19話 市、気持ちは嬉しいんだがなー
稲葉山城改め岐阜の本城は頂上に建設中だが、登山道のような通用路を登るのはこの上ない苦痛だ。しかし文句を言うもんなら、丹羽くんが怒りを宿した無表情で静かに反論する。
「バとカの付く殿。アンタさまが。ここに。立派な。御殿を造れと。命じました。それで。何か?」
「まーそー怒るなよお、丹羽くん。いや、五郎左ちゃん」
「ちゃん付けで呼ぶのはハラスメントだと、お市さまに教わりました。たしかに、はっきりと、明らかに教わりました。それで? 何か?」
「あ、……いや。何でもないよー。毎日登城するのは健康にいいなって思い起こしてたところ」
「なるほど。ところで。お市さまが仮小屋の方で何やらされておりましたが、殿はご存じで?」
いや、エスパーじゃなし、知らねーよ。気になるな。心配だし覗きに行くか。
「市―。お兄ちゃんだぞー。せっせと熱心に何やってんだ?」
市は板間の床にでっかい紙をひろげて、一生懸命何かを書いていた。
「あっ、お兄ーちゃん! おはよー!」
「おはようじゃないって。オマエ、目の下にクマできてるぞ?! いったいどーした?」
「クマさん? 森のクマさん? 勝家? わたしあの人好きだよー?」
「勝家の事は今はいい。なんなら抹殺しておくから」
市が別に隠そうともしてないので遠慮なく紙を覗き込んだ。
「ん? どれどれ? 《不幸ポイント向上大作戦》?」
「そう! お兄ちゃん、最近ずっと悩んでるから、わたしもいろいろ考えてみたの―」
「え? 寝ずにか?」
「んー、そうみたい。もう朝だもんね―?」
うう。市。
「あのなー。市はお兄ちゃんの後に付いてくるだけでいいんだ。ムリして欲しくない」
「どーしてー?」
「市はな、お兄ちゃんのアイドルなんだ! いつも明るく元気にニコニコしてくれてたら、それだけでお兄ちゃんは嬉しいんだ」
天井の板が外れ、藤吉郎が顔を出した。
「お呼びでするか? ウッキー」
「誰がオマエなど呼ぶかいっ!」
兄妹水入らずの会話に勝手に入ってくんな、ちゃっちゃと仕事しろっ。
「そんなこと言わないで、お兄ちゃん! わたしだってやるときはやるんだからっ。見て見てーっ」
「うーん。わ、分かったよ。えーと?」
以下、箇条書きでお伝えする。極力原文ママといきたいが、基本訳文なので悪しからず。
いち。ケーキ屋を作って甘々攻撃を仕掛けて家来たち全員を虫歯にしちゃう。
――うーん、カワイイな。
に。堺の商人からお菓子をいっぱい買って、買いすぎてビンボーになる。
――また甘いモノネタか。というか、とっくに織田家はビンボーだぞ?
さん。農民さんたちを困らせてヤル気をなくさせる。
……あ、いや、既に伊勢方面でヤバい事になってる。滝川という男が裏工作して火付けしてると聞くが詳細は任せきりだ。自分の眼でも確認しとかなきゃ。
よん。魔王を名乗る。みんなゼッタイに引くよ?
――引くだろ。そりゃ。これは採用に値するな。恥ずかしいが背に腹は代えられんか。
まだあるのか……。ご。人の嫌がることを敢えてする。
「人の嫌がることって?」
「うーんと……たとえばね、いっつも朝とかに《なんまいだー》とか歌うたってる丸坊主の人たちがいるでしょ? その人たちのジャマをするの。『気に入らねーんだよ』とか、一方的にキレてさ。これってだいぶヒドイ人だと思う。はっきり言って大悪党だよ。みんなイヤがるよ。きっと」
「それ、ボクがするの? ヤだなー」
「何事も本気でしなきゃ、叶いっこないよ?」
ろく。将軍さんを怒らせる。
――どーゆ―コト?
「こないだ会った将軍さんってこの国の王様なんだよね? この人を敵に回したら、みんなも敵になるんじゃない? まわり敵ばっかになれば、織田家は袋ただきに遭うだろうし、すっきり気持ちよく滅びられると思うんだ。どーかな?」
うーん。まあ、そりゃそーだが。
あんなヘボいおっさんに何ができるんだっての。
「市。ホント、ありがとな。でもな、何度も言うけどお兄ちゃんは、市には苦労させたくないんだ。心配すんな。お兄ちゃんが市の事を守ってやっから。市は何かオモシロオカシイ遊びでも見つけて、それに夢中になっててくれたらいい」
「ぶーっ。そんないい方されたら、市はお兄ちゃんのマスコットでしかないって落ち込んじゃうよ!」
「それはカン違いだ。市はお兄ちゃんの生き甲斐で、分身みたいなモンだ。とにかく大切にしたいだけだ。それは分かってくれるな?」
突如ふすまが開いた。勝家が平伏している。
「お、お呼びですか? 遅くなりました」
「呼んどらんわいっ」
「あーっ。勝家ー。久しぶりだぁ。わーいっ」
「サ、サルぅ、騙しおったなぁ! おわっ、市さまっ?!」
サルと勝家、減給すっぞ!
「……お兄ちゃん」
「な、なんだ? 市?」
飛びついていた勝家から離れ、ボクのカオを覗き込んで来た。
「あのね? わたし、お兄ちゃんのお役に立ってる?」
「へ? そりゃ立ってるともさ! 当たり前の話、するなって」
ホントかなーと、市はいつになくしつこく、ボクにまとわり続けた。こんな市も悪くない。といいますか、非常にウレスィー!
「……お呼びですか、殿」
「今度はテメエかっ、佐久間っ!」
「てか、怒ってらっしゃる? ではドロンいたします」
「しろ! 永遠にしろ!」
ジト目の市が「また、ハラスメントー」。
うんうん。また怒られた。
てへ。




