「ツインクル・テール」
向かい風を頬に感じながら、大河はペダルを漕ぐ。その途中、好桃の言っていた「大変なこと」というのは何かについて考えていた。いつもくだらないことで呼び出す彼女だが、あの慌てた様子はただ事ではなさそうに思える。
どうも釈然としない気持ちのまま、十分程度で自分の家に戻ってきた。自転車を庭に停めるとすぐ、玄関の戸を開ける。それと同時に、その音を聞きつけた好桃がリビングの中から飛び出してきた。
「大河くん、早く早く!」
興奮したような素振りで、好桃が大河の腕をぐいっと引っ張ってきた。大河は何があったのかと問うが、彼女は「早く」しか言わない。これ以上ここにいても埒が明かないので、大河は靴を脱いで中に上がった。
リビングに行くと、結紀が猫を抱きながらソファーに座っていた。
当然ながら、大河にはその状況が読めなかった。
「……なんで、お前がいるんだ?」
大河のその疑問に対し、結紀の代わりに好桃が答える。
「私が呼んだの。なんだか、心細くなっちゃって……」
二人が会話しているところすら見たことのない大河は少し驚いたが、好桃が急いでいた理由はまた別にあったようだ。
「それより、大変なの! この猫、尻尾が二本もあるんだよ!」
一瞬、大河には彼女が何を言っているのかがわからなかった。すると結紀も立ち上がり、猫を大河の目の前に持ってきた。大河がその猫の尻尾に目をやると、好桃の言った通り、それは二本に分かれているのだ。妙におぞましい感覚になり、大河は思わず後退る。
すると、猫はぴょんっと結紀の腕から飛び降り、大河の足許へ来た。そして、興味深そうに前足で彼の足をつついたりしている。だが、大河はそれを抱き上げる気になれなかった。
ここへ連れて帰った時は、大河には尻尾は一本しかないように見えた。ただ、それは二本の尻尾が絡まって、一本に見えていただけかもしれない。また、「猫の尻尾は一本だ」という先入観も手伝って、そう見えていたのだろう。と、大河は考えた。
それだとしても、この猫は一体、何者なのだろう。そう考えた瞬間、大河はあることを思い出した。
高原が見せてきた絵図の中で、【ツインクル・テール】は「尻尾が二本ある白猫」として描かれていた。
大河が再び視線を下に向けると、猫が丸い目を見開き、二本の尻尾を別々に動かしながら、彼を見上げている。
この猫が、【ツインクル・テール】なのだろうか。大河はやや混乱しそうになり、頭の中にある情報を一旦整理しようと、ソファーに腰掛ける。そして、瞑想するように目を閉じた。
数分後、少しずつ気持ちが落ち着いてきた時、香辛料らしい香りが大河の鼻腔を刺激した。
目を開けて振り返ると、後ろのテーブルには夕飯が並べられている。誰が用意してくれたのかと不思議がっている大河の隣に好桃が座って、言った。
「結紀ちゃんがね、今日は用意してくれたんだよ」
ふと大河が部屋の時計を見遣ると、すでに八時を回っている。いつの間にか、家を出てから三時間以上が経過していたらしい。そして、大河は自分の空腹に気づく。
「なあ……、先に飯食わないか?」
「そうだね、私もそう言おうと思ってた」
好桃は笑う。次に、彼女は結紀の方を振り返った。
「結紀ちゃんも一緒に食べようよ」
「私はいい。早く帰らないと」
表情を変えず、冷たく答える結紀を好桃は不思議そうに見つめる。
「どうして? せっかく用意してくれたのに。私、大河くんがいなくてどうしようかと思ってたから、すっごい助かったんだよ?」
「家族にも連絡入れなきゃだし、やっぱりいいわ」
結紀は、今度は好桃に微笑を返した。それを見ても、好桃は残念そうに俯いている。大河には、もう少し結紀と話がしたかった、と言いたげな顔に見えた。
しかし彼女は顔を上げると、笑顔になった。
「……わかった、今日はありがとね」
そう言うと、好桃は食器を取りに台所に行ってしまった。すると、また猫は飛び跳ねて椅子の背もたれに乗ると、まじまじとテーブルの上に乗った料理の皿を眺め始めた。そんな様子を見て、好桃はこう呟いた。
「そう言えば、この子、何食べるんだろう? お肉とか食べるのかな?」
――いや、食べるわけないだろ。
好桃の言動に呆れつつ、大河がやれやれと脱力していると、急に結紀が彼の腕を掴んだ。
「ちょっと、いい?」
耳元で囁かれ、大河は結紀の顔を見た。真剣な表情の彼女と目が合い、大河はまたもや嫌な予感を抱く。
「何だよ……?」
「話があるの、ちょっと来て!」
大河の話も聞かず、ぐいっと結紀は彼の腕を引っ張り、玄関の戸を開けて強制的に外に連れ出すと、そのまま庭先まで押しやった。
二人は向かい合い、しばらく互いに黙って見つめ合っていた。しかし空腹が絶頂の大河は、先に言葉を切り出して結紀を促した。
「話って何だ?」
「見せたいものがあって」
結紀は、左手で自分の右袖を掴み、そのまま上に捲り上げた。露出した右腕を、大河の眼前に突きつける。窓から漏れてくる家の明かりによってそれは照らし出され、はっきりと見えた。赤黒い、斑点のようなアザがいくつもある。
「私、これをみんなに見られないように年中長袖しか着ないの。体育なんかの時は、包帯とか巻いて誤魔化してるんだけど」
「なんで、それを……俺に……?」
大河は言いかけて、ハッと息を呑んだ。
「これでわかった? ……私にも見えるの」
結紀も、《魔視》を持っているのだ。魔界の話題に過剰に噛みついたり、自分の過去に対して執拗に警告してきたり、大河がずっと感じていた引っかかりは、これだったのだ。
「じゃあ……お前もジカルのこと、知ってるのか?」
「まぁね、最初は本気にしなかったけど。今日はちょうどいい機会だから、あなたにも教えておこうと思って。私がこれまで散々あなたに言ってきたのは、飛鳥さんに頼まれたからなの」
「好桃に?」
「そう。【ツインクル・テール】とかいうやつのの捜索をやめるように言ってほしいって、そう言ってきたの。それはあなたを自由にするためなんだって。あなたの自由を一番奪ってるのは私かもしれないって、自分を責めてるみたいだった」
「でも……なんで、好桃はお前にも魔物が見えるって知ってたんだよ」
「たまたま飛鳥さんと一緒に帰ってた時、あのジカルって子に会ったの。まあ、その時はちょっとおかしな子だと思って相手にしなかったわけだけど」
結紀は再び袖を下ろし、右腕のアザを隠した。続いて、こんなことを言った。
「多分、あの猫が【ツインクル・テール】だと思う」
「お前も……そう思うんだな」
大河もなんとなく気づいていたが、それは結紀も同じだったようだ。
「だって、尻尾が二本ある猫なんて普通いないでしょ。まあ、あの様子じゃ、飛鳥さんはまだ気づいてないっぽいから、あとであんたが教えてあげなさいよ」
結紀は、側にあるリビングの窓に目をやる。
それから再び数秒間の沈黙が流れた後、結紀が突然、呟くように発言した。
「こう見えてもね、私、昔はオカルトとか実は信じてたの」
急にそんな話をされ、大河は反応に戸惑った。しかし、何も口を挟まずに耳を傾ける。こうやって結紀と立ち話ができる機会自体、滅多にないのだ。
「魔法とか、神様とか、そんなのが本当にあったらなって思ってた。でも、そんなものどこにもなかった。あるのは、汚くて理不尽な現実ばかり。こんなことおかしいのに……なんで誰もおかしいと思わないのって、ずっと疑問だった。そんな世界なら、滅んでしまえばいい」
「…………」
周りの人間たちが、どれだけ彼女に酷いことをしてきたのか、大河にはわかる気がした。
「聳城。お前も……この世界の破滅を願っているのか?」
我慢できず、大河はつい尋ねてしまった。
「まあ、ちょっとは思ってるかな。あなたも?」
「……そうだ。けど、守らなきゃいけないものもある。好桃とか見てると、そう思うんだよ」
「ふーん。じゃ、やっぱり好きなんだ?」
思いがけず本音が漏れてしまい、大河の顔は一気にオーバーヒートしそうになる。
「べっ……別に好きとかじゃねえし!」
「前言撤回してもムダ。みんな知ってるんだから、少なくとも私はね」
結紀は大河を揶揄するような笑みを浮かべ、
「じゃあ、私は帰るから。また、学校でね」
とだけ告げ、彼の横を通り過ぎて道路に出ていこうとした。大河は咄嗟に振り返り、彼女を呼び止める。
「聳城!」
結紀は足を止め、振り向いて大河の方を見る。続けて、大河は彼女に笑いかけながら言う。
「お前、性格悪いな」
これが、今までの彼女にされたことに対するささやかな復讐であったのかもしれない。だが結紀も口角を若干上げつつ、返した。
「あんたに言われたくないよ」
大河はそれを聞き、右手を上げて結紀に手を振った。
「じゃあな」
「うん。じゃあね」
結紀は再び前を向くと、門の外に出ていってしまった。大河はその後、ただ彼女の後ろ姿を見ていた。その背中は堂々としており、しかしそれは逆に弱さを隠しているようにも思われ、彼女から諦念のようなものが垣間見られた。それが、大河の心をさらに不安にさせるに十分な材料だったことは、本人すらまだ気づいていなかった。
更新が遅れてしまい、申し訳ありません。
性格が似てると相性が悪そうで実はいいんだなって思いますね。
そういう人、周りに結構いましたし。知らんけど。
因みに、本日はあと1話アップ予定です。




