24話 政略結婚なんて、後世の根も葉もない作り話なんだから
「あの、市さま。部屋にこもってばかりだとお体に良くないですよ……?」
吉乃が声をかけても、ふすまの向こうにいる市からは返事がない。心配げに首をうなだれる彼女に申しわけなさを感じるボク。
こういう状態になって今日でもう丸二日経つ。その間外界との接触は完全に断つ……ってほどではなかったが、サルにLINEで連絡を取ってオニギリとペットボトルを差し入れさせ、丹羽くんにビニールプールと水の入った桶け、それに洗面用具と入浴セットを運ばせた以外はすっかり引きこもり体勢に入っていた。
「市ィ。吉乃がな、夕飯はな、お前のためにハンバーグを作ってくれたぞ? デミグラソースがたっぷりかかったヤツ。大好きだっただろ?」
が、反応なし。
いったいどーしたって言うんだ、市! お兄ちゃんは悲しいぞ!
「うーん。ハンバーグ、いい匂いだぞー? それともオナカが痛いのか? 面白すぎなゲームにはまってて手が離せないのか? 心配してんだぞ、市!」
そしたら、
「気に食わないーっ!」
と市の怒声。
な、なにがだ?
「信長さま。市さまは、あなたさまが申しますような事で閉じこもっているわけではないと思います」
うーむ。そうなのか?
「……聞いてくれ、市。大事な話があるんだ。頼む。少しでいいから顔を出してくれ」
ふすまに手を合わせ、懇願する。
すると今度はなんと。ふすまが開いて、市がカオをのぞかせた。
「い、市ィ! うおおおおっ、市ぃぃぃ!」
「お、お、お、おにぃち……、ゴホン。……ナンデスカ? キイテホシイ・ダイジナコト・トハ?」
「ロボットか」
「いーからっ! 大事な話ってなんなのぉ! ゴホッ、ゴホッ」
「だ、だいじょうぶですか、市さま?!」
オロオロした吉乃が差し伸べようとした手を払いのけ、
「今日で二日。あんまし食べてなくて死にそう。ううん、このまま死んじゃいたいだけっ! で、なあにいよォ、お兄ちゃん、早くゆってぇよォ!」
「あ、ああ。……兄ちゃんな、この吉乃さんと結婚することにした。喜んでくれ、市! お兄ちゃんやっとシスコン卒業するよ! 今までずっと有難うな、市」
「け、結婚……」
「そうだ。結婚だ。イカスルメル星人のクセに地球人にホレるなんて、笑うだろ? でもさ本気なんだぜ!」
オートカメラの方向に目線を合わせる。今回ばかりは評価ガタ落ちでも構やしないさ。ハッピー・オールオーケーだ!
「はうっ!」
「ど、どーした? 市っ!」
「ってゆーか、アレ? どーしたんだろーわたし、激烈に死にそうな気配。いま大声出したときにさぁ、クラってめまいがしてね、動けなくなっちゃった。あ、あ、キケンだよぉ……ヤバいよぉ。おフトン……、と、遠い。手を伸ばしても届かないよー……」
がっくしと。
市が力尽きた!
「市が壊れたぁぁ!」
「市さま! ……まぁ、酷い熱! しっかりしてください! 市さまっ。市さまあっ」
「市、市、市市市いいちちちぃぃぃ!」
ボクの懸命の呼びかけにうっすらと目を開けた市。
「うっとおしーわーっ!!」
「うわっ」
再がっくしの市。
「……ボク、うっとおしかった?」
「まぁ、かなり。でも気にしない方が……恐らく本気で言ったんじゃないと思います。……多分きっと」
「慰めになってないぞ、吉乃」
「……すみません」
◇ ◇ ◇ ◇
市は風邪を引いていた。医者に診せると三日間の安静が必要だと言う。ボクは悩んだ。
「信長旦那。近江の浅井家家臣、どーされますか?」
この二ヶ月ほど、ボクはボクなりにめずらしくマジメに仕事をしてたんだよな。
あの例の、足利将軍さんを京都に連れて行く約束。そろそろ履行しなきゃなって思ってたところに、《浅井》って戦国大名が同盟を持ち掛けて来た。
浅井家は《近江の国》、令和時代には《滋賀県》、琵琶湖周域を支配する成長株の勢力らしく。なんでも六角様だか八尺様だかに対抗するため、ぜひ織田家と手を結びたいという話だった。(もういい加減、令和出すの止めにしよう)
そのときボクは、吉乃と一緒になろうと決断したジャストのタイミングだったので、二つ返事で快諾した。なぜってそりゃだって。結婚するんだから、次にするのは新婚旅行だって相場が決まってるだろ?
言われりゃ、京都だなんて、小中学校の修学旅行かよ? の感があるっちゃーあるが、いにしえの《京都・奈良》への旅もそれはそれで、なかなかオツじゃんと? 母星イカスルメルでも異文化人あての観光ビジネスが活況って話だし。インバウンドっての? よくは知らんけど。
丹羽くんからは「旅行なんて危ないからダメ!」 ってイジワル発言されてたから、その京都までの道すじを守ってくれる味方はまさに渡りに船だろ?
ただ当然ながら妹の市にも是非ついてきて欲しかったから、突然の体調不良には心底ザンネンな気持ちでいっぱいになってるんだが。
「一番喜んでくれるはずの市が、まさかこの大事な時に寝込むなんてな……」
「浅井の家臣ですが、市さまの病が完治するまで待たせときますか?」
「あ、いや、さすがに悪いだろ。たくさん土産持たせて、その浅井……何とか氏によろしく伝えといてって」
「信長旦那。いい加減ひとの名前覚える苦手、克服してくださいでござる。キー」
「覚えてるって。アサイー……えーと」
「ブルーベリー的な物みたいに誤魔化さんでください。アザイです」
「あーえー、そ、浅井、長なんとか」
「おしいっ」
「ノブナガ!」
「そりゃオメーだ」
「オメーとか言うな、仮にも飼い主だぞ。くそー」
忘れちまうのは仕方ないだろーが。もう浅井くんで十分だよ!
藤吉郎と戯言言い合ってると目の端に吉乃が涙目で平伏していた。
「ど、どうした?! 吉乃!」
「市さまが、市さまが、また部屋から居なくなってしまいました」
◇ ◇ ◇ ◇
「心配させてやるんだから、お兄ちゃんめっ。くっくっくー。うーん……」
後で思い出そうとしても、ちーっとも思い出せないんだけども、どうやらわたし、《かくれんぼ》のつもりで蔵のつづらに隠れて、そのまま気を失っちゃったみたい。
◇ ◇ ◇ ◇
置手紙を残して、市が消えた。
城中くまなく探したが見つからなかった。
「お兄ちゃん江。市は自分探しに出かけます。お土産はフランスパンにします。市」
ただの冗談かと思ったが、本当に旅に出たようだった。
◇ ◇ ◇ ◇
――よく寝たわたしは、久しぶりに元気な朝を迎えることができた。
「おっはよー。あなたたち……ダレ?」
「こっちこそ、お前は誰だ?」
キョロキョロ。
「……このちっちゃなお城、どこ?」
「小谷城だ。小っちゃいは余計だ」




