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ツンデレ男子と魔界怪奇譚  作者: 橘樹 啓人
第一部 TWINKLE TAIL
11/46

「魔力と剣」

今回は少し長めです。

 公園の中央の噴水は電燈の灯りを控えめに反射し、サラサラと静かな音を奏でている。闇に覆われた静謐な空間の中で、自分はここだと誰かに居場所を知らせるように、僅かな音と光だけがそこにはあった。

 噴水の前にジカルは立ち、流れ落ちる水をただ眺めていた。


 その水の音に混じって、足音が次第に近づいてくる。


 音が止むと、ジカルは北から吹く風に身を預けるように後ろを振り返った。

 大河が荒い息を整えながら、そこに立っていた。大河は一つ大きく深呼吸すると、ジカルに近づいた。ジカルも完全に身体を大河の方に向け、彼をじっと見つめる。その目は傍の電燈に照らされても、光を宿していない。


「さっきの話だけど、協力してやる」


 大河が一つだけ告げると、ジカルは何か理由を問うわけでもなくこくりと頷き、


「……感謝する」


 と言って、さらに彼に近づこうと白く細い足を一歩前に踏み出した。しかし、それを制止するかのごとく、大河は吐き出すようにこう言った。


「……勘違いするな。これはお前のためじゃない。俺は、この世界が大嫌いだ。それは変わらない。けど……俺はまだ死ねない」


 突き刺すようなジカルの視線。だが、それをも意に介すことなく、大河は続ける。


「俺、仲間だったやつにハメられたことがあるんだ。そいつのこと、まだ許してない。いや、これからも絶対に許すことはないと思う。でもな、いつか、どっかで折り合いつけなきゃって思ったんだよ。だから……それまでは死ぬわけにいかねえんだ。じゃないと、俺は心が死んだまま生きなきゃならなくなる」

「……了解した」


 ジカルは再度、頷いた。依然、口角をピクリとも動かさない。口のラインはほぼ直線に引き結ばれている。やはり、彼女には感情というものがないのだろうか。


 ジカルが前へ進み出て、無音の靴音とともに、また彼への接近を開始した。大河は一歩後退したが、思いのほかジカルがスタスタと歩いてきたので、二人の間隔はあっという間に十センチほどになった。

 眼の前の顔面蒼白の少女に、


「何だよ」


 と大河は問いかけてみるが、返事はない。

 と思うばかりか、さらなる恐怖が大河を包み込む。これから自分に何かしようとしているのではないか、このまま背を向けて逃げようものなら、先程のドラゴンを操って背後から襲ってくるのではないか……という彼らしくもない妄想が、頭の中に広がった。


 突然、少女は大河の右手を握った。大河は驚きによって反射神経を刺激され、ピクッと肩を震わせる。ジカルは大河の反応を無視し、彼のその手をゆっくりと持ち上げ始めた。大河は抵抗するのも忘れ、彼女の手に掴まれた自分の手を見つめる。そこで、はっと気づいた。


 傷のある方の手だ。いや、傷と呼べるかは定かではない。赤いラインで五角形の五点を一筆で結んだような、星型の模様。それが右手の甲にはっきりと見える。何度見ても、禍々しい色でより一層恐怖心を掻き立てられる。


 この時、大河はある見当をつけた。この星は、ジカルがつけたものに違いない、と。

 寝ている間に、ジカルが部屋に来てつけていったのだ。


 ジカルは、大河の右手を黙然と眺めている。十数秒間の沈黙の後、ジカルは握っている大河の右手を自分の胸のあたりまで持ってくると、反対の手の指で星をなぞり始めた。大河は彼女の意図が全く読めず、息を呑んでその成り行きを見守った。

 ジカルは完全に星をなぞりきると、大河の手を離し、静かに数歩後退った。一方、大河は右手を前方にまっすぐ伸ばした状態のまま、硬直していた。


 何の儀式だろう、と不安になりかけた時、大河は度肝を抜かれるほどの光景を見た。突如、右手の星が淡く光り始めたのだ。それだけに留まらず、それぞれの頂点から湾曲した光の線が新しく出現し、それらが互いに繋がって一つの輪を作る。星が完全に真円の光輪に囲まれると、より強い光を放った。形状はまさしく、魔法陣そのものになった。


 大河が呆気にとられながらそれを眺めていると、やがてその魔法陣は彼の右手の甲の表面を離れ、宙に浮かび上がったのだ。それはみるみる上昇し、大河の眼前まで来た時、くるくると上下左右に回転し始めた。


 言葉が出なかった。目の前で展開した魔法陣が、夢なのか現実なのか。またしても、それがわからなくなってしまう。それでも、魔法陣の外縁の周りをひらひらと舞う幾重もの粉状の光は、この世のものとは思えないほど美しく、不本意にも恍惚としてしまいそうになる。


 大河は朦朧とする意識の中、無意識にその光の対象へ手を伸ばした。

 そして、触れた瞬間。


 魔法陣が突然、ガラスの巨像が粉々に砕けるような音を響かせながら爆散し、大河の視界は白く覆われた。その衝撃で再び大河の意識は呼び戻され、同時にぎゅっと目を瞑った。


 目を閉じていてもしばらくは明るさが感じられた。やがて、大河は瞼の向こうに闇が戻るのを感じ、そっと目を開けた。魔法陣はなくなっており、数メートルほど先にジカルがぽつねんと立っているだけである。


 何が起こったのか、理解が追いつかない。恐る恐る首を左右に動かして周囲を見渡しても、何かある気配はない。が、その時、大河は右手にある重みを感じた。棒状の何かを握らされたような感触、それが鉄のように重たい。右腕が、強く地面に引っ張られるような感覚。


 大河は嫌な予感を覚えながら、視線をゆっくり右下へとずらしていき、自分の右手を見た。息が詰まる。そこには、外国をモチーフにしたファンタジーの世界でよく見かけるような、剣が握られていたのだ。


 全体の長さは1メートルはあるだろうか。剣身は左右対称的な作りで、太さは5センチ以上もあるように思われる。何より、剣先から柄頭まで、全身が白い。柄は精緻な装飾をまとい、鍔の部分の中央には五百円玉サイズの妖しく真紅に輝くジュエルが埋め込まれている。


 重さの正体はこの剣だったらしい。大河は半信半疑で、右手にしっかりと握られている剣を持ち上げてみた。金属の塊のように、持っているだけで右腕がきりきりと傷む。

 潔白の剣は神聖な光を宿しているように、月光を反射して燦然と輝く。


 大河はファンタジーの創作物などには疎く、まして興味があるわけでもないのに、その剣の美しさに惹き込まれてしまいそうだった。


「昨夜、これを生成し、お前の体内に格納した」


 その言葉で大河ははっと前を向くと、ジカルがこちらを見ていた。


「……どういうことだよ」

「お前の意識を魔界に転移させた時、こちらの世界のお前の体は蛻の殻だった。魂が体に宿っているうちは剣の生成が難しい。それゆえに一旦魔界にお前の魂を退避させ、ついでに事情を話そうと思ったが、失敗した」


 大河はもう一度、右手の白剣に視線を落とす。

 続けて、ジカルが言う。


「正確には、これがそのままお前の体内に収納されているわけではなく、お前の身体を通って魔界の一部に格納されていた」

「魔界の一部?」

「この剣も他の人間には見えない。でも、これで魔物と戦うことが可能。これで、この世界に逃げ出してきた魔物をすべて駆逐してほしい」


 しかし、大河はこんなものを見せられてもまだ完全には事態を信じきれずにいた。それほどまでに、突拍子もないことばかりが矢継ぎ早に起こっているのだ。


 大河は彼女から聞いた情報を、頭の中で整理した。

 右手の甲の傷は、剣を呼び出すためのものだったのだろうか。しかも、剣が体の中に入っていると考えると心底気持ちが悪い。それに昨夜見たのは彼女の話を聞く限り、夢ではなく現実ではないのか? 意識だけを魔界に呼び出した――それはつまり、その間、現実世界の自分は息をしていなかったことになる。……死んでいたのだ。


 大河は少し間をおいたあと、ジカルにこうきいた。


「……で、魔物は全部でどのくらいいるんだ?」

「数は数千」

「は? 数千?」


 大河は目を見開き、剣を落としそうになってから咄嗟に左手で柄を支える。

 さらに、ジカルは続けた。


「それでも、無尽蔵にいるわけではないから、可能」

「いや、不可能だろ、一人で……」

「魔力も付与した」

「はっ? 魔力?」


 なかなか話についていけず困惑する大河に、


「剣の生成と同時に、魔力も与えた。それを行使すれば、可能」


 と、ジカルは付け加える。また新たな情報が追加され、それがますます大河を混乱させた。


「待て、魔力って何だよ。どんな魔力なんだ」


 しかし、ジカルは何も答えない。しばらく経っても口を開こうとしないので、次第に大河は苛立ちを覚えた。先程よりも強い怒りの粒子が、腹の底から勢いよく飛び上がってくる。


「何なんだよ! お前、俺の体に何したんだ! 勝手に剣入れたり、魔力だとかよくわからんこと言いやがって!」


 叫ぶように言葉を吐く大河だが、目の前の少女は顔色一つ変えない。ただひとつだけ、死人のような目が彼女の存在を主張しているようだ。


 大河は最後に、「もう消えてくれ」と言おうとした時、ジカルは再び口を開いた。


相対性アンビバレンス

「は?」


 大河はジカルの言葉を聞いて、訝しげな視線を彼女にやる。ジカルは続けて、


「本音と正反対の感情を引き出すことによって、身体能力は極限まで高められる。……それがお前の魔力」


 と、述べる。しかし、いきなりそんな説明をされて理解できようはずもない。


「……もっとわかりやすく言えないか?」


 冷静さを意識しつつ、大河がそう尋ねてみると、ジカルはこくっと頷いて補足説明を加える。


「例えば、好きなものを嫌いだと思い込んで念じることで、その魔力は増幅する」


 それでも、まだいまいちイメージが湧かず、大河は頭を抱えそうになる。どうやら、口頭の説明だけでは限界があるようだ。それなら、どうやって確かめよう。……いや、方法はあるにはある。だが、初めてにしては明らかに危険すぎるのだ。


 不安が一閃の光となり、大河の脳髄を通過した。

 その時。


 視界が俄に暗くなるのを大河は感じた。夜なので暗いのは当然ではあるものの、公園の噴水の周囲には電燈が何本か等間隔で並んでいるのだ。その光をも遮るほどの闇。おまけに飢えた獣のような低い唸り声が。頭上で響いた。


 大河が後ろを振り仰ぐと、その声の主はいた。ずっしりとしたその巨体は闇夜に溶け込んでいて輪郭は判然としないが、唯一その眼に宿る二つの紅の眼光だけが、そのものの存在を明確に顕していた。


 大河は絶句し、無意識に後退りする。ドラゴン型の怪物は、ぐるるるる、と不気味な声を発しながら鼻をピクピクと動かし、大河に少しずつ近づいてくる。大河も魔物との距離を一定に保ちつつ、後退を続ける。

 すると、突如、それは大口を開いた。銀色の歯がむき出しになる。それを目にすると、昨夜の奇妙な体験が一気に蘇り、大河の動きが一瞬鈍った。

 その瞬間。モンスターが口を開けたまま、猛然と襲いかかってきた。大河は咄嗟に握っていた剣を横にして前方に突き出すと、魔物はその剣身に噛みついた。ガリッ、という不快で金属質な音が夜の公園に響く。


 大河は急いで魔物の口から剣を引っこ抜こうと、腕に力を込めて左方に強く動かしたが、剣は僅かにも動かない。魔物も大河の剣に食らいついたまま、離れようとしない。左手を添え、両手で思いっきり引っ張ってみても、やはりびくともしない。


 そんな状態が数分間も続いた。大河は両腕に鋭い痛みを覚え始め、息も荒くなる。いつまで保つかわからない、ほとんど限界だった。その時、魔物の頭上に満月が浮かんでいるのが目に入った。その燦爛とした球体はこんな事態にもかかわらず、水晶のような輝きを放っている。その壮麗な光を純白の刃が映し出し、剣自体がそれを吸収したように、やがて表面に淡い輝きを帯びた。


 徐々にその光が強さを増していくと、何かを解放させるように鋭い閃光となり、大河と魔物との間で稲妻のように瞬いた。

 直後、魔物の顎の力が僅かに緩んだのがわかった。その隙を逃さず、大河はまた両方の腕に力を入れて剣を引っこ抜き、後ろへ数歩退いて確実に魔物との距離をとった。


 魔物は眩い光に余程驚いたのか、身体を仰け反らせて耳を劈くほどの鋭い悲鳴のような声を上げている。その間に大河は腕を下ろし、剣先を地面に預けて息を整える。


 気持ちが少し落ち着いてくると、大河はふとジカルのことを思い出し、改めて周囲を見渡す。が、どこを向いても彼女の姿は確認できない。どこか安全な場所に身を潜めたか、あるいは用が済んだからといってどこかに行ってしまったのだろうか。もしも後者だったとしたら、これほど無責任極まりない行為があろうか。


 ジカルがいないのならば仕方がない、と大河は両手で再び剣を構え直す。剣道なら高校の授業内でやったことがあるが、しかしそれとこれとでは相異がありすぎる。第一、剣道で扱った竹刀は片手で持っても特に腕に負担はかからなかった。だが、本物と思しきこの剣は両手で支えるのでやっとだ。


 魔物は未だに視界が安定していないのか、狼狽したように大きく首を上下に揺らしている。攻撃を仕掛けるなら今のうちだ。一か八か、大河は力任せに剣を振りかぶると地を蹴って駆け出した。

 自分でも無謀なことをしているとはわかっていたが、己の身を護ることができるのは今はこの剣だけなのだ。


 数ヶ月前に部活を辞めていたとはいえ、筋肉はまだ衰えていないらしい。途中で速度を落とすことなく、大河は一気に魔物との距離を詰めた。もうすぐだ。そんなことを心で呟いた時、魔物がカッと目を見開き、大河を睨んだ。その剣幕に気圧され、思わずスピードが落ちる。


 魔物はまた大きく口を開けた。大河は反射的に左足の踵を立ててブレーキをかけ、静止すると眼前に剣をかざして守りの体勢に入る。しかし、先程とは何かが違った。今度は噛みついてくる様子がなく、魔物は静止した状態のまま大河を睨み続けている。そこで、大河はある異変に気づいた。魔物の開いた口の奥に、薄紫色の球体状のものが見える。大河は目を凝らし、その正体を確かめた。


 炎だ。それが魔物の口内で段々と膨張していき、炎の勢いも烈しくなっていく。


 まさか……という予感が大河の中に渦巻き出した時には、魔物の口周りは青い炎で覆われていた。身の危険を察知し、大河はじりじりと後退したが間に合わず、魔物は口の中で生成した濃紫色の火球を、彼に向けて繰り出した。


 大河は剣を盾にしながら左に体を反らせると、すぐ右横に火球が落下した。その時に、飛び散った火の粉が彼の右頬を掠めた。


 魔物は甲高い声で鳴くと、背後の翼を広げて少しばかり後ろに飛び退った。


 大河は、剣を強く地面に突き立てた。こんな怪物、一人の人間がどうにかできるわけがない。何が魔力だ、何が魔視だ。あの女は俺にどうしろというのだ……という素朴な疑問が浮かび、大河は俯きながら片頬に笑みを滲ませる。


「この世界に、価値はある?」


 耳許で囁かれたので、大河が右を振り見るとジカルがそこに直立していた。

最後までお読みいただいた方、ありがとうございました。

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