友情と自分の命、アンタならどっちを選ぶ?
「このゲームが開始されて三時間ほどしか経過していないが、既にこれほどの犠牲者が出たのか」
「この数字は流石のあたしも凹みそう……」
「奴らがここを嗅ぎ付ける前に武器を揃えるとしよう」
「賛成」
トリニティとナツが食料品コーナーで包丁などの刃物類を鞄に詰め込んでいる頃、狩人はようやく悶絶から回復し、立ち上がる。
「フシュルルルル……」
不気味な音を放ちつつ、立ち上がった獰猛な彼の右の瞳には憎悪の炎が燃えていた。左の眼を奪ったあいつを何としても倒さねばならない。それが狩人としての務め。飢えているのは参加者だけにあらず。
狩人もまた同様だった。閉まっている肉屋のショーウィンドウを蹴破り侵入すると、ショーケースを破壊し、中の肉を貪り食う。
普段は牛肉を好む彼であったが、今は飢えを満たせればそれでよかった。一心不乱に肉に噛みつき、鋭い歯で細切れにする。
滴り落ちる真っ赤な血が、肉屋の床を染めていく。
先ほどの男よ待っていろ。この肉がお前の未来の姿だ。どこまでも追いかけ、確実に仕留めてやる。野生の本能を全開にした獣は右へ左へふらつく足取りで外へ出ると、床に顔を近づける。床の匂いを嗅いでいるのだ。数歩進んでは立ち止まり、再び匂いを嗅ぐ。アスファルトの中にわずかながら男の匂いが混じっていることを確かめた狩人は、匂いが真っすぐ続いていることを悟った。そして、その方角に何があるかということも。
男よ。お前の居場所はわかったぞ。少しの間、待っていろ。
すぐにかけつけ、その体をバラバラに裂いてやるからよ。
歓喜の涎をまき散らしながら、狩人は獲物に向かって疾走する。
ショッピングモールに到着した彼はダンッ!とアスファルトに足跡がつくほど強く、高く跳躍。両の鉄の爪をすべり止め代わりにし、デパートの壁にへばりつく。
そして頭突きで窓ガラスを粉砕すると、三階から悠々と中へと侵入していった。
食料品コーナーに来たトリニティとナツは早速、包丁やナイフなどの武器として使用できそうな刃物を次々に鞄へと入れていく。万が一、鞄を逃走の際に落としても不自由にならないようにと、服の中にも幾つかナイフを忍ばせておく。
「これで安心?」
「何とも言えぬ。並の人間なら問題はないが、化け物が相手となれば話は別だ。幸いなのは左目を負傷していることぐらいか」
「だったら左側から攻撃をすれば勝てるんじゃない」
「言葉にするのは簡単だが、実際に戦うとなると難しい。敵も警戒しているはずだからな」
「そっか」
その時。上の階から激しい物音と唸り声が聞こえてきた。
そして。
天井を破り、狩人が降り立った。左目は潰れ血を流してはいるものの、獰猛さは先ほどと変わらぬ、いや、それ以上のものがあった。
「さっそくお出ましのようだね。どうする?」
「走れ!」
合図と同時にナツは全速力で走り出す。トリニティもあとを追うが、後方から狩人が尻尾を振り回しながら迫ってくる。
「シャアアアア……ッ」
涎をまき散らし、そこら中にある品物を石化、粉砕しながら、二人に襲い掛かる。
「どっちに逃げたらいい? エレベーター?」
「エレベーターは時間がかかり過ぎる。非常用階段にするんだ!」
「了解っと!」
非常口のドアを開け、勢いよく駆け上がるナツ。
トリニティはドアの前で足を止め、鞄から二本の包丁を取り出し、左右に握る。
「人工生命体よ。第二ラウンドの開始のようだな」
「シャバアアアアアアアッ」
狩人が太い尾を振ってトリニティを強打しようとする。彼は屈んで躱すとその尾の真ん中に包丁を突き刺した。すると尻尾は床に刺さった包丁に釘付けにされ動かすことができなくなってしまった。
「グルルルルルル」
悔しそうに唸る狩人の鼻先に拳を見舞う。
「フゲェ~」
鼻血を出しながら後方にのけぞる相手に二発、三発とパンチのラッシュで応戦する。
「鼻が利くだけにこの攻撃は効いたろう」
狩人は地面から尻尾を引き抜くべく力を込めると、長い尾はトカゲのようにちぎれてしまった。
「これでやつの尻尾は奪った。残るは爪と唾液だ!」
トリニティは手甲に包丁を当て、狩人の主要武器を引き剥がしてしまう。鉄の爪を失った狩人の指からは、それよりは威力が劣るものの、鋭利な黄色の爪が現れた。
「甲冑をしていなければただのオオトカゲと言ったところか。
だが、武器をなくしたとて私は容赦せぬ!」
左目は潰され、尻尾は千切られ、手甲は外された。
満身創痍ではあるが狩人は勝負を諦めようとはしない。
真っすぐトリニティを見据え、その巨体を宙に躍らせた。
体重で彼をプレスしようというのである。
「グオオオオオオオオオオオッ」
迫りくる狩人にトリニティは口角を上げる。
巨大な影が迫ってくる中、彼は微動だにしない。
「捨て身の攻撃か。貴様がそうくるのなら、私も全力で受けて立つ!」
五階まで階段を一気に登りきったところで、ナツは足を止めた。
膝に手を置き、荒い息を吐き出す。
流れ出る汗を手の甲で吹きつつ、最上階である五階の扉に手を伸ばす。この扉を開ければ屋上に出ることができる。だが、ナツは扉を引くことができずにいた。恐怖からでは断じてなかった。彼女は息を整えながらも、階下を見下ろす。吸い込まれそうなほど下にある一階の階段。だが、そこにトリニティの姿はない。
追いかけてくるはずの狩人も見えない。
それはつまり二人が一階で戦闘を繰り広げていることを意味する。
彼女は思った。
トリーが逃げろと言ったからそうしたけど、どうして階段を昇ってこないの? まさか、最初からあたしだけを逃がすつもりで、自分を囮にするつもりだったの?
「そんなの卑怯だよ」
口をついて出た言葉に彼女の瞳から一雫の涙がこぼれる。
涙は線となり、彼女の細い顎を伝って地面に落ちた。
トリニティとは今日会ったばかりで、一緒にいた時間はそれほど長くはない。普通に考えれば彼の行為を無駄にせず、自分が生き残るのがベストの選択だろう。確実に生き残れる保証はないにせよ、生きることのできる時間は延ばすことはできる。
だが、これまで自分の欲を優先し、常に割り切ってきた彼女にここで迷いが生まれた。
ここで自分が逃げるのは良いことなのか。
彼を犠牲にすることで生きるのは善なのか。
このゲームは文字通り、命を懸けている。他人に構っている場合ではない。大切なのは自分の命だけであり、それを守るためなら他人だって利用するし、平気で見捨てる。これはそういうゲームだ。
頭ではそれがルールーだと理解していた。しかし。
彼女の心がその掟を全力で拒否した。
「あたしにはできない! 二回も救ってくれたあいつを見捨てて生き延びるくらいだったら……トリーと一緒に死ぬ道を選ぶ!」
彼女は扉に背を向け、階段の手すりに座ると一気に滑り下りた。
救いの道を断ち、彼女は友を救う道を選んだ。
たとえ犬死する結果になろうとも、短い時間ながらも自分と交流してくれた彼を裏切らないのであれば、それが一番後悔しない選択だから。
ナツが一階まで下りてみると、そこには狩人にのしかかられたトリニティの姿があった。彼女は息を飲んで近づくと、トリニティが目を向け言った。
「何故、戻ってきたんだ。逃げろと言ったのに」
「アンタがいつまでも来ないから心配したわけ。それに一人で逃げるのは寂しいし」
「君だけでも逃げて欲しかったものだ。私はどうなっても構わなかった」
「命は大事にしなきゃ、でしょ」
「一理あるな」
「……まずはそいつから離れたら? いつまでも上にのっかられたままだったら辛いんじゃない」
「君の言う通りだ」
狩人の巨体を脇によけると、その腹には包丁が根元まで刺さっていた。床は狩人が流したと思われる緑色の血で染まっている。
トリニティはゆっくりと立ち上がり、状況を説明する。
「やつがボディプレスを敢行したのを包丁でカウンターを仕掛けた。
甲冑の隙間を狙ってな」
「やるじゃん」
「これでも修羅場をくぐってきているからな」
「アンタの職業って――」
何、と訊ねかけ、その問いを止める。彼が普通でないことは誰の目にも明らかだ。何にしても一般の仕事とは違うことは確かだ。
改めてナツは狩人に目を向ける。獰猛な人工生命体は瞼を閉じ、口からだらしなく舌をだらんと垂らし、動く気配はない。
だが、万が一にとトリニティはナツを背後に隠しながら身構える。
「こいつ、生きてるの?」
「静かに」
真剣な声色で告げたのでナツは口を噤む。
デパート内はしんと静まり、物音一つない。
刹那、狩人の指がピクッと動いた。
「まさか――」
「シャギャエエエエエエエエエエエエッ!」
凄まじい咆哮と共に上半身を起こすと、身を翻し、再び息を吹き返してきた。命の炎が消える前の最後のあがきとばかりに、野生の爪をナツに向かって振るう。トリニティは咄嗟に彼女を突き飛ばすと、自らの背に敵の一撃を食らってしまった。
「うっ……」
斬撃は服を切断し、トリニティの背に五つの切り傷ができた。
そこから血がドクドクと流れ、彼は激痛に思わず片膝をついた。
「フーッ!」
狩人は息を整え、深手を負った敵に止めを刺そうと試みる。
その時、凛とした声で告げた。
「そこのトカゲ! 攻撃するならあたしにしなさい!」
自らの胸に手をあて、凛と宣言するナツ。
「何を言い出すんだ。君は早く逃げ――」
「アンタは黙ってて! コレはこいつとあたしの問題なの!」
ナツは必至だった。少しでも自分を囮にして、彼を逃がしたかった。
自分が彼にされたように。
だが、狩人は彼女を一瞥しただけで、すぐに視線をトリニティに戻した。まるで歯牙にもかけないという態度に、ナツの心に怒りが沸き上がる。先ほどの激闘で転がっていたかと思われるモップを手に取り、無謀にも狩人に向かっていく。
「無茶だ! よせ!」
「たああああああああああああああああっ!」
怒りのモップ攻撃は、狩人の放った右の振り払いにより、柄を粉々に粉砕されその余波を受けてナツ自身も吹き飛ばされてしまう。
小柄な体は非常口の扉へと突っ込んでいく。まともに衝突すれば命を失ってしまうだろう。
だが、寸前で彼女の体を受け止めた男がいた。
黒いタキシードを着こなした筋骨隆々の大男、ディックだ。
「オジョウサンハココデネムッテオキナ……」
気絶したナツを優しく床に寝かせると、狩人を睨み。
「チョウドケンカノアイテヲサガシテイタトコロダッタ。ツゴウガイイヤ。ソコノトカゲヤロウ、オレトヤロウゼ」
拳や首を鳴らしながら臨戦態勢に入ったディックは立ち上がれないトリニティを見てニヤッと笑い。
「オジョウサンヒトリマモレネェトハ、オマエハ、アイカワラズヨエエ」
葉巻の煙を口から吐き出すと、右腕を大きく引いて、単純なパンチを見舞った。何の変哲もなく予備動作も大きな拳。
普通ならキャッチできるはずのものだが、狩人の手はそこまで器用にできているわけではない。あっさりとガードを崩され、頬を殴られる。
「グエッ……」
視線が左右に振動し口から吐しゃ物を吐き出した。続けて放たれた巨大な足から繰り出された蹴りは狩人の腹に大きな凹みをつくり、後方に吹き飛ばす。飛ばされた先には段ボールの箱が幾重にも積み重なっていたので、それが降り注ぐ格好となる。しかし、狩人は段ボールを払いのけると、標的をディックに変更し、猛然と襲い掛かる。
だが、その突進をあっさりと受け止め、ディックはこれ以上の進行を許さない。激怒した狩人が研がれた爪を振るうも、軌道を見切られ避けられてしまう。
大口を開けて噛みつこうとすればピンポイントで口の中に拳をブチ込まれ、全ての歯を折られてしまった。膝蹴りを浴びて態勢を崩されたところへ甲板へ強烈なストレートパンチ。
「ピキィ!」
相手の圧倒的な強さに恐怖し、甲高い悲鳴を出して逃走しようとする狩人の背にタックルで追撃。
転倒させると、その緑の首を掴んで強引に立ち上がらせるとそのまま引きずり、エレベーターへと向かっていく。
「どこへ行くんだ」
トリニティの質問には答えず、獰猛な狩人を載せたままエレベーターの扉をしめる。そしてどんどん上へと上昇していく。
最上階でエレベーターを出された狩人は死に物狂いで抵抗するも、腕や足は空振りするばかり。
そしてとうとう、狩人が入ってきた窓へとやってきた。
「テメェハココカラカエリナ!」
腕を掴まれ、幾度もジャイアントスィングのようにたっぷりと回転したあとパッとディックは手を離した。
支えを失った狩人はコマのように回りながら窓を破り、真っ逆さまへと落ちていく。
「ピギャアアアアアアアアアアアァッ……」
断末魔を最後に狩人は全身をアスファルトに叩きつけられ、トマトのように潰れ、大量の血を吹き出し死亡。直後に狩人の遺体は跡形もなく爆散した。
狩人を倒したディックは一階に戻ると、気を失っているナツと負傷したトリニティを担ぐと、駐車場に停めてあった車に彼らを入れ込み、そのままショッピングモールを去っていった。
夜。ナツを寝かせ、トリニティはディックと共に車の外へ出た。
満天を星空を眺めながら、男二人で語り合う。
「まさか君があれほど高機能な車を持っていたとは驚いたよ。中も広々しているし居心地も良い」
ディックの車は一見すると小さく見えるが、最高十人乗れるほど広さを変えることもできる。更に彼は今回のゲームを予想していたのか、車内には座席の中などに水や食料を保管している。
耐久性も非常に高いので、トリーはまるで要塞のように感じられた。
ディックは強面の顔に笑顔を見せ。
「オレノジマンダ。コンナコトモアロウカト、クルマデキテタスカッタゼ。トコロデオメェハ、ゲームクリアシタラショウキンヲナニニツカウツモリダ」
「……病気の妻を治したいんだ」
「オクサンガイタノカ」
「これでもね。妻の病気は金があれば治るが、私は稼ぎが少ない」
「ダカラコノゲームニサンカシタノカ」
「そうだ。君はどうしたい」
「ショウキンナンゾキョウミハネェ。オレハツエエヤツトヤリアイ、サケガノメレバソレデイイ。コノゲームニハツヨイヤツガイソウダカラ、サンカシタマデダ」
「君らしい答えだな。ところでディック、君に頼みがある」
「モッタイブラズニサッサトイイナ」
「もしも私に何かあったら、その時はあんどーなつを守ってやってくれまいか」
「ナゼ?」
「私はこれまで、誰も守ることができなかった。戦友も家族も妹も。
今は妻を助けるために参加しているが、もう一つ目的ができた。
あの娘を守ってやりたいのだ。彼女は良い子だ」
「ウワキモノメ」
葉巻を燻らせながら軽口を叩くと、トリニティはディックを肘でつつく。
「そうじゃないさ。ただ、このような欲に塗れた醜いゲームで若い命が散るのが我慢ならんのだ。しかし、知っての通り私は――」
「ヨワイ」
「……そうだ。否定できないほどに」
「オマエノチカラハオトロエテキテイルカラナ」
「だからこそ君に頼みたいのだ」
「オマエノギリニコタエルホドオレハシタシクネェヤ」
「承知の上だ。だが、君以外で頼めるものはいない」
「シニモノグルイデマモッテミテ、ソレデモダメナラ、ソノトキハスコシバカリタスケテヤルゼ。オマエノタメデハナク、アノオジョウサンノタメダ」
「ありがとう、ディック」
そのとき、後部座席で眠っていたナツが目を覚ました。
「二人ともアタシを抜きで何喋ってんのさ?」
「オトナノカイワダ」
「そんなこと言って、どうせエロいことでも話していたんでしょ?」
「君の想像に任せる」
二人は笑って車に乗り込む。
中に入ると、ナツがディックに告げた。
「トリーは日本語ペラペラなのに、何でアンタは片言なの?」
「ニホンゴハウマクネェ」
「ふーん。じゃ、あたしが教えてあげよっか」
「イラネェ……」
「素直じゃないんだから」
飽きれたように嘆息し、肩をすくめると、軽い拳骨を見舞われた。
「アンタ、女の子に暴力はよくないよー?」
「オジョウサンノクチガナマイキダカラナ」
「どういう意味よ!?」
星の瞬く夜の街を漆黒の車は走る。
その様子をはるか遠くから眺めている者がいた。
目だけを覗かせた木製の仮面で顔を覆い、中華風の衣装を身にまとった人物だ。黒く長い髪を風に靡かせながら、車が完全に見えなくなるまで見つめていたが、やがて踵を返すと闇の中へと消えていく。
仮面の怪人がやってきたのはショッピングモールの入り口だった。
見上げるとモールの三階と五階の窓ガラスには大穴が空いている。
一つは狩人が侵入の際に開けたもの、そしてもう一つは狩人をディックが放り投げる際に作られたものだ。
そこから落ち、狩人が爆死した時にできたクレーターを覗きこむと、ポツリと怪人は呟いた。
「狩人を倒すとは侮れぬやつらだ。どうやら明日は、私が奴らと相対せねばならぬようだな」
それだけ言うと怪人は瞬間移動のようにその場から姿を消す。
新たなる脅威が参加者たちを脅かそうとしていた。
残り15人




