117話 本能寺は大火で①
わたし、名を明智十兵衛光秀と申します。最近は下賜頂いた惟任さん、とか、官名の日向守さま、なんて呼ばれたりもしますが、実は【じゅうべえ】さんとかが密かにお気に入りの呼び名です。
……決して口外しませんけど。だってあまりに男性っぽい名でしょう?
はい?
そうですよ。
わたし、女です。
大河ドラマ? なんですか、それ?
ときたま何か勘違いをされる方がいらっしゃいますが、わたし、女ですよ?
この際だから強調しときます。
さて、わたし、明智光秀が織田帰蝶さまに呼ばれ、本能寺にやって来たのはようやく梅が蕾を顕し始めた頃、時折まだ降雪もあり、朝晩の冷え込みも身に堪えるような時期でした。
「わあ。素敵」
見渡せば、久しぶりに訪れた京の都、数年間平穏な日々が続いてますので、復興著しいですね。
わたしたち織田の衆が日ノ本津々浦々に派遣する軍兵を振り分けるのに当地を利用していますので、自然と人や物の流れも多い。経済が活性化しているのも当然の事なのでしょう。
――にしても、到着しましたこの本能寺。
【ここは本当に寺なのですか?】
そう誰かに尋ねたくなりますよ。
周囲は部外者一切を拒む深い堀が穿たれてるんですが、一歩寺内に足を踏み入れますと、そこには無数の宿坊が立ち並んでいて、僧侶ではない方々が起居しているのです。
一般的にお寺というものは、行者修行や衆生救済を行うための仏堂などがあるものですが、この本能寺はまったく違うのも大きな特徴です。
実際ここは、一大生産拠点なのです。
――そう、【鉄砲】の。
泉南の堺や近江国友出身の鍛冶衆が大勢住み込み、日々己の業を競い合っているのです。
無名の職人が叩門し、気の遠くなるような奉公修練の末に匠の技を得、名工の名を為していく場でもありました。そういう意味で、まさにここは人・モノ、鉄砲技術の粋を集めた日ノ本一のマザー工場であり、数々のブランドが生まれいずる要となる地でありました。
そんな本能寺の一角に、帰蝶さまは【しーくれっとるーむ】なる奇々怪々な草庵を造り、ほぼそこを自室にしておられました。
引戸をノックし開けますと、大口で煎餅をかじり、だらしなく寝そべって読書する帰蝶さまとかち合ってしまいました。しかし気になさるご様子もなく。
「おおーっ。忙しい中すまんな、光秀よ、ちょっと気になったことがあってな」
「いえいえ。こちらこそ、暫くぶりでございました。誠にお変わりなく……」
と時候の挨拶ついでに、
「帰蝶さま。その、……おみ足が少々乱れておりますよ?」
「おー? パンツ履いてるから大丈夫だぁ」
「ぱ、ぱんつ? と、とにかくはしたないです!」
「いーから、いーから。まー座れ」
帰蝶さまに勧められるまま、長椅子に。
更に、茶と煎餅も出してくれました。
……なんだか、ブ、キ、ミ、ですよね?
そんなわたしの意に反して、帰蝶さまは数冊の本をテーブルの上に置いて、わたしの面前のソファの上で胡座をかきました。……だからそれ、はしたないですってばっ、帰蝶さまっ。
「……てへへ。儂ものう、信長旦那のことをとにかく理解して心を鷲掴みしようとの。努力のつもりでイカスルメル星から歴史本と、織田信長に関する書物を取り寄せたのじゃが、なかなかにムズかしゅーてのう。でもすっごくタメになるぞ?」
「はい、誠に良い心掛けでございますね! 故郷でもあのお方は有名人なのですね! 敵を知り、己れを知れば百戦危うからず、ですからね。恋愛についても同じことが言えましょう。信長様についてずいぶんご参考になった事でございましょう」
「ああ、参考になった……」
おや?
急にテンションが下がりました。
表情が暗いです。
訝しがっていましたら、
「一応聞くがの、昨今の重臣どものチョーシはどうじゃな?」
「は、はい。それならば羽柴さまと荒木どのが中国方面の高松城で交戦中。滝川さまは駿河・相模表で北条氏と拮抗。柴田さまは浅井さまとともに能登・越中に進出し上杉氏と対峙、丹羽さまにおかれましては、四国へ渡航の準備を行っております。……といったところでしょうか」
帰蝶さまは目をつぶって、いちいちうなづいています。
「ちなみに本願寺と雑賀はどうかな」
「本願寺とは和睦が成立しまして、それにより雑賀衆は解散しています。頭領の孫市どのは我が軍に恭順しましたので、今後組織だった反発はないと思われます」
「では、徳川家康は今どうしている?」
し、質問攻めですね。
何をお聞きになりたいのでしょう。
帰蝶さまは、今度はしかと目を開け、わたしの目を覗き込みました。
「は、はっきりとは分かりませんが。あ、聞いてください! この前、安土のお城で徳川さまを接待することになりまして。そのとき名物の鮒寿司をお出ししたんですよ。そうしたら徳川さまったら、美味しいって感動されて。信長さまに誉めてもらえたんですよー!」
「そうか」
考えるように首をひねった帰蝶さまは、もういちど確認するようにお聞きになりました。
「お主、他に何か言われなかったか?」
他に?
「……ええ、はい。二万の兵をまとめ、羽柴さまの後詰めをするようにと」
すると、両手をワキワキさせて頬を強張らせた帰蝶さま。
……コワイです。
「そのとき! 他に付け加えられなかったか?」
「今のわたしの領土を召し上げ、代わりに毛利家の領土をくれてやる……と言われた話しですか?」
沈黙した帰蝶さま。うーむと唸っています。
なす術のないわたしは、帰蝶さまの口の周りについたお煎餅のカスを眺めていましたが、やがて問い掛けてくださいました。
「それ。……お主、その話はいいのか?」
「わたしには、荷が重いという事でしょうか?」
「えっ? 違う! ……プライドとか、当面の家臣を食べさせる糧が無くなるとか、……信長憎し! とか、……信長死ね! とか、……信長殺す! とか、……信長殺す! とか、……無いのか? という事じゃ!」
帰蝶さま、途中から感情的になられ二回言った言葉もございましたが、とりあえず返事いたしましょう。
「わたしも奮励して得た封地に執着が無いと言えば嘘になりますが、他の領土に変更というだけの事ですからね。没収では無いのですから、むしろ楽しみの方が大きいですね。それに羽柴さまの事です。兵糧の準備は完璧でしょう。わたしは少しも心配していませんよ?」
「そうか」
それでも帰蝶さまの思案顔は止みません。
「そうなんじゃ……」
まだまだ帰蝶さまは考えておられます。
「そうか、そうか」
帰蝶さまは、しつこく考えておられます。
「そうなのですが、何かありますか?」
キリがな無さそうなので、こちらから水を向けました。
帰蝶さまは意を決した表情をして、一冊の本を開いた状態にしてわたしに預けました。
「実際、儂らが置かれている状況は、こんな感じなのじゃよ」




