56話 兄も、妹も。⑨ 疑念
― 兄・信長 ―
松永弾正久秀は、大和国多聞城と信貴山城を己が主城にし、大和、伊賀、摂津、河内、そして山城に至る広域に強い影響力を持った戦国の雄。先年、義昭将軍上洛の際に、ボクの足下に属した。
長年、上方に根を張っていた三好一族といざこざを起こして苦境に陥り、義昭将軍と織田の上洛戦に乗じて頼ってきたという次第。
でもコイツ、実はなかなかのクセ者で、かつては三好と共謀して息子の久通に将軍を殺させたとか、東大寺の大仏を焼いたとか、まーまー信ぴょう性の高い、悪評を被った奸物である。
「……ま、大丈夫でしょう、とりあえずのところは。今は足利将軍と殿の利用価値はありと認めていますでしょうし。むしろ恩を売る絶好の機会と思ったんでしょう」
「もーなんでもいーや。とりあえず松永弾正に従おう」
丹羽くんの見解に賛意したボクは、松永弾正に案内役をゆだねることにした。……でも。それが思わぬ不幸を生んだ。
ワガママ白塗り将軍を折檻したときに導入した四輪駆動車、有り体に言えば軍用ジープだが、この狭い車内に運転手とは別に、ヤツと二人で並んで乗車したのが間違い。
「やーねぇ、ノブちゃん。そんな警戒のこもった目をするの、やめてよぉ。これでもわたし、ちゃんと空気は読むのよ?」
「じゃあ、さっきからずーっと、ボクの尻をナデ回すの、ナゼだ? すぐさまヤメロ」
「もぉ、怒りんぼさん。これはただのスキンシップよぉ。わたし、まだあんまり織田家の殿方を知らないから、色々知りたいだけなのよ」
ムキムキ筋肉の浅黒い身体をクネクネさせているから、キモチワルイ事この上ない。ボクの身代わりになり護衛するってのは口実だと、出発してから五分で知れた。断っておくが、ダンジョーはごりごりのオッサンだ。いや、申し訳ないがジジイの域にすら達しているご年配だ。そんなヤツに無遠慮に身体をこすり合わされているのだ。
この苦痛、この苦役、どーにかしろ!
「浅井の先鋒が我が織田軍のしんがりと交戦状態に入りました。多数のお味方が討ち取られた模様」
無線を通じて後続車から届く情報が、悲痛な状況を伝えてるってのに、ちっとも気持ちが入ってこない。キレるボク。
「丹羽くんっ、このジジイなんとかしろっ!」
「水坂野峠を越え、保坂村に至りました。この先が朽木領です。なんとかガマンなさってください」
「うわああっ。テメーどこを触ってやがるっ! ぎゃああ、揉むなっ」
「イカスルメルで動画見た時からアナタ、カワイイ子だって思ってたのよぉ。現物、サイコー。わたし、興奮しっぱなしィ」
「なっ、てめえ、同郷だったのか!」
「アラヤダ。そーよぉ、言ってなかった? ウーチューブのディレクター、アレ、わたしの弟だもの」
うへえ。衝撃の事実。
ウーチューバーになんてなるんじゃなかった!
あの武田信玄こと、スケルトンカセット師匠もそーだ、ろくな人間が居ねぇ!
「ま、ノブちゃん。これ見て」
「ノブちゃんって言うな」
「じゃあ、ノブぴょん」
「ちゃんと信長って言え!」
「オイ、信長。こっち見ろ」
「なんだ! 馴れ馴れしい! 急にドスの利いた低い声色を出すな」
つけまつげをパチクリさせて、ボクにスマホをかざした。くっつくな、きっしょく悪いっ! って待てい! オマエ、ソレ、ボクのスマホじゃねーかっ! いつの間に盗みやがった、バカヤロ!
『お兄ちゃんへ。ナガマサが位置情報を特定しようとしてます』
「――い、市?!」
「……けなげねぇ。とんだ体たらくで、無慈悲で、冷血なお兄ちゃんなのに、こんなに心配しちゃって。――あ、また来たわよ?」
『ナガマサに取られる前にこのスマホ処分します。さよなら。お兄ちゃん』
「な、なんだと?!」
「あららぁ、ラブ・イズ・オーバーだわね。とうとう引導わたされちゃったぁ」
「だ、だまれ」
「泣かないの。男でしょう? あの子のコトは早く忘れなさいな。ダレかに抱かれてね」
うるせーよ! それ以上ペラペラしゃべんなって! 著作権ギリギリだぞ!
……くそっ。
「……市。アイツ、裏切りやがった。長政につきやがった」
「どーしてそー思うの?」
「ボクとアイツのつながりは、もうあのスマホしかない。それを壊すってのは、完全に関係を断つって話だろ? そんな重要なコトをカンタンに口にしやがって……」
そのときボクはある疑問に行き当たった。それは見る見るうちに真っ黒な猜疑心に変わった。
「どうしたの? 真っ青になってるわよ?」
「う、うるさい」
――岐阜城に置いていたスマホを持ち出したのはいったい誰だ?
――市に手渡したのは誰だ?
――今日の市の行動は、初めからぜんぶ仕組まれたものではなかったか?
ボクはまっさきに武田信玄を思い浮かべた。ヤツが一枚かんでいるのではないか? と。アイツは昔、ゲームで勝った時に「市を貰う」などとアホ発言してやがった。……まさか、浅井長政と共謀して……。
「そんなにお市ちゃんを信用できないの?」
「信用するもしないもあるか! アイツはスケカセに協力して、用意周到にボクを裏切りやがった。ボクよりナガマサを取りやがった。そーゆー最低な妹だ。……ボクは、こんなにアイツのコトを想ってるのに……」
ダンジョーが、いきなりボクの顎をつかみ、持ち上げた。
「……さっきっから、テメエ勝手な理論、ブッこいてんじゃねぇよ。だったら自分は何様なんだっての? テメエにお市ちゃんの悪口語る資格なんて、無ぇ。その辺、ドタマ冷やして、よーく考えろや」
殺気マンマンの迫力に、ついボクは首肯した。もう、うなだれるしかなかった。
「さ、朽木ちゃんの城に着いたわよ。ここまでくれば、もう安心ね」




