120話 本能寺は大火で④
信長さまを亡き者にする。
ええ。
その決心に揺らぎはありません。
が、どうしても確認したい事がありました。
「帰蝶さま、ひとつ、よろしいですか」
「なんじゃ?」
「わたしが邪魔しないまま、信長さまが天下を収めてしまった場合に、その後日ノ本がどうなったのかという書物はありそうでしょうか?」
「ふむ? そういう類のものか? 無いことは無いぞ。但し絵空事と見るべきと思うが?」
「イカスルメル星と我が地球は似て非なるモノ。全くの別物という理屈ですね? 分かっております。正論です。それでも構いません。参考にするだけですので」
「いずれにせよ、儂には難解すぎて細かい内容は分からぬがの」
帰蝶さまは本棚から一冊の本を持ち出されました。
「光秀は、世界の絵図を見た事があるか? ……これなんじゃが」
「はい。この小さな島が我が国なのですよね」
「旦那は、この朝鮮国から唐明の一部まで征服したであろう、という事じゃ」
「日ノ本の大きさに比べると広大な地ですね」
「イカスルメルの歴史書によると羽柴秀吉めも妄動して半島を侵略したとあった。これはアウトではなかったかと勘繰っておる」
帰蝶さまはソファに胡座をかき説明してくださいました。
「日ノ本の歴史を研究しておる学者の意見は様々あるようじゃが、通じる点がひとつある」
「なんでしょうか?」
三本、指を立てておっしゃいました。
「徳川の世は、信長、秀吉の両名から引き継がれたという事実じゃ。三人がおのおのどのような方針をとったのか、そこを検証すべきじゃと思う。まず、織田信長。ヤツは天下布武を掲げて他勢力と渡り合ったよな。役に立つを思えば、どんな異文化も積極的に己が内に取り込んだのも特徴じゃ」
「一時の利害にこだわらず、あらゆる可能性に挑まれました。そのおかげでわたしたちは随分振り回されましたが」
苦笑いした帰蝶さまは、紙に字を書いて披露されました。
「次世の秀吉は、【天下惣無事令】というものを発した」
「はあ……。御法度のようなものでしょうか?」
「強大な武力を後ろ盾に、すべての戦を禁じたんじゃよ。自らの仕出かしを棚に置いての」
「それで、天下の統一が成し得たのですか?」
帰蝶さまはしたり顔を浮かべられました。わたしの質問を予期していたのでしょう。
「そこが、アヤツならではの芸当じゃな。大名衆に耳打ちするんじゃよ。『戦を停止して拙者の仲間になれ。仲間になれば、敵から守ってやるぞ?』とな。無論、合力の約定はしっかりと果たす」
「なるほど。そうすれば同心が増えますね」
「さようじゃ。戦さもせずに勢力をのばし天下を手中にするとは、大したヤツよ。……その後の行いは頂けんがの」
「帰蝶さまは【天下布武】をどのような存念でとらえておいでですか?」
「あまねく天下を武力をもって制する。ノブらしい発想と見るが? 思い違いと申すか?」
「恐れながら。これを表明されたのは、義昭公が京におられた時期。その頃の京畿は争いが絶えませんでしたので、それを表わされたとお聞きしております。当時の【天下】は京畿に限定されます。また、
【布武】は、解りづらいですが【戈】を【止める】ことを【発布】する。という意味だそうです」
「……それをあのノブが?」
「いえ、まさか。高僧の請け売りと伺いました」
「カカカ。そうよの」
帰蝶はお腹を抱えてソファ上で転げました。
おみ足がはだけてます!
「じゃが、ノブは戦に明け暮れておったぞ。幾ら泰平を論じようが【諸説あり】で片付けられるじゃろうな。ノブの、人となりに対する後世の評価は恐らく変わらんぞ」
「ところで、秀吉さまの治世はどこがいけなかったのですか? 【天下惣無事令】って、いかにも良い響きですが……」
「秀吉の時代は、気の毒だが意外に短く終わったらしい。口達者でお調子者のアヤツに権勢が集まりすぎたのではなかろうか。独裁者はいつの世も年月経ずして反目される。あっという間にボロが出た……という具合じゃ。……で、最後に徳川、じゃな、コヤツ最も高く功績が讃えられておるのは【鎖国令】」
「鎖国。どういう意味ですか?」
「文字通り、国を鎖で覆うとの意よ。日ノ本を外界から切り離したのだ。つながりを絶とうとした」
「なんだか陰とした掟のように感じますが?」
「夷狄戎蛮とされた異国からの脅威を防いだことと、それにより日ノ本独自の高い文明が醸成され、結果的に長期の泰平が紡ぎ出された功は大きい……と書いてある。さらに一方では【がらぱごす化】が進行し、江戸期の崩壊が一気に進み、明治という新しい御代に素早く移行できたという肯定的な見解もあるそうじゃ……」
帰蝶さま、お目がぐるぐる回っておられますよ?
必死に文字を辿っておいでです。
わたしにはちょっと理解が難しいですが、帰蝶さまも同じなのでしょう。
「信長さまのように国を広げてしまうと、民を守れないと?」
「唐天竺への出兵はあまりにも代償が大きい。守るべき民が膨大となるばかりでなく、我々にとっての敵も増す。攻めるだけでなく、備えのための兵もおびただしく要る。ますます割付けが困難となる。貿易の利は増すものの、我らの古来の文化、財産の流出もまた、懸念される」
「唐入りは無用の四夷らを招く呼水になり得る。という事ですか」
帰蝶さまが再び筆を走らせます。
「実は【民度】なる言葉がある。大層難解なる語だが、この鎖国中の江戸期にそれが高まったとも言われておるのだ。民らの安寧とともに教養、文化、礼儀作法などが総じて良くなったとの評価じゃ。【鎖国令】によって民らが成長すると言うのであれば、儂らも頷かざるを得んだろう」
……概ね理解しました。
わたしの内の覚悟もしっかりと定まりました。




