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ツンデレ男子と魔界怪奇譚  作者: 橘樹 啓人
第一部 TWINKLE TAIL
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「魔物が見える眼」

 ドラゴンの容貌をまとった巨大な漆黒の身体を前屈みにして、背中の双翼をバタバタと揺らし、獲物を狙うような眼つきで大河を見下ろしている。

 その怪物の姿を認めた瞬間、大河は声にならない悲鳴を上げ、一気に金縛りから解放されたように少女を追い越し、一直線に走り出した。自宅とは正反対の方向だが、知ったことではない。疲れなどとっくに忘れ、半狂乱になりながら走り続けた。勿論、後ろを振り返る勇気などあるはずもない。


 しばらく走ると、信号を渡った正面に公園が見えた。とりあえず、あそこに隠れていよう。大河は公園前の横断歩道を渡りきると、公園の中へと逃げ込んだ。


 中央には三段になった正円形の大きな噴水があり、その四方を二人がけのベンチが囲み、さらに公園全体を森の一部を切り取ったような鬱蒼とした木々が取り囲んでいる。大河は小学生の時に何度かこの公園に足を運び、好桃や仲間と隠れん坊などをして遊んだ。特に木が茂っているエリアは森林のような趣があり、身を隠すのには絶好の場所だった。

 大河は迷うことなくそこに向かい、腰くらいの高さのフェンスを飛び越えて一本の木の陰に身を潜めた。


 辺り一帯に木や草が生い茂り、当然ながら夜は暗い。噴水の周りとは違って、そこには電燈らしきものは一切ない。しかし、そこは道路に面しているのもあって、街灯や道路を通る車のヘッドライトの輝きが届き、何も見えないほどの暗闇ではない。


 草木特有の匂いが鼻を刺激した。秋頃になれば、ここで虫たちが合唱しているだろう……ということを考えている余裕は当然ない。周囲に視線を巡らせて警戒したが、幸い何かが追ってくる気配はない。大河は安堵し、木の幹に背中を預けて座り込んだ。

 荒れた息を整え、冷静になろうと試みたが、いまだ不安は拭えない。やはり、まだあの夢のから帰還していないのだろうか。しかし、あの時よりも意識が判然としている。間違いなく、これは現実だ。


 ――やっぱり、夢じゃないのか?


 また、徐々に動悸が激しさを増していく。


 そこに、草や木枝を踏み軋るような音が聞こえた。誰かがこちらに近づいてきている証だ。

 だが、大河の体力は底をつきかけている。すぐには動けない。大河は心の奥で手を合わせ、「来るな」と念じていたが、それも時が経つごとに「どうにでもなれ」という開き直りの感情に変わっていった。

 やがて、足音が止んだ。後ろから、誰かに見られている気配がする。気のせいではない。


 大河が恐る恐る振り返った先には、先程の少女が立っていた。腰に巻かれた青いリボンが夜風に揺れる度、彼女から奇々怪々としたオーラが放たれる。人形のような整った容姿に無表情も相俟って、この世のものとは思い難い何かに思える。


 少女は再び足を前に踏み出し、大河との距離を詰めた。


「ずっと探していた、私が見える者を」


 またよくわからないことを言う。無論、大河にも意味が読み取れない。何が「見える」というのか。その場にいるのだから、見えて当然ではないのか。

 少女の意味不明な言動に翻弄され、大河の「恐怖」は次第に「怒り」へと切り替わった。


「だから誰なんだよ、お前。なんで、俺につきまとうんだ」


 吐き出すように大河が叫ぶと、少女は少し間をおいてから返答した。


「私はジカル。そして、魔界からの使者」


 やはり、高原と同じ匂いがする。しかし、中学生くらいの女子であるなら、こんな真夜中に出歩くのは不自然だ。また、風貌も日本人とかけ離れすぎている。ジカルと名乗るこの少女は、どこから来たのだろうか。

 近所に住んでいるのであれば、少女が誰であれ、保護しなければならないだろう。大河は、再び彼女を見つめ、尋ねた。


「なあ、ほんとはどこに住んでるんだ?」

「魔界」

「いや、そういうのはいいから……」


 大河は肩を落とした。このまま無視して帰ってやろうかという気にもなったが、やはり放っておくわけにもいかないだろう。しかし、警察に連れていったとしても、大河も高校生なので補導されてしまう。

 となると、彼女を家まで送っていくしかない。


「正直に答えろ、住所は? それとも、観光客か? それなら、泊まってるホテルの名前を教えてくれ」

「お前に夢を見せたのは、私」


 まるで話が噛み合っていない。大河はもう一度、同じ質問を繰り返そうと立ち上がった時、ハッと息を呑んだ。昨晩見た夢を思い出す。

 次に頭の中に浮かんだのは、先ほど襲ってきた怪物の姿だった。


 ――まさか、ほんとに魔界から来たのか?


 大河から、瞬く間に血気が抜けていく。だが、そんなことを顧みる風もなく、ジカルという少女は話を続けた。


「私が、お前の意識だけを魔界へ呼び寄せた。それは、お願いがあるから」

「お願い……?」

「魔界からこの世界へ逃げ出してきた魔物たちを、退治してほしい」


 当然のように、大河には相手の言ったことの意味がわからなかった。

 魔界など――本当にあるはずもない。これまでもずっとそう信じてきたのだ。……魔界などといった異世界の存在は、御伽噺に過ぎないのだと。


 わからない……何も信じられない……。大河は俯き、ただその場に立ち竦んでいた。


 数分間の沈黙の後、少し落ち着きを取り戻した大河は顔を上げ、ジカルに訊いた。


「……魔界なんて、実在するのか?」


 ジカルは黙ったまま、静かにゆっくりと頷いた。


「さっき、逃げ出してきた、って言ったよな? 何のことかわからないんだよ。もう少し順序立てて説明してくれるか」


 次いで、先ほどのジカルの話を掘り下げてみる。まだ完全には信用していないが、ジカルの顔は真剣だった。彼女の表情から感情といったものは一切読み取ることはできないが、大河には何故だかそのように見えたのだ。


 ジカルは大河を見つめたまま頷き、口を開いた。


「魔界は、魔族や魔物が共存して暮らしている世界。魔族は魔力を行使し、魔物を手懐けることも可能。その魔物が、何者かの手によって人間の世界に放出されてしまった。だから、魔物がこの世界で繁殖する前に、すべて駆逐してもらいたい。この世界を守る手段は、今はそれしかない」


 まだ概略に少々不備があるようにも思われたが、それよりも大河の中にどんなに思考を巡らせようとも腑に落ちない、一つの疑問が生まれた。


「なんで……俺なんだ?」

「お前には、魔物が見える。私の姿も、実体あるものとして目に映すことができる」


 ジカルは答えるが、依然として大河は彼女の言うことを解さなかった。


「さっきも思ったんだけど、その【見える】ってどういうことだよ」

「《魔視まし》を持つ者にしか、魔物を見ることはできない」

「魔視?」

「魔物や魔族を見ることのできる能力」


 不穏な響きを含むジカルの返答に、大河はますます眉をひそめる。自分に、そのような能力が備わっているとでもいうのか。


「俺には……その《魔視》とやらがあるのか?」


 確認の意味も込めて問い質すと、ジカルは小さく頷いた。


「魔物は、魔視を持たない人間には見ることはできない。加えて、危害も与えない」


 ジカルはそう言うと、さらに数歩、大河に接近する。


「これは、魔視を手にするものにしか頼めないこと。どうか、力を貸してほしい」


 暗澹とした濃紺色の瞳で真っ直ぐ大河を捉えながら、少女は言う。しかし、大河もすぐには頷けない。


「このまま放置すれば、この世界は魔物に侵され、人間が滅びる恐れがある」


 続けざまにそう話すジカル。大河はそれを聞いて、右の眉を引きつらせた。


「……見えないやつには危害を加えないんじゃなかったのか?」

「そう。だが、このまま魔物が増幅し続ければ、魔物の数が人間の人口を大きく上回る時が来るかもしれない。魔界に住む魔物の個体数は数百億といわれる。勿論、魔物が見えない人間にはその間、何が起こっているかわからない。何も対処できないまま、世界の終焉を迎えることになるかもしれない」


 聞けば聞くほど、信憑性の薄い話だ。けれども、二つほど引っかかる点がある。無論、一つはジカルだ。仮に悪戯であるなら、何故こんな時間に見るからに未成年の少女が出歩いているのだろう。大河のように、誰かに呼び出されたという感じでもなければ、買い出しのために外に出たという感じでもない。

 そして、もう一つは――


「なんで……俺だけに見えるんだよ、その魔物が」


 俯きながら呟くと、大河の耳に凄然としたジカルの言葉が入ってきた。


「魔視は、この世界に強い憎悪の感情を抱くことによって生まれる」


 大河は顔を上げてジカルを見た。彼女は冷淡な濃藍の双眸で大河を見つめ返しながら、さらに言葉を続けた。


「お前は……この世界に対して強い憎しみを抱いている」

「この世界を……憎んで……?」


 大河の中に一瞬、あの記憶がフラッシュのように黒い光となって瞬いた。


「裏切り、欲望、嫉妬……これらの負の感情によって限界まで傷つけられたその心は腐敗し、やがて邪悪なものへと変貌する。そして、いずれはこの世界を……」

「やめろ! その話はするな!」


 ジカルが言い終わらないうちに、大河は声を荒げながら両手で耳を塞いだ。


 そう、あの出来事から大河は変わってしまった。それまで信じてきたものに不信感を覚えるようになり、これまで彼を支え続けてきた家族でさえも疑うようになった。

 あれさえなければ――もっと素直になっていただろうか。そんな思考が、フラッシュバックした記憶の綱とともに手繰り寄せられた。

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