52話 兄も、妹も。⑤ 長政の決意
妹・お市
「織田信長が越前朝倉征伐を決めた。内々に《合流せよ》と連絡があったのだ」
「京に集結した織田、徳川連合軍は、現在敦賀に向け出撃したところです。名目は若狭の豪族を始末するとのことですが、実際は、越前表、朝倉領内への侵攻が狙いです」
「な、なんでお兄ちゃん、……信長は、そんなに積極的に侵略戦争なんてしてるのっ?」
ナガマサと半兵衛ちゃんに食ってかかるわたし。不幸は不幸しか生まない。不幸より幸せの方が嬉しいし楽しいに決まってる。そんな当たり前、お兄ちゃんだってとっくに気付いてるはずでしょ?!
「……信長は朝倉攻めの前に、オレに詫びを入れて来た。《手前勝手な振舞いをしてスマン》と。……だが、浅井家と朝倉家の友好は長年続いていて、深い縁で結ばれている。それを知っての詫びってワケだ。詫びりゃあいいってものじゃねぇだろ? オレは迷っている。ヤツは本当に、どうしようもなく手前勝手だぜ。ちくしょう」
キエモンさんは、仁王さんみたいなしかめ面で腕組みしたまま。ナガマサの横顔をジッと見詰めてる。わたしもそれに倣ったワケじゃないけども、半兵衛ちゃんとクー、そしてモンモンを眺めてみた。とても奇妙な心持がした。
「……なんだかフシギだね。浅井家の大事な密談に、織田の娘とその仲間たちが交じってるなんて?」
感じたままに口に出した。
でも、そのセリフはその場の全員にムシされた。あまりに軽はずみな言い方だったから?
……そりゃ、だよね。でもキエモンさんがわたしの心情を察してか、律儀に応えてくれた。
「大殿さまは、六角の手の者と繋がっています。また、すでに朝倉家に早馬を飛ばした頃でしょう。すべては朝倉家を擁護せんがため。更に申せば、あのお方は初めから織田と結ぶ気はござらんかった」
「まぁ……な。だが父とは逆に、遠藤は、かねてより織田家の前途を有望視しておったな? やはりオマエは織田に味方するか?」
「何をバカな申しようでござるか。ワシは浅井家の家臣であって、織田家の家臣ではござらぬ。ただただ浅井家のために想い、尽くすだけ。それだけの事」
ナガマサは泣いたように笑ってポツリ、「浅慮だった。スマン」。
「市。今夜から万福丸とともにオレの屋敷に住め。これは命令だぞ?」
「うーん。……半兵衛ちゃん。さっきさ、信長が《出陣命令》って言ったよね? ……要請じゃなくって命令なの?」
「え、ええ。命令、です。浅井家に対して」
ふーん。命令、ね。
「……どいつもコイツも。ホントにオトコってヤツは、みーんな手前勝手だね。そんなんでいーのかなぁ? ずいぶんエラそうだ」
わたしの嘆きにクーが同調した。
「少なくとも浅井家もお市さまも、《命令者のしもべ》じゃないんですから。聞く耳もつ必要ないですね。それがくだらないと思える命令なら」
わたしとナガマサは同時に苦笑した。
「下らぬ命令か」
「ナガマサはどーなの? 信長の命令、聞くの?」
「オレは。……織田信長に従おうと思う」
きっぱり言い切った。
キエモンさんが低く唸るように問う。
「念押しでござる。つまり、織田に降る、と?」
「違う。市と一緒に居たいだけだ。一緒に居るための選択だ。そのためなら何でもする!」
「朝倉を見捨てると?」
「それも、違う! 織田の進軍を止めた後、信長に与するよう朝倉を説得する。浅井、朝倉は織田と共にこれからも生き延びる」
「……ひいては市殿のために?」
「そうだ! 悪いか?」
わたし以外、みんな、「は?」っていうカオをした。モンモンなんかは「はあっ?」と聞えよがしに小バカにする声を出した。
わたしは……どんな顔つきをしたのか想像したくない。
半兵衛ちゃんがボソッと、「まるで中学生男子みたい」と失言を漏らすと、クーも同調して「それでも戦国武将かしら」と放言した。
けれども当の本人はひたすら赤面し、天井を仰いでいる。……ナガマサ、あのね。ハズいならしゃべんないで!
「……殿のご意向はとくと承知しました。……ただ」
「ああ。オレが父を説得する」
「難しいと存じますぞ?」
うーんと考え込んだナガマサ、けれどカラっと破顔して、
「あれでもオレの父だ。オレらは親子だ。腹を割って話す」
ドタドタと部屋を出ようとする。ツイと振り返り、
「市、分かったな? オレの屋敷で待ってろよ?」
「……さっさと行きなよっ」
やや猫背になったナガマサは、廊下の暗がりに消えていった。
「半兵衛殿ら。この後いかがなさる?」
「わたしたちはお市さまを守るよう密命を受けた身。お供いたします」
「……では頼みますぞ。それがしは殿を追い、大殿の説得に加わります」
キエモンさんの背を止める。
「キエモンさん。……どうか」
「承知しております。殿の事はお任せくだされ。では」
尻切れトンボの言い方しかできない自分がもどかしい。キエモンさんの優しさにホッとした。
「では参りましょう。ここにこれ以上の長居は危険です」
半兵衛ちゃんらに伴われ、わたしは万福丸を連れて住み慣れた下屋敷を後にした。夜道、目に入る清水谷の町は、いままでの穏やかな日常となんら変わらなかった。
先導の提灯明かりが、この先の未来も、ずっと照らし続けてくれる気がした。
暗がりの先から、お兄ちゃんとナガマサが肩を組んで現れそうな、そんなノーテンキで、夢心地の期待が浮かんで仕方なかった。
「泣かないでください。市さま」
「ごめん」
そして。
そのまま、ナガマサは朝になっても屋敷に帰ってこなかった。




