「勇気と友情と暴走」
昼休みになると大河はいつものように、山科たちが戻ってくるまでの間、後ろの席から教室の様子をただ眺めていた。と、不意に花凛の姿が視界に入った。彼女はまだ席に着いたままだ。今日は、自分の昼食は持ってきているのだろうか、という疑問もとい不安が、大河の脳裏を過る。
大河は、周囲に気を配りながら立ち上がり、花凛に近付いていく。
花凛は彼の気配を感じとったのか、大河が声をかける前に振り向いた。それに驚きつつ、
「よ……よう。今日は弁当、持ってきたか?」
と、大河はきいた。
「……持ってきた」
花凛もそう答えるので、大河は安堵した。今日は、世話を焼かなくてもいいようだ。
「今日も、中庭で食べるのか?」
その質問にも、花凛は頷く。次に、机の横にかけてあった鞄から、緑色のナフキンで包んだ弁当箱を取り出した。それを持つと、彼女は席を立った。そして、前のドアを開けて教室から出ていった。
大河はそれを見届けると、何事もなく自分の席に戻り、いつもの三人が来るのを待った。
数分後、山科が桃山と高原を連れて教室に戻ってきた。
「おう! 遅くなって悪かったな」
そう言いながら、山科は自分の席に着き、大河の机に買ってきた弁当を広げ始める。謝っているわりには、全く遠慮がないのが大河には気になるところだ。
他の二人もまた、例のごとく遠慮なく借り物の椅子に腰掛けて座る。
気温が低いためか、山科はいつもは脱いでいるブレザーを今日は着用している。一方、昼食のおにぎりを食べ始める高原の隣では、桃山が真っ先に櫛と鏡を出して自分の髪を整え始めている。これもいつもの光景だ。
すると飯を頬張っていた山科が、それを見ながら言う。
「お前、ほんと自分の顔好きだよなー」
「体育の後だと、特に乱れるんだよ」
「けど、そんなもん食べた後にしろよ。なんで今やるんだ?」
不思議そうに顔をしかめる山科に、桃山はこう返した。
「でも、おれが髪や肌の手入れをしていていたところで、誰の迷惑にもならないじゃん。君は声が大きいから、喋るだけで迷惑かかるけどね。それに比べたら、全然迷惑じゃないんじゃないかな」
「うるせーよ! つ~か、誰も迷惑とか言ってないからな!」
二人がこんな他愛ない雑談をしている中で、大河も自分の弁当を出していた。その時、急に桃山が思い出したように、大河に目を向けてきた。
「そう言えば、大河って今、魔界のことを調べてるんだっけ」
大河は、また嫌な予感を抱いた。
「何だよ、突然」
「だって、大河って何事にも無関心だから。あ、わかった! 飛鳥さんに頼まれたんじゃない? 絶対にそうだよ、大河が自ら動くはずないもんね」
桃山は納得したように、うんうんと頷く。しかし、大河は黙っていた。言い返したところで理由をしつこく追及されるだけだから、そういうことにしておこうという算段だ。実際、大河と好桃の関係は彼も知っているのだ。
だが、大河には誤算があった。これで、その話は終わるとはずだったのだ。しかし、今まで無言で昼食をとっていた高原が、唐突に口を挟んできたのだ。
「大河は今、【ツインクル・テール】のことを調べてるんだよね」
するとまた、山科が怪訝そうな顔をする。
「はあ? ツインテール?」
「ツインクル・テールだよ」
「何なんだよ、それ?」
山科は、ますます眉間に皺を寄せる。桃山も話がわからないらしく、首を傾げている。当然の反応だ。そんな二人に、高原が説明した。
「【ツインクル・テール】は、魔界の守り神とされる存在だよ」
「じゃあ、魔王とかか?」
山科が尋ねる。
「魔王じゃなくて、そのペットであるとされているんだ。文献によっては、下僕としても描写されてるね」
それを聞いて山科はもう興味が失せたらしく、投げやりな態度で相槌を打っている。でも、高原は熱心に語り続けるのだった。
「神話によれば、【ツインクル・テール】は外界、つまり人間界に続く扉の番人であるとされているんだ。魔界は、人間界から切り離された世界だから、人間が入り込んだり、魔物が外界へ出ないように見張っていたんだ」
山科とは違い、桃山はその話にも興味を持ったようだ。
「へえ、楽しそうだなあ」
と呟き、大河に視線を送った。
「じゃあさ、せっかくだし『魔法実証部』……だっけ? 大河、それに入れてもらったらいいよ。サッカー部辞めて、暇してるんだろ?」
桃山が「その部活」の名前を出したので、すかさず山科は注意喚起する。
「その名前は禁句だぞ、桃山」
どの口が言っているのだろう、と大河には思えたが、そのことについては昨日も決心した。
この機会に、打ち明けてみてはどうだろうか。この三人なら、尚さら言わなければならない相手だ。
そう思った大河は、意を決して話した。
「あの……そのことなんだけどさ。聞いてほしいことがあるんだ」
まだ迷いが入っていたようで、声は少しずつ弱くなっていった。
それでも、三人は大河を注視する。一斉に眼差しを向けられ、その視線に少し戸惑ったが、大河は思いきって続きを話すことにした。
「俺、あれから考えてさ。やっぱり、過去をなかったことにはできないんだなって思ったんだよ。だから俺、もう一度チャレンジしてみることにするよ。あれは、何の根拠もないただの噂だったんだって、みんなに信じてもらえるように努力する」
大河は、自らの地雷を克服したのだ。三人は、その話を聞いて俄には信じられないといった顔をしていたが、徐々に実感が湧いたのか、感嘆するような面持ちになった。
いの一番に、高原が言葉を発した。
「偉いよ、大河。よく決心したね」
それに続いて、山科も感服したように激励する。
「そうだな。俺も応援するぜ!」
「まさか大河に、そんな感情があったとはね」
最後に、桃山も感動の言葉を述べる。ここまで祝福することでもないと大河は思ったが、彼らにしてみれば、それほどのことだったのだろうとも思われた。あんなに怠惰だった大河が、自分の殻を破ったのだから。
あまりにも感激したのか、次に高原がこんな話を始めた。
「神も言ってるよ。どんなに理不尽なことがあっても、我慢した者はいつか必ず報酬を受けられるって。僕は神とも交信できるから、今日のことも報告しておくよ。だからきっと、大河もいい果報が受けられるはずだよ。そうだ、なんなら今から神の言葉を聞かせてあげるよ」
高原は理解不能な言葉を長々と喋った後、制服の胸ポケットから聖書を取り出した。そしてページを開き、その内容を朗読し始める。
また始まった……と、他の三人は顔を歪めた。教室の中には、他の生徒も何人かいる。そのため、時折、聞き手の方が恥ずかしい思いをするのだ。
それを危惧した山科が、口を開いて高原に話しかける。
「なあ、高原。そのキャラ設定、そろそろやめないか?」
「え、何のこと?」
高原は音読をやめて聖書から目を離すと、山科の方を見る。「何を言っているのかわからない」といった顔だ。昨日、大河も全く同じ顔をされた。だが、それだけでは山科は諦めなかった。
「情緒がないんだよ。さっき魔界が云々とか言ってたやつが、急にキリストの聖書持ち出して神の教えを説こうとするんじゃねーよ」
「キリスト教にも、魔界という概念はあるよ?」
「そういうこと言ってるんじゃねーよ! 第一、この科学文明の発達した現代に、神もクソもないからな!」
山科が、高原を軽く罵倒した。
「神がクソだって?」
高原もいきり立った。少し嫌な空気が、その周りを徐々に支配し始める。
そして高原は勢いよく立ち上がると、山科を睨みつける。
「君は今、何て言ったの?」
それに反応したのか、山科も立った。改めて見ると、二人の身長差は歴然だ。
いよいよ険悪なムードになり、しばらく二人は睨み合っていた。やがて山科は眉を下げ、子どもに言い聞かせるような口調で高原に言った。
「あのな、この世に神なんかいないんだよ。ってかお前ん家、仏教だろ?」
すると、自分の髪を梳いていた桃山が、二人を見上げた。
「えっ、幸太朗の家って仏教徒だったの?」
初耳だったのか、驚いたような顔をしていたが、二人は聞こえていないようにそれを無視していた。
高原は、山科を強く睨み続けながら言い返す。
「神を信仰する者として、今の暴言を看過するわけにはいかない」
「だから、そんなことしてて恥ずかしくないのか? つーか、仏教徒のくせにクリスチャンの神信仰してんじゃねーよ。聖書持ってくるくらいなら、般若心経の経典でも持ち歩いとけっての!」
「愚弄!」
「もしもこの世に神様がいるって言うなら、それを科学的に証明してみせろっつーの!」
短髪を逆立てながら、山科が言い募る。もはや論点がズレてしまっていると大河は肩を落としていると、またしても桃山が口を挟んだ。
「待って。神そのものが科学っていう概念を超越した存在である限り、それは難しくない?」
だが、二人の耳には何も入っていないように、山科と高原は互いに睨み合ったままだった。それを見てようやく諦めたのか、桃山は手鏡に目線を戻していた。
一方、大河はあることを危惧していた。高原がマジギレするタイミング……それは楽しみを奪われた時と、自分の妄想話を批判された時のみだ。そして彼を一旦怒らせてしまうと、誰も手がつけられなくなる。
高原が目を吊り上げて言い張った。
「神を信じる者だけが、神からの恩寵を受けられるんだ。信じない者に、何も与えられない」
山科もそれに対して、負けじと食い下がる。
「べつに信じるなとは言ってねーよ! お前の妄想話に、他人を巻き込むなって話をしてるんだよ!」
正論だが、無論、高原には通用しない。本人がそれを自覚していない限り、理解を乞うのは難しいだろう。
その時、高原は山科から一歩退き、合掌しながらこんな言葉を発した。
「君は神を侮辱した。その報いは受けなければならない」
「な、何する気だよ」
さすがの山科も、少し警戒したように身構える。
「僕は、神と契約しているからね。いつでも天誅を下せるんだ。ここで神を呼び起こし、君に制裁を与えてもいい」
「いや、それ絶対に今考えただろ! 初めて聞いたぞ!」
山科は、もう勘弁してほしいと言わんばかりに言うと、高原がいきなり、山科のブレザーの襟元を掴んだ。
「な、何だよ?」
山科はやや狼狽したように、一歩後ろへさがった。その直後、なんと高原が山科を前に押し倒したのだ。その音で、教室にいたほとんど全員の視線が一斉に二人の方に向けられる。
しかし高原は皆の視線も意に介さず、山科の身体に馬乗りになると、彼のブレザーのボタンを外し始めた。
「おい、何してるんだよ!」
山科は手足を動かして抜け出そうと試みるが、高原によってしっかりと押さえつけられている。続いて、高原は高らかにこう宣言する。
「これから神をここへ呼び出し、この異端者に制裁を加える!」
高原は右手を縦に、左手を横にして、親指同士を絡めるように手を合わせた。さらに、オリジナルの呪文を唱え始める。
「勢、芯、和、悦、激、昂……」
その一部始終を目の当たりにしていた大河は、そろそろまずいと思い始める。クリスチャンの神を呼び出すのになんで呪文が漢字なんだよ、などとツッコみたいところは色々あったが、そんな暇はない。
いつの間にか、周りには野次馬たちが何人も集まってきていた。大河は段々そこに居づらくなり、桃山の方に視線をやるが、彼は我知らぬといった様子で髪を櫛で梳いている。
高原の怒りを鎮める唯一の方法、それは彼に彼の好きなものを与えることだ。
一年前のハンバーグ事件の時は、大河の弁当箱の中に偶然ハンバーグがあったため、それを彼に与えるだけで済んだ。しかし今日は生憎、ハンバーグは入っていない。野次馬たちは高原の愚行をやめさせるどころか、「いいぞ、もっとやれ!」などと煽り立てている。
半ば諦めかけていた時、大河はふと妙案を思いついた。高原の好きなものであれば、何でもいいのかもしれない。……べつに食べ物でなくてもいいのだ。
大河は席を立つと、野次馬たちの間をすり抜けて後ろのドアから教室の外へ出る。お目当てがいるところまで、廊下を一気に駆け抜けた。
これ、落選作の改稿版なんですけど、直しててめっちゃ恥ずかしくなってました。
「なんでこんなん書いたんだろう?」ってなりました。
また、本来は1話に収めるつもりでしたが、長くなってしまったので分けています。




