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初恋はスローモーション (1)恋に堕ちて

 彼がゆっくりと近づいてくる。

 柔らかな瞳。

 透ける前髪。

 それはスローモーションで……

 その間、彼女の時間は永遠のようだった。




「やあ。君、(りつ)(きよう)? それとも鳴治館(めいじかん)?」

 彼が笑みながら、佳に問いかける。

「鳴治館の教育学部一年です」

「名前は?」

岡田(おかだ)(けい)と言います」

 落ち着いてお佳は答える。

「僕は、律響の工学部二年、高橋(たかはし)大地(だいち)。よろしくな」

 大地はまたふわりと笑った。


 程よい筋肉質に引き締まり、日焼けした肌。中肉中背で、やや目じりの下がった優しい瞳。整った甘いフェイス。


 それが、高橋大地だった。


「君、鳴治館? 頭いいんだね!」

「意外だなあ。律響の方にいそうなタイプだよ」

「おい、俺ら鳴治館の後輩だぞ。ちったあ遠慮しろ」


 たちまちお佳を取り囲む男子先輩達の好奇の視線。

 それにはいい加減慣れてはいるが、やはり心地良いものではない。

 それをお佳の高慢と言う者もいるが、それは当事者になってみないと決してわからない感情だとお佳は思う。


 ここは、鳴崎市の「緑地が丘公園」テニスコート。

 緑地が丘公園は「市民公園」で、市営のテニスコートの他に体育館やプール、散歩道などがある緑豊かな広い公園だ。


 ここで、律響大学と鳴治館大学の合同テニスサークル「デジャヴュ」の練習が行われている。

 佳は大学に入学し、テニスを始めたいと思っていた。入学式の時、クラブ勧誘で「デジャヴュ」のチラシをもらい、見学してみることにしたのだ。


「デジャヴュ」は、二、三年生部員・男女合わせて約二十名。そこに毎年四月に十五、六名ほどの新入生が入部してくる中堅テニサーらしい。その中で男女の比率はほぼ半々。新入生女子はほとんど初心者。しかし、先輩部員がラケットの選び方から始めて、初心者にも優しくちゃんと指導(フォロー)するということをアピールしている。


「このベンチで今日はゆっくり見学して」

 大地はお佳にそう言うと、コートに立った。


 とくん…… とくん……


 何……

 この胸騒ぎは……


 お佳は自分の胸の鼓動を意識している。

 それはお佳が生きてきた十八年間の人生の中で、一度も経験したことのない胸の高鳴りだった。

 その鼓動(おと)にお佳は戸惑う。


 視線は無意識に大地を追う。

 テニスの経験はないお佳にも、その腕前のほどがわかる。大地は素人としてはテニス上級者だった。


 白球の行方と大地の動き。

 いつしかお佳の意識はそれだけに集中していた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆



 お佳が大地に全ての意識を奪われるのに、ほとんど時間はかからなかった。


 それは、お佳の「初恋」だった。


 初等科からずっと「静真(せいしん)女子学院」という伝統ある名門女子校育ちだった佳は、鳴治館大学入学で初めて「共学」を体験している。


 もっとも、長い豊かな茶色の巻き髪に均整の取れた細く長い四肢。奥ゆかしく黒く(きらめ)く、切れ長の印象的な瞳。すっと一筋通った鼻梁、品の良い小さな淡い桜色の口唇(くちびる)……

 その水際だった類稀な美貌で静真時代から近隣の学校にその名を知られていたお佳は、男子学生のアプローチにも慣れていた。


 しかし、静真を卒業するまでお佳を虜にする男子はとうとう現れなかった。

 何度告白を断ったかわからない。

 そのお佳の興味を大地の何がそれほど引いたのか。

 お佳自身が考えてもその答えは見つからなかった。


 ただ、恋に堕ちた────── 


 それは、理屈ではない。

 お佳の女としての本能。


 大地さんが好き……


 日々募りゆく想いをもはやお佳は抑えられなかった。


 しかし……


 ある日、お佳に人生最大の不幸が訪れる。




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