81話 兄・信長包囲網⑫ 最後の会話
― 兄・信長 ―
◇元亀元年(1570年)11月27日 (続)
――オレは義昭将軍に向き直り、地面に手を付くと額をこすりつけた。
「頼む。天皇を動かして、敵対勢力と仲直りさせてくれ」
ヤツは言下に不承不承をにじませつつ、承知してくれた。
が、口の端に薄笑いをにじませているのをオレは見逃さなかった。
むろんオレは重々知っている。コイツが陰でいろいろ悪口を言っていることも、オレを陥れようと暗躍していることも。
でも、その反対に、コイツもよーく分かってるはずだろ。
信長あっての将軍位であることにも。
もしオレが消えても、また別の者に再利用される運命にあることにも。
それに、信長に貸しが作れるじゃねーか。その喜びに打ち震えることが出来るじゃねーか。そんなの、サイコーの気分だろ? ええ、ヨッシーよ?
「昔、桶狭間では2千の小勢であったにかかわらず、2万の敵に打ち勝ちました。こたび、2万の我が軍が寡少の敵に敗れようとしています。世の不条理を感じざるを得ません」
丹羽くん。いまそれを言わんでくれ。
落ち込みがますます加速するから。
「信長よ。お市からワシあてに手紙が届いたぞ。降参を促す内容じゃ」
「さすがピカ一の空気読みだな、アイツは。まさにタイミングばっちりだ」
「この場で読み上げていいのか?」
意味深言うな。
「直接読ませてもらっても良いのか?」
「そのつもりだろなと思って聞いたんじゃが?」
『意固地なあの人に鉄拳制裁したいけど、それは真っ先にわたし自身が受けるべき罰でした。調子に乗ったわたしも、そしてあの人も、人の苦しみを思い知って、深く反省して、もっと早く星に帰るべきでした。あの人の手をムリヤリ引っ張ってでも帰るべきでした。そう言いながら、いまでもわたしは諦めてません。もしあの人が少しでもそれに気付くそぶりを見せたら、わたしはいつだってオーケーだよと伝えてください。そしてあの人の様子をよく観察してください。もし脈があったら至急わたしに教えてください。わたしはすぐにでも飛んでいきたいから。重要な役目をお願いしてごめんなさい』
◇ ◇ ― ◆◆ ― ◇ ◇
◇元亀元年(1570年)11月29日
比叡山延暦寺に宛てて、天皇より和解の綸旨が下された。
これ以上のいさかいを続ければ、天下に逆らう逆賊になる。有難い命令書だ。
さっそく岐阜に連絡した。
「……ああ。クリスマスには岐阜に帰れると思うぞ?」
『くりすます? ……なんですか、それ?』
「紅色の衣装を着た髭の好々爺が夜中屋敷に忍び込んで、子供らの寝屋に歳暮を置き捨てる儀式を楽しむ年中行事だ」
『……あなたの国ではなんだか恐ろし気な催しがあるんですね……』
「実に楽しそうだろう?」
『うーん。恐いので早く帰って来てほしいです』
キツノンが怯えた声で訴えた。
なんだか無性に愛しくなった。
「画面切り替えてカオみせてくれよ」
『ギガかかるのでダメです。カオ見たければ、とにかく早く帰ってください』
「分かったよ。子供たちにもよろしくな」
『はい。ご主人さま』
「あなた、でいいぞ」
『はい。あなた』
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― 妹・市 ―
◇元亀元年(1570年)12月13日
『ああ。織田軍は岐阜に引き上げ始めた』
「ナガマサも帰り支度始めたの?」
聞いたら間があった。
「近くに誰かいる?」
『朝倉殿だ。それがどうかしたか』
「ううん。別に……。お話し中だったね、ジャマしちゃったかな」
『いや……』
ナガマサ、早く電話を切りたそう。低く短い応答で判る。
「クリスマスは一緒に過ごせるね」
イジワルと言うか、わたしの中で意固地な気持ちが沸いた。もうちょっと切らないでやれ、みたいな。
『いいか。切るぞ』
そのとき聞こえた。
『殿、追い打ちを掛けるのでございますか!』
浅井の家臣の……。
『待て。控えてろ』
「な、ナガマサ。いまの、何? 追い打ちって、なんなの?」
『切るぞ』
ち、ちょっと待ってよ。どういうコトなのよ?
「ナガマサ! 追い打ちって聞こえたよ?! なんなの、織田の背中を襲うって?! 撤退する織田軍を追い打ちするって言ったの?! そう言ったよね!」
『……朝倉殿と話し合っているところだ』
スマホから耳を離したわたし。力が抜けてしまったから。でもふんばってもう一度耳に当てて声を張り上げた。このまんまじゃ電話切られちゃうから!
「ナガマサ、ナガマサっ。お願いだから電話切らないで!」
『切ってない』
彼の返事に泣きかけた。
でも足りない、それだけじゃダメだ。
「ナガマサ、前にも似たようなことがあったよね? わたし、そのときの約束守ってるでしょう? だから、ナガマサも」
『市、おまえ、姉川でのことは忘れたのか?』
忘れてない。覚えてる。
わたしはあの人を、お兄ちゃんを殺すって覚悟を決めたんだ。
そーだよ。そーなんだ。
「でも」
『でも、なんなんだ?』
イヤなんだ、わたし。
「……ナガマサ、お願いです。織田を苦しめるの、やめて。あなたのそばを離れないから。ゼッタイに離れないから。だから」
ナガマサからの返事がない。
やっとしゃべったと思ったら別の人の声だった。
『朝倉義景じゃ』
「義景、さん」
『ワシは追い打ちはせん。足利には逆らえん』
またプツ……と声が途絶え、ナガマサが出た。
『だそうだ。浅井も朝倉の意向にしたがう』
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― 兄・信長 ―
◇元亀元年(1570年)12月14日
「おい秀吉、松永弾正はどーした?」
いつもなら即答するヤツが上の空。
決して乗り心地がいいとは言えない四駆の助手席にもたれたオレは、息を吸い込み、もう一度「サル!」と呼んだ。
後部座席の秀吉は目をパチクリし、「ききっ」と啼いたが「ご無礼を」と言ったっきり、また口をつぐんでしまった。
車を停めさせ、後続していた丹羽くんに、
「なにかあったのか?」
と尋ねると、とたんにカオをそむけた丹羽くんだった。
秀吉が目にいっぱい涙をためている。
なんだ? いったいどうしたんだ?
「丹羽くん!」
「今朝がた、岐阜より急使が着きました。吉乃さまが、身罷ってございます」




