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ツンデレ男子と魔界怪奇譚  作者: 橘樹 啓人
第一部 TWINKLE TAIL
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「闇の幻惑」

 大河は自室のベッドに横になりながら、高原から借りた本を読んでいた。読むと言うより、ページをめくってはただ眺めているだけだったが。そこには高原が言っていた通り、不思議な夢を見たという人の経験談が中心に書かれている。

 しかしながら、大河はその大半を当てにしていない。所詮、夢は夢、現実は現実だ。おそらく、これらの人々は明晰夢か何かを特別なものだと勘違いしているのだろう。そう考えた方が、色々と合点がいく。深く考えないことに越したことはない。大河は本を閉じ、それを通学用の鞄の中に仕舞った。


 大河は、規則正しい時計の秒針音が響く部屋のベッドの上に仰向けに寝ると、やがて眠気を催した。今朝、好桃によっていつもより早い時間に起こされたためだと気づく。


 携帯に表示された時刻を見ると、とっくに十時を過ぎている。大河はそれを充電器に繋げると手を伸ばして傍の机の上に置き、上体を起こした。ベッドから降りて立ち上がり、着替えるためにクローゼットへ足を向ける。まだ寝るには早い時間だとも思えたが、眠くて仕方がないのだ。だが、クローゼットの扉を開けようとした時、また机上の携帯が騒々しい着信音を響かせた。

 こんな時間に……という不快感を覚えた大河は、それを一瞥した。


 結局、大河は机上で鳴り続ける携帯のところまで戻ると、荒々しく手に取った。好桃からだった。ロック画面には、しっかりと彼女の名前が表示されている。大河は、面倒ながらも電話に出た。


『あ、大河君! すぐに来て! お願い!』


 という、好桃の切羽詰ったような声が耳の中に流れてくる。「何があったんだ」と大河は口を開きかけたが、その前に通話は切れてしまった。


 ――またかよ。


 また睡眠を邪魔されたような気がして、大河は少々苛立った。しかし、行かなければ明日、学校などで好桃からぶつくさ言われそうな気がする。そうなっても面倒なので、仕方なく彼女のアパートに向かうことにした。


 制服のブレザーを肩からひっかけ、階段を駆け降りると偶然、風呂上がりの妹と出くわした。どこに行くのかと尋ねられ、大河は咄嗟に「コンビニに行ってくる」と返した。


「こんな時間に? 明日にしたらいいのに」


 妹は言うが、


「まあ……急用だからな……」


 と、大河も答えた。


 好桃は小さい頃からよくこの家に出入りしていたので、妹とも顔見知りであった。妹も好桃にはよく懐いているのだが、同時に心配もしている。大河が一週間に一度、好桃のアパートに行って掃除や彼女の夕食を作っていることも知っており、その度に「過保護だ」「自立させろ」などと言ってくるのだ。無論、大河もそう思っているが、好桃にその気がないのか自分では何もしてくれず、結果的につい甘やかしてしまう。

 そのことについても妹は嫌味たらしく、説教の色を滲ませながら言及してくるので、「面倒くさい」の量が半端じゃない。そのため、好桃に呼び出されても教えないのが大河の中では習慣となっているのだ。


 大河はそれから黙って玄関の方に行こうとすると、突然、妹が大きめの声で呼び止めた。


「あっ! 兄ちゃん、その怪我どうしたの!?」


 しまった、と思った時には遅かった。

 大河は右手の包帯を袖で隠すこともなく、自然に見えるような工夫も施していなかった。妹も大河の前に駆け寄ってきて、兄のその右手を取った。そしてそれを、じぃーっと眺め回す。


「……あ、これか? 今朝、野良猫に引っかかれてさ」

「兄ちゃん、野良猫触ったの? ダメだよ、病菌持ってるかもしれないし」


 好桃にも同じことを言われたのを思い出し、大河は口をつぐむ。すると、妹が大河の右手を粗雑に覆っている包帯を触りながら、言った。


「これ、自分で巻いたの? なんか変だから、直してあげるよ」


 そう言って妹が包帯を解き始めるので、大河は慌てふためいた。


「いいって、一人でやるから!」

「大丈夫だから」


 そうしている間にも、手の甲の肌が見る見る現れていく。包帯の隙間から、あの模様の禍々しい赤いラインも見え始めた。妹の反応が脳裏にちらりと浮かび、大河が手を引っ込めようとした時、完全にその手が包帯と分離した。

 しかし――


「あれ。どこも怪我してないじゃん」


 妹は眉をひそめながら、大河の右手を凝視している。大河も恐る恐る自分の右手を見ると、甲には赤い星型の模様が消えずに彫られているままだ。


「いや、だってこれ……」


 大河は咄嗟に、それを反対の手で指しながらそう言った。それでも、妹は首を傾けている。


「……私は何も見えないよ。兄ちゃん、大丈夫?」


 そんなに心配されるとは思っていなかった。大河は首を横に数回振ると、包帯を抱えている妹に背を向けて玄関の方へ歩き出した。


「大丈夫だ。行ってくる」


 短くそう告げてから靴を履き、戸を開ける。彼女が心配そうな視線を向けてくるのがわかったが、敢えて振り向かなかった。

 何故、妹には自分の手の模様が見えなかったのだろう。この模様は一体、誰が残したものなのだろう。いくつもの疑問や不安が、槍のように降りかかってくる。ここはまだ夢の中なのか、それとも現実なのか。それすらもわからなくなってしまいそうだった。


 大河は外に飛び出すと、何も考えないように小走りで好桃がいるアパートに向かった。


 煌々と灯る街灯が道路に光を投げ、道標の役を果たしてくれている。アパートに向かう途中、早歩きで進みながら何気なく空を仰ぎ見た大河の視界に入ったのは、濃紺の空に浮かぶ蒼白い満月であった。高原の話の通り、神の手によって守られているように白く、優しげな光を静かに差し伸べている。明々と射してくる月光は、時に大河の疲労をも癒やしてくれるようだった。


 月を見つめながらさらに二分ほど足を進めると、アパートの下に着いた。階段を上がり、好桃の部屋の前に立ってチャイムを鳴らす。すると、十秒も経たずドアが開いて好桃が顔を出した。今にも泣き出しそうな顔で大河に視線を送り、その瞳孔は少し震えているようにも見えた。


 呼び出した理由について尋ねると、好桃は先に大河を部屋の中に入れ、訳を話した。

 話によると、朱奈から今日貸してもらったホラー映画のDVDを見たら眠れなくなったのだという。好桃は一人暮らしなので、このようなことは一度や二度ではなかった。今までにも、大河は夜中にも関わらず、何度も彼女から呼び出しを食らうことがあった。


「もう高校生なんだから、そんなことで何回も電話してくんなよ」


 大河が落胆しながら話すと、好桃はベッドに座り込むなり言い訳を並べ出した。


「だって……ほんとに怖かったんだもん」


 それを聞いて大河も深く溜息をつき、


「じゃあ、早く寝ろよ。俺はもう帰るからな」


 と言って、部屋を出ていこうとしたその時、好桃が服の袖を引っ張ってきた。振り返ると、大河の目には口を閉ざしたまま俯き、何か言いたげに唇を動かしている彼女の姿が入った。

 心情を読み取ると同時に根負けした大河は、渋々好桃が眠りに入るまで近くにいてやることにした。


 好桃は安心したように頷き、寝室のドアを開けてバスルームの方へ駆けていってしまった。彼女がシャワーを浴びている間、大河は彼女の明日の朝食の用意でもすることにした。

 好桃がシャワー室から出てくると、大河は彼女が自室に入るのを見届けてから、そっと部屋のドアを少しだけ開けて彼女が寝たのを確認する。


 いつも好桃の世話焼きをするだけで一日が終わってしまう。本音を言うと、大河はこのような日常から早く抜け出したかった。それでも、大河が闇のどん底にいた時期はこれまでのような我が儘は特に言ってこなかったので、一応空気は読めるようだ。


 廊下の電気を消してから、大河は外に出た。この時、部屋の時計の針は零時を過ぎていた。不用心なので、鍵を持ち出し、外から施錠する。そして、明日の朝にでも返せばいいだろうと大河はその鍵をポケットに入れ、アパートの階段を下りていく。


 大河は、急ぎ足で家までの距離を歩いた。父や妹は、もう寝てしまっただろう。大通りの方から車のクラクションなどの喧騒が届いてくる。しかし、好桃のアパートから大河の家までの道のりは人どころか、この時間は車の通りも少ない。


 今日は色々と変なことが起こりすぎて、大河の身体は疲弊しきっていた。

 早く寝床に入ろうと大河が足を速めようとした、その時。


「私のこと、見える?」


 聞き覚えのある声が、闇夜のどこからともなく聞こえた気がした。大河は咄嗟に足を止め、空耳だろうか……と思いつつ、周りを見渡す。


「見える?」


 今度は、はっきりと聞き取れた。幼い少女のように細く、それでいて図太い響きも含んだような張りのある声。それは、ちょうど大河の背後から聞こえてくる。大河は背に、まるでそこに氷枕でも押しつけられたような冷たいものを感じた。それと同時に、冷汗も頬を流れる。


 誰かは察知していた。それゆえに、息が詰まるほどの恐怖も感じた。息を吸い込み、一気に吐き出すと、大河は意を決して後ろを振り返った。


 そこに立っていたのは、下校時に学校前のあの場所で見たあの少女であった。確かにそれは夢の中に出てきた少女だった。数メートル先の街灯の傍で身じろぎもせず、じっと大河のことを凝視しているのだ。

 大河の全身をこれまでにないほどの戦慄が走り、黙って少女を見つめ返すことしかできなかった。それだけでなく、少女の風貌から佇まいまでもが恐ろしく感じられた。これは人間ではない――とさえ思えるほどに。咄嗟に逃げ出したいという衝動が湧いたが、大河の足は金縛りにあったように動かなくなっていた。大河は再び夢で体感したことを思い出し、叫んだ。


「マジで誰なんだよ!」


 ようやく言葉を出せたが、少女は依然無言のまま口を開かない。人間なのか、そうでないのか。この辺りに住んでいるのか、どこか遠くの国から来たのか。様々な疑問が、またしても襲ってくる。


「誰だよ、お前。どこに住んでるんだ?」


 その質問にも、彼女は全く応じる様子を見せない。


 すると電燈の傍らに立ち尽くしていた少女が突然、大河の方に近づいてきた。大河は咄嗟に一歩後ろに退った。しかし少女は足を止めることなく、みるみる大河との距離を詰め、やがて彼の眼前で立ち止まった。そして、次に彼女は言葉を発した。


「やっぱり……見えるの?」

「な、何がだよ……?」


 大河がそう問い返した時、背後から何か巨大な影が現れ、彼を覆った。わけもわからず大河が振り向いた、その先には――


 ――は?


 夢で見たのと同じ、凶悪そうなドラゴンに似た怪物がいたのだ。

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