53話 兄も、妹も。⑥ 発覚
― 妹・お市 ―
ぐるぐるぐるぐる。
アタマん中で洗濯機? がヒドイ音でがなってる。
もォ、何なの……?
息苦しくなり限界に差しかかったところで、プツンとそれが止んだ。
うっすらとした白光のシャワーが心地のいい静寂を取り戻してくれた。柔らかでフワフワのクッションにギュッとしばらくしがみつくと満足して手放し、仰向けに転がった。
全身の力が抜け、欲していた夢の中にふたたび埋没しかけた頃、また、けたたましい金切り音がアタマを掻き乱した。
手探りで掴んだ物体を引き寄せ、耳に当てる。
「はい、もしもし……」
『……市、か?』
「ん? ナガマサなの?」
配線がつながらないままのわたしは、自身の応答さえも覚束なく認識できず、しわがれ声だけが絞り出た。
『ナガマサ?』
そう、ナガマサ。
人がこれだけ心配してるってのに、けっきょく昨晩、帰ってこなかった。「父を説得する」なんて息巻いて出ていったクセにさ。ひとつの連絡もよこさないで。
チロチロと儚げに揺れる燈明の火が極端に思考を鈍らせ、いつの間にか眠ったらしいわたし。目線の先にボヤケる、少し開き気味の口で眠る半兵衛ちゃんの寝顔がカワユすぎて、ユルユルした気分を深みに落とす。
――と、太く、大きい手がわたしの額に触れた。静かに届く囁き。
「……市。帰ったぞ」
『市?』
なんだか声がダブるよ。
「ナガマサぁ。帰ったんだね?」
「シッ。横で寝てる連中が起きちまう」
ナガマサだぁ。
彼からもれる息が、とても近い。安堵感で満たされたわたしは、まだ半ば目覚めてないまどろみの渦中で、そっと目を閉じた。
『市! 市! オマエなのか?! 市、返事しろ!!』
わたしを呼ぶ声。必死な呼び掛け。聞き馴染みの。
「い、市。……いま、ダレとしゃべってんだ? ……その電話」
通話状態のわたしに気づくナガマサの詰問。
仕方なく上背を起こし、未だ半開きのまなこで携帯を覗く。――《お兄ちゃん》。その文字がはっきりとした瞬間、ワナワナと震える。落としそうになった。左手で辛うじて支えた。
「……おにい、ちゃん」
『市! どこに居る?! いま、ダレと居るんだ?!』
混乱。この時にはもうすっかり目は覚めてたのに。アタマが働かない!
「……電話の相手は、信長、か?」
わたしに覆いかぶさるようにして固まっているナガマサ。ひどく恐いカオをしてる。それを見てますますパニックになった。
枕元に置いたスマホを触る。ナガマサがくれてたんだろう、《不在着信》の文字。LINEの未読メッセージも残っている。
つまり、今手にしているのは……。
以前使ってた方。お兄ちゃんの連絡先の入った……。
「わ、わたしっ。ま、まちがえた!」
電話を切る。でもすぐに掛かって来た。
今度はビデオ通話で。
「出ないのか?」
「……出れないよ」
「分かった。オレが出る」
「ええっ!」
わたしからスマホを取り上げたナガマサは、ためらいなく応答を押した。お兄ちゃんが出たんだろう。彼は画面を凝視し、こう言った。
「オレは市が好きだ」
『はぁ!? 黙れ。市を出せ!』
「断る。もう掛けてくんな! 市は出ない」
『やはりテメエ、ちょっとヘンだぞ? いいから出せ!』
「拒否する。このスマホは壊す。二度と掛けれんようにする」
『テメエ。何言ってんのか、ちゃんと分かってんのか?』
「ああ、分かってるともさ。十分に理解しているさ」
お兄ちゃんは会話にならないと思ったのか、今度は必死にわたしに呼び掛けだした。
『市っ! ボクだ、兄ちゃんだ! おまえ、イカスルメル星に帰ったんじゃなかったのか?! いま何処で何してんだ?! ずっと心配してたんだぞ?』
お、お兄ちゃん……。
『頼む、出てくれ。カオを見せてくれ。浅井に監禁されてたのか?! 兄ちゃん、すぐに助けに行くぞぞ!!』
ナガマサが怒鳴る。
「人の話、聞けや! 自分勝手な想像しやがって! オレはな、真剣にお市と夫婦になりたいと思ってんだ! オマエ、兄貴だろ? ちっとは妹の幸せ、考えてしゃべれ!」
『長政。テメエこそ、一方的に妹をたぶらかそうとしてんじゃねぇぞ?』
覚悟を決めたわたしは、ナガマサからスマホを奪い返した。そして、お兄ちゃんと対面する。
「お、お兄ちゃん」
『……い、市』
「元気にしてた?」
『……ああ。まーまーだな。そっちは? ……って、いいや、こんな会話は直接会った時で。……市、とにかく帰って来い。ゆっくり話そう』
……お兄ちゃん、ちょっとだけ痩せたね。前よりキリッとした顔つきになったね。大人の服になったね。とっても早口になったね。
幸せなのかな。
「……ダメだよ。心の整理がまだつかないんだよ。だから、ダメなんだよ」
再度、ナガマサにスマホを取られる。
「信長よ。オマエは物事を決めつけすぎる。オマエ、なんで朝倉を攻めてんだ? そんなに戦争がしたいのか?」
『テメエ、出てくんなよ、妹としゃべらせろ』
「いいから聞けよ? オレはな、オレの親父と仲が悪い。……でもな。昨日の晩、互いに腹を割って話した。いいか、オレらは織田家が朝倉攻めを止めるなら、今まで通り同盟を続ける。場合によっては朝倉を説得し、織田家との仲を取り持つ」
『織田家が居ねぇと、六角の侵攻も防げないヤツらがナニ言ってやがる』
「違う。六角はただ家を取り戻したいだけだ。織田家に対し、もはや反逆の意志はねぇ。親父は六角とも復縁したいと願っている」
お兄ちゃんの小ばかにした笑いが聞こえた。
『バカか? それとも超がつくほどお人好しのバカか? ……六角はな、浅井を乗っ取ろうとしか考えてねぇぞ? それとな、朝倉は、武田信玄に踊らされてるだけの足利将軍に便乗して、ひたすら織田に反抗的な態度を取り続けてんだぞ? それなのに何をどう信用しろってか?』
「師匠? それは……ヒネた目で見ているオマエが、そう思ってるだけだ。織田が不遜で手前勝手だから、態度を硬化させてるだけだ。とにかく、すぐに兵を引け!」
どんな様子なのか。お兄ちゃんの返事が無くなった。不安になったわたしは、ナガマサにくっついて画面に割り込んだ。思案していたらしいお兄ちゃんがわたしを見た。見る間に表情が曇ったのが判った。
『……決めたよ、市。ボクは朝倉を滅ぼし、そのままその足で小谷の浅井を叩く。一刻も早く、オマエを助ける』
「そんなのダメだよっ! 戦争なんてしちゃいけないって!」
ナガマサの太い腕がわたしを画面から押しのけた。
「よーく分かったぜ。だったらこっちも本気だ。今日ただいまを持って浅井と織田の同盟は解消された。こうなったら力づくで安住の地を守る。朝倉と挟撃し、オマエを殺る」
「なんでそんな流れになるのっ! ふたりとも仲良くしてよ!」
『市、ソイツから離れろ』
「うるせえよ! 直ちに背中を衝いてやる! 覚悟しろよ!」
スマホを床に叩きつけたナガマサ。
目が怒りに満ちている。
「ヤメテ! 止めてよ、ナガマサ! 怒らないで! わたし、ずっと小谷に居るから! ずっと一緒に居るから! だから、お兄ちゃんを攻めないで!」
ナガマサは震え声を抑え、わたしを見詰め言った。
「織田信長は決めたことは必ず実行する。朝倉が滅びれば、次は間違いなく浅井に矛先が向くだろう。市を助けると言ったヤツの言葉は信用に値する。だからオレはその前にヤツを倒すしかない! 朝倉と共闘し、織田を撃滅することにする!」
わたしは瞬時に悟った。
ナガマサはわたしに告げてるんだ。浅井家の真実を。ナガマサの魂胆を印象強く伝えることで、お兄ちゃんに危機感を持たせ、実際に切迫している状況を報せてるんだって。
背筋が凍りついたわたしは、床のスマホを拾ってわめき散らした。
「お兄ちゃん、撤退して! 早く逃げて! 早く、早く!」




