「好桃の夢」
大河は朝起きて携帯の画面を開くと、また好桃からのメッセージが受信されていた。まだ熱が下がらず、今日も学校を休むという内容だった。
画面を閉じると、大河は不意に昨日の出来事を思い出した。一体、ジカルが何を伝えようとしたのか、あれから散々考えてみたが、理解に結びつくことはなかった。しかし、大河の中で新しい思考が生まれつつあったのも確かだった。
過去と向き合い、そして受け容れることだ。いつまでも逃げ続けていたら、一向に解決にはつながらない。
大河は制服に着替え、いつも通りキッチンに行った。そこで弁当を作り始めていると、妹が珍しく早起きしてきた。
「兄ちゃん、昨日は結局どこ行ってたの?」
大河の横を通りながら、そう話しかけてくる。
結局、昨晩は大河が帰宅した時には妹はすでに帰っていた。不審がった妹は兄に色々と問い詰めてきたが、大河はそれを適当にはぐらかした。本当のこと――好桃以外の女子の家に行っていたなどと話せば、からかわれるに決まっている。
その後、妹を回転寿司に連れていってご機嫌をとると、満足したように何もきいてくることはなかった。大河は安堵し、その話は終了したかに思われたが、朝になって再び蒸し返してきたのだ。どうも気になってやまないらしい。
「そんなに教えたくないこと? あ、ひょっとして、クラスの女の子の家に行ってたとか?」
当ててきた。パーフェクトな正解を出されたので、大河は思わず手を止める。
「え〜? もしかして兄ちゃん、他に好きな子ができたの? 好桃ちゃんがいるのに」
図星だとわかったのか、妹は兄をじとっとした目で見ながら、さらに詰り始めた。
「だから、あいつとはそういう関係じゃねーよ」
「じゃあ、友達?」
「友達っていうか……腐れ縁」
大河の返答に、妹はクスクスと笑った。
「それにしては、毎日お弁当作ってあげてるよね」
と言ってくるが、大河は無視して料理を再開した。
「あ、兄ちゃん。また寝癖ついてる、直してあげるね」
妹はそう言って洗面所から櫛を取ってくると、大河の後ろに立って彼の寝癖を梳き始める。その間、妹は大河に対して先程とは全く別の話題を出した。
「お父さん、昨日言ってたけど、今日もお仕事で帰りが遅くなるんだって。今ね、二人の子の里親が見つかりそうなんだけど、それが結構大変みたいで……手続きとか」
その話は、大河も何度か父から聞いたことがあった。父親曰く、子供たちの笑顔を見るのが好きだから会社を早期退職し、孤児院を開いたらしい。大河も、小学校に入る前から父のその様子を見てきた。身寄りのない子供たちを預かって、世話している父親に憧れを抱き、それが大河の誇りでもあったのだ。
「兄ちゃんはお父さんの孤児院、継ぐの?」
突然、妹がそうきいてくる。しかし、大河は黙って手を動かし続けていた。今の自分に、父の跡が継げるのだろうかという不安もある。父のように、子供たちを笑顔に……幸せにできるのだろうか? 気がつけば、また大河の手は止まっていた。
「どうしたの? 大丈夫?」
後ろから心配そうな声をかけられるので、大河は首を振って空いている方の手を上げ、
「ああ、悪い」
と答えながら、妹に合図した。
「継ぐかどうか……迷ってるの?」
「そうだな。父さんも、強制はしないって言ってたし」
大河は、また料理を再開する。妹は、それから特に何か言ってくることもなく、大河の髪を梳き終えると櫛を持ってリビングを出ていった。
支度を済ませ、大河はいつもより早い時刻に家を出た。ドアを開けると広がっている曇り空が視界に入り、気温も前日と比べてかなり下がっているようだ。ブレザーを着ていないと少々肌寒く感じられる。
そして、今日も自転車で登校した。
五分ほどで到着し、大河は校門をくぐると偶然、高原が前を歩いているのを発見した。その少し後ろで大河は自転車から降り、高原に声をかける。相手もすぐに気がつき、振り向いた。
「やあ。こんにちは、大河」
相変わらずの挨拶だ。
「今日は早いね、何かあったの?」
「べつに」
高原の質問に、大河もいつものごとく素っ気なく返した。
駐輪場に自転車を置いてから、二人は並んで昇降口に向かう。その途中、高原が大河の隣を歩きながら、思い出したように切り出した。
「そうだ。【ツインクル・テール】について書かれた、新しい資料を見つけたんだ。今、図書室にあるから、放課後にでも取りにおいでよ」
高原も、色々と調べてくれているようだった。頼んでもいないのに、とは流石の大河も言えない。
「わかった。じゃあ、放課後な」
親友の親切を素直に受け止めつつ、大河はそれを放課後、受け取りに行くことにした。それでも勿論、目的を教えるつもりはない。おそらく、高原には魔物は見えないのだから。
「それにしても、僕は嬉しいよ。こうして、大河と魔界の生き物について話せるなんて。以前なんか、何の興味も示さなかったのにね。ひょっとして、魔界に迷い込んじゃったことがあるとか?」
大河は、彼の話を全て聞き流していた。適当に相槌を打ってやれば、相手も特に何も言ってこない。そのスキルは、大河は中学の頃に習得済みであった。
昇降口を過ぎ、教室前に来たところで高原と別れた。大河が教室に入ろうとすると、それを待っていたかのように、中から朱奈が出てきた。
「やあ、夢野くん。今日も好桃ちゃんは休みなのかい?」
わざとらしく、そんな声をかけてくる朱奈。
しかし、彼女も好桃と同じ部活に所属しているのだ。部長から連絡がいかないはずがない。
「あいつから聞いてるだろ?」
「今日は来てなかったの。それで、休みなの?」
「そうだよ。もういいだろ、そこをどいてくれよ」
「実は、他にも話があるんだ」
朱奈が言うので、大河は怪訝な視線を彼女に投げる。
「何だよ?」
「昨日のことなんだけどさ、聳城さんとの会話、聞いちゃったんだよね。好桃ちゃんのために魔界のこと、調べてくれてたんだねー」
面倒な話を持ち出され、大河は肩を落とした。
「べつに、あいつのためじゃねえよ」
大河は、顔を横に向けながら答える。
「え? じゃあ、なんで調べてたの?」
不思議そうに尋ねる朱奈の言葉を聞き、大河は口籠る。それを見て、朱奈は話し出した。
「好桃ちゃん、部活を作った時に言ってたんだ。この世界には、人を笑顔にする魔法があるんだって。『それを見つけるのが、私の夢なんだ』って」
「あいつもバカだよな。そんな魔法なんてないのに」
「そうだね。でも信じ続ければ、きっと見つかると思うんだよね。好桃ちゃんって孤児だったんでしょ? 近くに寄り添える人がいなくて辛かった時、君がそばにいてくれたから、生きてこられたんだとも言ってたよ。だから、もうちょっと素直になりなよ」
朱奈は大河の左肩を軽くつつくと、教室の中に戻っていった。
今の話は本当なのだろうか。大河も教室に入り、そんなことを思いながら席に着いた。確かに、好桃は五歳くらいの時に父の孤児院に来た。大河とも同学年だったので、他の児童よりも彼女と遊ぶ機会は多かった。だが、いつもそばにいたかと言われれば、頷いてよいか戸惑ってしまう。
ホームルームが始まるまでの時間、大河は無意識に好桃のことが頭から離れなかった。