《ブツ》で悪臭まみれになっていたと伝えられる。




