「マジカル・ゲート」
大河は自転車に乗って神社を目指していた。
少し道を逸れると、田舎道に入る。山の麓には民家が立ち並び、その向かい側には田圃が広がっている。大河はその道を抜け、厄封山の入口、「安命神社」に向かった。
神社の境内の下で、大河は自転車を停める。右を向くと境内に向かって石段が伸び、それを登ったところに鳥居があるのが見えた。そこをくぐってさらに石段を上がると、拝殿がある。その裏には、登山客用の道標が立てられ、山道に続く階段があるのだ。
夕日が背後から降り注ぎ、大河の首筋には汗が滲んだ。
「こっち」
つと、石段の上から声が聞こえた気がした。
大河が石段の下から境内を見上げると、鳥居の前――灯籠の傍にジカルはいた。
いざなうような目で、大河を見下ろしている。大河は自転車から降り、石段を駆け上がってジカルの前に行った。
「それで、見せたいものって何だよ」
早く用を済ませて帰りたいという欲求と、ジカルの「見せたいもの」というのがずっと気になっていたことが重なり、大河は衝動的に尋ねる。
「こっち」
ジカルもそれだけ告げると、鳥居をくぐって拝殿に続く石段を登っていく。まだ大河をここへ呼んだ理由は、トップ・シークレットのようだ。
きいてもどうせ答えないだろうと、大河も何も言わずに彼女の後に続いた。
石段を登りきり、ジカルは拝殿の脇を通り過ぎて山道に入っていく。大河も、黙って彼女に従うことにした。
完全に山道に入ってしまうと、視界が徐々に暗くなる。だが、涼しい風が首筋を撫でるので、心地良くもあった。
同時に、草木の匂いが春の終わりを告げるかのように、大河の鼻を刺激した。
小さい山だから、トレーニングとしてはちょうどいい。しかし予想外にも、勾配が険しく、大河は何度も躓きそうになった。
小学生の頃、好桃と一緒によくこの山に登っていたが、中学に入ってからは山登りとはほぼ無縁だった。そのため、地形まではあまり覚えていなかったのだ。
一方、ジカルは何の躊躇いもなくひょいひょいと登っていく。大河は、よろけながらもなんとかしてそれを追っていった。元運動部としてのプライドもあった。
途中、登山客用に設置された休憩所らしきものが見えたが、しかしジカルはそんなものには目もくれず、ただ足を進めていた。大河はそんなジカルを見て、気がついた。おそらく、彼女は頂上を目指しているのだ、と。
他のハイキング向けの山に比べて標高がかなり低いため、数十分もあれば山頂に着いた。木の生い茂った山道を抜けると、視界が拓け、さらに心地良い風が大河の頬を掠る。日は、ほとんど落ちてしまっている。
大河は立ち止まって、しばらく燃えるような色を帯びた雲が残った紺色の空を眺めていた。すると、目の前にいたジカルが突然、くるっと体をこちらへ向ける。大河は反射的に、バッと身構えた。ジカルの目が、周りの風景と妙に調和しており、さらに不気味に思えたのだ。
次に、ジカルは回れ右をして、そのまま真っ直ぐ歩き始める。
ジカルが何をしようとしているのかが全く読めない大河は、ただ彼女を目で追うことしかできなかった。
その進行方向には、巨大な岩があった。大理石のような形の整った岩ではなく、ごつごつとした、歪な形をした岩。ジカルは、その岩の前で足を止める。大河も気になり、そこへ走っていった。ジカルのやや後ろで止まり、彼女の後ろ姿に向かって尋ねた。
「……その岩が、どうかしたのか?」
「この岩の下に、【魔界門】がある」
「はい?」
またしてもジカルの言葉が瞬時には理解できず、大河はきき返す。
彼女の話によると、この下に魔界への入口があり、岩が扉の役割を果たしているのだという。この時、大河はふと好桃から聞いた話を思い出した。
小学生の時、好桃とこの山の頂上に来た時のことだった。その時、彼女から教えてもらったのだ。今度は、それを大河がジカルに伝える。
「その岩、昔この近所で災害が起こった時、人々がその下に『厄神』を封印したっていう伝説があるらしいんだ」
どうせ大河はオカルトを信じていないので、当時は本気にしなかった。しかし好桃は信じていたようで――今でも信じているようだが――、熱心に語ってくれた。その伝説に由来し、この山が『厄封山』と呼ばれるようになった、ということも。
魔物を二匹この手で退治し、不思議かつ奇怪なオーラを纏った少女を目の前にした大河は、例の伝説も今では信じられるような気がした。
だが、ジカルは大河の話を聞いていないように、手を合わせる。そして、呪文のようなものを詠唱し始めた。大河はそれを見て高原の暴走を思い出し、咄嗟に彼女から顔を背けた。
詠唱から数分が経過した時、目の前の岩に異変があった。それに反応し、大河は再びジカルの方に視線を向ける。
すると、何度目かの信じ難い光景が否応なく目に飛び込んだ。岩が、誰も触れていないのに鈍い音を発しながら、横に動き始めているのだ。それに合わせて、岩の下から蒼白い光が少しずつ放出される。大河は瞬きも忘れ、その様子に見入っていた。
やがて、岩のあった場所から謎の巨大な空間が現れた。そして、光がさらに増していく。
ジカルはその穴の中を覗くように見つめながら、また呪文のように呟いた。
「これが、魔界と人間界を結ぶ境界……【魔界門】」
大河も恐る恐るそこへ近づき、穴を覗いてみた。しかし、光が強すぎて中の構造まではよく見えない。
しかし、不思議な感覚だった。何故か、罪悪感のようなものを覚える。理由はわからない。それでも、これから大切な人を裏切ろうとしているのではないか、という不安を掻き立てられるような感覚に陥った。大河は堪えられなくなり、身を引いて数歩下がった。
ジカルは依然として、穴の中を見つめている。そして、囁くように大河に言った。
「ここから……魔物が外へ逃げ出してきた」
「これを見せるために……俺を連れてきたのか?」
「そうではない」
「じゃあ、何なんだよ」
大河は怪訝な視線をジカルの背中に送る。
ジカルもゆっくりと大河に正面を向けると、語り始めた。
「【ツインクル・テール】は魔界で結界を作り出し、それによって魔界門を守り続けていた」
「……それが、【ツインクル・テール】が人間界に出てきたことと何か関係してるのか?」
大河が質問を投げると、ジカルから予期せぬ答えが返ってきた。
「人間界の住人が……この門を開放した」
「え……な……っ」
予期し得なかった返答に、大河は返す言葉が見つからなかった。そんな大河を見てもジカルは動じることなく、淡々と話し続ける。
「【ツインクル・テール】がこれを守っている以上、魔界から【魔界門】を開放することは不可能だった。しかし、【ツインクル・テール】の作り出す結界の力は人間界までは届かない。よって、この世界からの開放は可能だった」
大河は、ジカルの話の中に不可解な点を見出した。
「待て。それなら、なんでそいつは【魔界門】の存在を知ってたんだ?」
「おそらく、魔界の者が何らかの手段を用いて一人の人間と接触し、その人間にこの門を開放させ、【ツインクル・テール】をこちらの世界へ逃した」
「けど、どうやってだ? 【ツインクル・テール】が門を守ってる限り、魔物や魔族は人間界へは出てこられないはずだよな?」
「これは私の推測。私がお前に見せた夢と同様、その者が眠っている間に意識だけを魔界に呼び出し、門を開けるよう命令した」
ジカルによれば、魔族の多くが夢という形で人間界の住人と交信できる魔力を持っているという。また、夢を通してその魔族は一人の人間に会い、開放の呪文などを教えた――とジカルは言う。
二つの世界は【魔界門】によって遮断されているが、夢の中までは【ツインクル・テール】の管轄は及ばない。大河が見たあの夢も、ジカルの魔力によって見せられたものなのだ。
大河はようやく理解した。ジカルが何故、自分をこの場所へ連れてきたのかを。
「……これを伝えるために、俺をここに呼び出したってことで合ってるよな?」
「今日中には、伝えておきたかった」
大河の問いかけに、ジカルはそう答える。
もう一度、大河は穴の方に目をやった。地下からは、際限なく蒼光が溢れ出している。
ジカルは再び大河に背を向けると、また手を合わせた。そして、先程とは違う呪文を唱え始める。すると岩が再び鈍い音とともに動き出し、今度はその穴を塞いでいく。それに伴い、眩く地上に放出されていた光は段々と弱まっていった。
完全に穴が塞がれた時には、大河の眼前には完全に日が落ちた漆黒の空が広がっているだけであった。
ジカルは何かの儀式が終了したかのように、両手を胸に当てながら空を眺めていた。そしてまた大河の方を向くと、山道の方に戻っていく。見失ってはまずい、と大河は、咄嗟にそれを追った。
ジカルの話を聞いているうち、太陽は完全に沈んでしまっていた。ジカルを見失うと、日が昇るまで山から下りられなくなる恐れもある。
山道に引き返すと、そこはまさに暗闇であった。枝葉に空を遮られ、月の光さえ届かない。こんなことなら家を出る時、懐中電灯を持ってくればよかったと大河は心底後悔した。
大河は手探りで近くの枝や草を掴みながら、前を歩くジカルの足音だけを頼りに歩を進めた。勾配の険しい夜の山道を、ジカルはいとも簡単に下っているようだ。魔界の住人は、山登りに慣れているのだろうか……と大河は素朴な疑問を抱く。
しばらく足を進めると、ようやく明かりが見えてくる。神社の石灯籠が、境内を明々と照らしていた。その光を見つけた瞬間、大河はこれまでにないくらい安堵する。
石段を下りきって鳥居の近くまで来た時、ジカルが立ち止まって振り向いたので、大河も足を止めた。
「どうした?」
まだ何かあるのか、という感じで大河が質問すると、ジカルは言った。
「【ツインクル・テール】らしきものを見つけたら、早急に教えてほしい。魔物は【ツインクル・テール】を狙っているかもしれない」
「初耳なんですが?」
大河は、訝しるようにしてジカルを見つめる。灯籠によって照らし出されたジカルの顔は、代わり映えのない無表情だった。
今になってそんな話をされても、困惑以外の感情は生まれない。
「【ツインクル・テール】を殺せば、【魔界門】を守る者がいなくなる。そうなれば、いつでも人間の世界へと出てこられるようになる。この世界を……征服するために」
「征服……?」
聞き慣れない単語に、大河は耳を疑う。
ジカルの話をまとめると、今はまだ憶測の段階だが、魔族の一人が人間を利用し、この世界を征服しようとしているのだという。さらに、ジカルは付け加える。
「魔族は、《魔視》を持つ人間にしか故意的に夢を見せることはできない。おそらく、【魔界門】を開放した者も《魔視》を持っていると考えて間違いない」
そのような話を聞かされた大河は、不意に神話のことを思い出した。
「それって……魔族が人間を恨んでるからなのか?」
「魔界の者は、神に刃向かった者として、人間から侮蔑された。今回の件も、その復讐のためだと思われる」
神との争いに敗れ、居場所を追われてしまった魔王。人間からも憎悪の対象となり、自ら【魔界門】を作って人間界との縁を切ってしまった。魔族の中には、今でも人間を恨んでいる者も多いのだろう。
しかし、大河はそれ以外にも気になることがあった。言うまでもなく、魔族に利用されたという人間の存在だ。
その場で大河はしばらく考えていると、上着のポケットに入れていた携帯が突然、鳴った。電話に出ると案の定、好桃からだった。
『大河くん、今どこ?』
「どうしたんだ?」
『大変なの! 早く帰ってきて!』
電話はまた、一方的に切れてしまった。いつも、大河が用件を尋ねる前に切られてしまうのだ。そろそろ注意してやらねばならない。
どうせ、宿題が終わらないとか、怖くて一人で帰れないとかだろうと大河は思ったが、もしもという可能性も無きにしもあらずなので、ジカルに「悪い、また今度な」とだけ言い、急いで最後の石段を駆け下りて自転車に乗り、家に向かった。
今がちょうど物語の起承転結における「転」の部分だと思います。
これからちょっと「転」が続いた後、「結」って感じですかね。今が全体の7割ほどですので、あともう少しで完結させる予定です。