61話 姉川④ 頓挫
― 妹・お市 ―
「だからついて来るなと言ったんだ。クー、おまえもだ」
「……ごめんなさい」
額にのっけられた手ぬぐいがヒンヤリして気持ちよかった。
「……でもね、もう大丈夫だよ。ちょっとばかり気が動転しただけ。……だって戦国時代なんだもんね、わたし、そのこと忘れてたよ」
余呉から峠越えして敦賀入りし、金ケ崎まで来たときにわたしらは無数のお墓に遭遇した。
近隣の村人が埋葬したものだという。自分たちだってそんな余裕、持ち合わせてないだろうに。今日明日の見通しさえつかないってのに。亡くなった人への心遣い、頭が上がらない。
「そんな生優しいモンじゃない。そこらに葬られた者の中には村人に殺された連中も大勢いる……」
「え? どーゆーコト?」
「落人狩りだ。疲労困憊した落ち武者を徒党を組んで襲う。武器や持ち物を奪うためにな。ヤツらは償いのつもりで遺骸を埋めてるのさ」
「彼らは何よりも祟りを恐れる。村に災いが来ないかを案じているのだ。ゆえに殺した者の成仏を祈っておるにすぎん」
淡々と説明するナガマサとキエモンさん。
村人たちがわたしたちを襲って埋めてるシーンを、ついつい想像した。そうしてわたしは、さっき食べたお芋をその場でぜーんぶ吐いちゃった。
クーはわたしより先に気絶しちゃってる。
「動けるか?」
ナガマサのあたたかい手に自分の手を重ねる。
「あたりきよぉ。……でも、クーは? だいじょうぶ?」
「は、はい。酔い止め飲みましたので」
「そんなの効くの? わたしにも頂戴?」
「信じる者は救われます」
もう少し先には戦場があるらしいけど、近づかない方がいいとと言われた。
乱雑に散らばってる墓石を見て回る。
織田の兵、ずいぶん死んだんだな。近くの大岩に墨で《織田ノ士》って書かれてる。そこら一帯、全部がそうだ。お兄ちゃんに殉じた人たちだ。
お兄ちゃんが「裏切者」って怒ってたの、いまなら理解できる気がする。
こんなの、不幸以外、なにものでもない。
◇ ◇ ◇
ところで。
わたしたちの旅は、ここでぷっつりと終わった。
理由はふたつ。
「甲賀に潜伏していた六角一味が久政様と示し合わし、江南の織田駐留軍を攻撃したとのこと。織田方の佐久間と柴田がこれに応戦し撃退した模様。以上、お姉ちゃんからのメッセージです」
「久政……」
悔しさに震えるナガマサに、さらにもうひとつ、追い打ちの悲報が届いた。
「鎌刃城の堀次郎秀村が、織田に寝返ったそうです」
「殿。ただちに小谷に戻りませんとなりませんな」
「……ああ。そうだな」
言葉を無くしたわたしは、ナガマサの手を握り締めるしか出来なかった。
お兄ちゃんが何を考えてるのか、ゼンゼン分からない。京でナガマサとした約束はいったい何だったの? 確かに浅井は一枚岩じゃないけど、ナガマサがまとめるって言ったんだよ? どうしてそれを信じて待ってくれないの?
久政さんと朝倉義景に説得するって誓ったんだよ? ナガマサは。
戦が無くなれば、お兄ちゃんの怒りだって生まれなくて済むでしょう?
「わたしに任せて。一乗谷にはわたしが行くよ。朝倉義景はわたしが説得する!」
「いや。済まねぇが、ダメだ。ただちにオマエも小谷に帰ってやれ。モンモンが心配だ」
「ど、どうして?」
「堀次郎を織田方に寝返らせたのは、竹中半兵衛ちゃんだ。モンモンが彼女の一門だとオヤジに知れたら事だ」
な、なんで!
半兵衛ちゃんが、そんな!
「どうして半兵衛ちゃんがそんな任務を?!」
「命令されたからに決まってんだろ? 信長に忖度した木下秀吉あたりにな」
「と、藤吉郎……」
「ヤツはヤツなりに半兵衛ちゃんを思い遣ったんだろうと思うぜ。浅井との橋渡しをしろって暗躍させてた手前、どう繕って織田に帰参させてやろうかってな」
「そんなの、藤吉郎が悪いんじゃないっ。お兄ちゃんに黙ってそんな命令しちゃったから……! ……あ!」
ちがう。
ちがう!
ちがう!
……そうじゃ、ない!
「もう、何も言うな。だれが悪いとか、そんなのは無い。とにかく帰ろう」
「……わたしの、せいだ。……わたしが、お兄ちゃんには黙っててってお願いしたから」
「だから、言うな。忘れろ」
後悔ばっかりだ。
なんでこんなに、自分がイヤになることばっか起こしちゃうんだろう?
「ナガマサぁ」
「オマエな。後悔してるってカオ、してんじゃねぇよ」
ギュッと握ってた手を引き寄せられ、彼の胸の中に飛び込んだわたし。汗のにおい。でもキライじゃない。むしろ、ずっとこうしてたい。
「ごめんなさい」
「だから、謝んなって。さ、戻るぞ。小谷に」
「うん」
……よくよく考えてみれば、キエモンさんとクーが見守る中、墓地のまんなかでわたしたちは、互いの心を確かめ合っていた。自分たちだけの世界をつくって。
あー。




