33話 お市サイド⑤ 華子さんとわたし
「どうぞ。粗茶ですが」
誰が見ても寂れた、名もなき小さなお寺。
そこに万福丸くんと、そのお母さんの華子さんがいた。成り行きで随行した竹中半兵衛ちゃんは二、三歩後ろの下座で小さくなりながら、わたしをうながした。
「市さま、何か話したいことがあったんじゃないんですか? 無いのなら、早々に帰りましょう」
「うん。そーだね。せっかくだし質問するよ。その男の子はナガマサの実の子供さんなんだね?」
華子さんも、万福丸くんも、ピンと伸ばした背筋を保ったまま、「はい」と肯定。わたしの心をえぐった。一秒で用が済んじゃったよ。わたし、帰る。
「まあ。せっかくですし、もう少しゆっくりなさってはいかが? 大食い女さん?」
「かちーん! ええ、確かにわたし、とぉーっても食べるのスキですけどー、許可してないあだ名で呼ばれる筋合いは無いよね?!」
上から目線が癪に障って反抗心剥き出しで言い返したら、親子はバツが悪そうに下を向いた。
「じゃ、わたし。帰るから。ありがとう、会ってくれて」
「ち、ちょっとお待ちください、お市殿。……帰るというのはどちらに……?」
華子さんが、今度はちゃんと名前を呼んで聞いて来た。
「ん? そ、そりゃ……」
二の句が出ない。そうそうそーだよ、どこに帰るのよ、わたし?
「そりゃちとムズカシイ質問だよね。言われてみたら、あんまし深く考えないまま口走っちゃった」
「わたしは浅井家から縁を切られた身ですから。でも市殿は殿に慕われてますでしょう?」
「えーと。だから? 華子さんが何を言いたいのか、いまいち分かんないんだけど? こないだわたしの前に堂々とその子を連れて現れたでしょ? あれってさ……」
はっきりと《ライバル宣言》的な態度だったよね? 間違いなくそんな感じだったよね? 覚えてないですか? 少なくともわたしにはズッキュンズッキュンって、強烈にそー感じたけどなぁ?
「――ま、なんにせよ、わたしには何のカンケーもないコトだし、ナガマサに妻子がいよーと、愛人がいよーと知ったことじゃないしィー、別になんの感情ももたないし。……だから、あんなふうな登場の仕方されなくても、ゼンゼン気になんて、しないよ? だからトーゼンながら悔しくもないし、腹も立たないし、悲しくもないよ! ホントだから! ……言っとくけど」
華子さん、万福丸くんを退室させた。半兵衛ちゃんが「ゴクリ」と固唾を飲むのが伝わった。……なんなのよ、それ?
「わたしは悔しかったのです。ただもう、幸せそうなお二人を見て、憤りを感じてしまったのです。本当に申し訳ありませんでした」
「……」
「わたしの父は六角家の家臣でした。ただもっとも、浅井家が織田家に付いて六角家の敵となる以前から、わたしと長政さまの関係は終わっておりました。なぜならわたしと長政さまは明らかな政略結婚でありましたから」
「政略結婚……」
「家同士が利害を一致させて政治的な結び付きを深める結婚のことですよ?」
半兵衛ちゃん。そのくらい知ってるから。
「でも。結果的には万福丸が出来たんだから。それでも愛情が無かったって言うのかなぁ? それってただの薄情モンの言い訳じゃない? ますます長政がキライになったよ! ……サイテーだ、アイツ!」
フ……と、華子さんが息を漏らした。
「万福丸はわたしの子です。……けれども、長政さまとわたしとの間には一切愛情らしい交流はありませんでした。それ以上の事は長政さまというより、御父上であられる久政さまにお聞きください」
どーゆ―コト?
でもそれきり、華子さんは口をつぐんでしまった。
しょーがないので半兵衛ちゃんに助けを求めたけど、彼女も首をフリフリするだけで答えてはくれなかった。知らないから答えられないっていった風だった。
「あのさ、華子さん。あなた自身はどーするの? これから」
「わたしは在所不明ですが父を訪ね、甲賀口から大和国に向かいます。……それで、厚かましいお願いなのですが」
「なに?」
「万福丸をお預かり頂きたいのです」
「へ?」
「子供の面倒を見てあげて頂けないかと」
ムリムリムリムリ! 子供が子供の面倒なんて見れないよ!? てーか、わたしはもう大人だけど―、この場合は都合よく子供になっとくよ。
「わたしにそんな重大事を頼んで。きっと大いに後悔するよー? それよりなんで連れってあげないの? それこそ可哀そうだよ!」
「市さま、恐れながら。今は戦国の世。女子供の旅なんて自殺行為そのものです」
「じ、じゃあ、わたしがナガマサに頼んだげる! どーせわたし、イカスルメル星に帰るから、わたしの居候部屋、空くから。そこにふたりで住なよ? ね?」
それでも華子さんは頑として首を縦に振ってくれなかった。そこでわたしは一計を案じ、提案した。
「せめてさ、ナガマサにガツンと一発制裁を食らわせるんだよ! 今からとっておきの手紙を代筆するから。それをアイツに突き付けよう!」
紙の手紙なんて幼稚園の年中さんのときにお母さん宛てに書いて以来。でもこれを人助けだ。
「そこまでしなくても、何か別の方策があるでしょう。わたしも考えますよ」
そう言う半兵衛ちゃんは弱り顔。予想外の展開に困惑してるのがアリアリと判る。一方の華子さんはわたしの熱意を半分くらいは理解してくれたようで、
「分かりました。もう少し頭を冷やして考えてみることにします。今晩はもう遅いのでこのままこの寺にお泊りください」と、やっと穏やかな表情を見せてくれた。
――翌朝。
慰謝料請求の《民事訴訟》書類を仕立て上げ、ぐーすか眠りこけていたわたしを叩き起こす子供の声があった。
「……なぁにぃ? 万福丸ぅ?」
「母上が居ない! どこに隠した?!」
半兵衛ちゃんが大慌てで入ってきて、華子さんが行方をくらませたことを告げた。




