118話 本能寺は大火で②
「うーんと。あのう、これって何かの冗談でしょうか?」
渡された本に目をやり、わたしが最初に発したのが、この一言でした。
戦に明け暮れた時代から、泰平の時代へ。
室町幕府の後期、戦国時代から安土桃山時代、そして江戸時代へ。
――などと書いてあります。
室町……というのは京の室町御所のことでしょう。
将軍家のお家騒動から始まった応仁、文明争乱以降を【戦国時代】と名付けているようですね。これは得心できます。確かに呆れるほど戦ばかりの時代でしたものね。
その次が【安土】。
ひょっとすると、あの安土城が時代の中心になっているということかしら。
でも【桃山】というのが解りません。さらに【江戸時代】というのも……。
これから泰平の世になっていく――というのは理解できましたが。
いえ、そうじゃありません。
わたしが一番目を引いたのはそこじゃなく、
「織田信長、本能寺で明智光秀に討たれる」
織田信長が、本能寺で明智光秀に。
討たれる……。
討たれるって?
……本能寺で?
この明智光秀って、わたしですか? わたしのことですか?
「これって、どなたかの創作本なのですか? わたしを陥れようとする何かの陰謀なのですか? わたしに恨みを持っていらっしゃるどなたかが……」
興奮が止まりません。
何なのかしら。一体何なのかしら!
「ま、落ち着け、光秀。これをやろう、な? じゃが、ほどほどにの。儂みたいになるでな?」
戸棚を漁った帰蝶さまから手渡されたのは……。
……コナソドリンク。
若返りの妙薬です。過去に一度、知らずに飲んでしまいました。
「わたし、もうコレ飲みません。自然に歳を重ねるつもりです」
「いや、歳は取るらしいぞ? 儂も見た目こうじゃが、ある日、時が来たら『コロッ』と逝くそうじゃ」
「なおさらイヤです。それキライです。いえ、でも少しなら。ああ、やっぱりキライです!」
「とにかく落ち着けい」
そうでした。わたしはこの本の内容に取り乱していたのでした。
これ、西国に去られた足利公ならお書きになりそうです。
そうか。
そうですよ、あのお方の戯れ本なのでしょう。
……なんだ。簡単な事でした。
「いや。これは、れっきとした歴史書じゃよ。この日ノ本のな。つまりはここに書かれているのは、実際起こった出来事なのじゃ」
帰蝶さまは、申し訳なさそうに唸りつつ首を横に振られました。
――はあ。
わたしは、これから信長さまを殺めるのですか……?
信長さまを?
本能寺で……?
ふむう。
ナルホドそうですねー。
信長さまは最近、少数の兵ばかりで行動されてますし。
ホント、隙ばかりですし。
ご油断、慢心、驕り高ぶり、そのクセ怒りっぽくて駄々っ子みたいで。
……ですねぇ。
……例えばこの本能寺、二万も持たせて頂ければ充分陥とせる自信がありますよ。
四方に大軍連れた強敵もなく、目論見を邪魔立てする人もいませんし……。
いえいえいえいえっ。
それは違いますっ。
出来る出来ないの話ではなくっ!
ヤルか、ヤラレルか!
それもゼンゼン違いますう!
「お主。表情オモシロイぞ」
帰蝶さま、黙っててくださいませっ。
何でしょう、何か忘れている気がします。
何かが引っかかっています……。
「……あ」
思い出しましたよ。
「帰蝶さま、ご心配には及びません。だって信長さまはイカスルメル星人なのですから、なりすました時点で既に歴史は変わっているはずですよ?」
そうです、歴史を変えて良いのですよ!
「……しかしの。儂もこの本はただの参考でしか無いと、はじめは思っておったよ。……はじめはな」
帰蝶さまは、更にもう一冊の本を見開きにして、わたしに手渡しました。
「これは?」
「織田信長の年表じゃよ。起こった細かい年月日はまったく違うのだが、織田信長と称した人物の行った事と、本来イカスルメル星人の織田信長のした事は、比較してみてどうじゃ?」
「はあ。え……と……」
年代順に項目を文字に起こしてみましょう。
ええと、織田信長の生涯――。
・尾張統一
・桶狭間
・楽市楽座
・足利義昭上洛
・信長包囲網
・金ヶ崎の退き口
・武田信玄襲来
・比叡山焼き討ち
・姉川の戦い
・浅井、朝倉滅亡
・室町倒幕
途中から気持ち悪くなってきました。
・手取川の戦い
・長篠の戦い
・本願寺との和睦
・信長包囲網の終焉
・安土築城
分かりました。よく分りましたとも。
起こった年月は違っても、マニュアルに沿ったように、歴史の大きな流れは変わっていませんね。
「いえいえ、むしろ『信長さまが日ノ本六十余州を一統にされた』で良いのではないですか?」
「それなんじゃがな。その歴史書、最後のあたりを見てみるんじゃな」
帰蝶さまはわたしの手元にあった本を入れ換えました。
後ろの方のページでは、世界大戦なる災禍があり、戦は繰り返されていました。
「残念ながら、戦は無くなっておりませんね」
「じゃな。我々の子々孫々は我ら同様、不出来よ。しかしな、逆説的に捉えると別の解釈も出来る。ちなみにその本の最後は何年で終わっておるかの?」
帰蝶さまの言われる最終ページを開きますと、
「二〇一五年?」
「その年号は【西暦】、と申すそうで、今より四百年以上も先の世を示しておる。だからこそなんじゃよ。この歴史書によると、そんな遥か彼方の世においても儂らの子の子らは元気に暮らしておるというわけじゃよ。……儂はの、お市どのから教えてもろうた。『泰平の御代を築けなければ、織田家は滅ぼされる運命にある』とな……」
「織田家が滅ぼされる? それって、イカスルメル星人が我らに干渉してくるという事でしょうか?」
「ああ。そういう事じゃな。イカスルメル星がどのような星で、どのように悪さしよるのかは知らんがの」
イカスルメルの干渉とは、わたしたちが彼らの支配下に置かれるとかを意味するのでしょうか? それともわたしたちのことを【無かったこと】にするというのでしょうか。
「しかしながら繰り返すようですが、信長さまはこの日ノ本をほぼ安寧に導きました。全州を泰平にするのは最早時間の問題かと。イカスルメル星人とやらにとやかくされる筋合いは無いのではないでしょうか?」
「儂は正直、戦は繰り返されるというのは止むを得ないものなのじゃと思う。人の性ほど愚かな物はなく、それをたかが一個人が矯正できるなどとは笑止すぎて話題にする気も起らんよ。……儂の懸念はそこではなく、その【安土時代】の続きにある」
「続き……でございますか? わたしが信長さまを害するという?」
帰蝶さま、お煎餅を鷲掴みにして口に放り込みました。
ものすごい音を立てて咀嚼され。
「歴史書に『織田信長はもう不要』と書かれていると申しておるのじゃ! 市がこうも申しておった。『お兄ちゃんが本気出したら日本の平和なんてあっという間に実現しちゃうよ』……と」
口を動かしながら、帰蝶さまがポロポロ泣き始めました。
「『でもそれ以上の活躍をしたら、コペルくんに消されちゃうかも知れない』などと言うので、儂は何故じゃと問うた。すると、『織田家は日本を平和にする役目を果たすだけでいいらしいの』……そう言いおった」
わたしは混乱するばかりの頭を必死に立て直し、問い詰めました。
「信長さまが、天下統一するのは誤りだと言われるのですか? 世を泰平に導くのが罪だと? わたしには到底解せませんが」
「儂にも解せぬよ! じゃが、ひとつ言えることは、世の中というものは、この日ノ本の内だけではとどまってはいないと言うことじゃ。日ノ本の泰平が成った後、本朝以外の大唐、天竺には最早織田家の果たすべき役割などは無く、役割が無いことで四百年先の我らの子らが元気に暮らしておる……。そういう理屈がまかり通っておるということじゃ! この本によると確かにそう解釈するほかないのだ!」
「わたしは別に、織田家に執着しているわけではありません。信長さまに至っては数えきれない程欠点を抱えられた御仁だとすら思っておりますし、仕方のない御方だと呆れかえっております。だけど、それでも信長さまは我らの御旗、拠り所。掛けがえのない存在です。正直に答えてください。それでは帰蝶さまは、本当にわたしが信長さまを葬り去って良いとお思いなのですか? あの方を消すべきだとおっしゃるわけでございますか?」
「良いなどと思うわけがなかろう! そんな戯言を申すヤツなど素っ首刎ねちゃるぞ、バカっ」
即答されました。
気持ちがいいほどの早さと、威勢の良い啖呵です。
涙目も可愛いです。




