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非常事態には堅いことなんて言ってられない!

トリニティは拳に秘めた金属の棒の底を親指で押すと、その先端が展開し、長剣が出現した。


「食らえ!トリニテイイイイイイイイイイイソオオオオオドッ!」


跳躍し、真一文に敵の頭頂部を狙った一撃は手甲により防がれる。


「やるなッ!」


後方に二、三度飛んで狩人との距離を置く。

敵の出方を伺っているのだ。

愛用の長剣は先ほどの攻防により僅かに刃こぼれしていた。


「チィッ……こんな時に刃こぼれが起きるとは。やつの手甲が強固なのか、あるいは我が剣の耐用年数切れか……ッ!」


歯をギリギリと噛みしめ、敵を射るように見る。

狩人は感情の無い瞳で相手に視線を向ける。

これまでの二人は手ごたえがなかった。

だがこいつは剣を持っている。その剣でどこまでやれるのか、せいぜい楽しませてくれ。そのような感情を抱いたかは定かではないが、トリニティは狩人の瞳からそのような思いを感じ取った。


「未確認生命体よ。貴様の命はここで潰える。我が正義の刃によって!」


吠えながら剣を手に向かうトリニティ。

狩人もかぎ爪で応戦する。

激突した二つの武器は互いの発生する摩擦熱によって激しい火花を散らす。


「ヌゥン!」

「ブルワアアアアアアアアッ!」


己を鼓舞するかのように吠え、幾度も打ち合う。

二十合ほど互角の勝負を続け、二十一回目の鉢合わせの時、遂に限界を迎えたか、トリニティの愛剣、トリニティソードが真ん中からヘシ折れてしまった。だが、彼は勝負を捨てない。


「まだ終わりではないっ!」


折れた剣で狩人の腹を突き刺すも、肝心の鋭い切っ先が折れては効果は激減。しかも相手は甲冑を着こんでいた。そのため、剣にさらなる亀裂が入る。対抗するかのように放たれた前蹴りをまともに食らい、トリニティは後方に吹き飛ばされてしまう。

痛む体に鞭打ちながら立ち向かうが、既に武器は使い物にならない。


「かくなる上は――」


何かを決意したかのように目を瞑る。

それを最後の覚悟を決めたととった狩人は獲物に止めを刺すべく、かぎ爪を太陽に光に当て、銀色に照らす。

これがアニメや特撮なら頼りになる味方が間一髪で止めを阻止し、命を救われるだろう。だが、この場には彼の仲間は一人もいない。

守ることができるのは己の体のみ。

かぎ爪が自らの体に着弾する直前にカッと目を見開いたトリニティは黒手袋を脱ぎ、右手を相手の顔面目掛けて伸ばす。

そして、人間とは明らかに異なる鷲のように太く鋭い爪を狩人の顔面に食い込ませていく。


「シューッ……」


顔面を握られたことにより正確性を失ったかぎ爪は地面に刺さる。

だが、狩人は空いている左腕で一撃を当てようとする。

トリニティはニッと笑うと、ますます手に力を込めていく。

狩人の顔面から血が噴き出し、それがトリニティの顔にかかるが、彼は全く気にすることなく鷲掴みを続行する。


「貴様の鉄の爪も中々の威力だが、私の爪も捨てたものじゃないだろう」

「シャアアアアアアアッ」


自慢の武器を比較され頭に血が上った狩人は例の生物を石化する唾液を吐こうと試みるが、口をしっかりと掴まれているため、どうすることもできない。

「私が何の計算もなく貴様の顔面を狙うと思うか。お前の攻撃を見抜けぬほど私は単細胞ではないぞ!」

一喝と共に放たれた右手の目潰しは、見事に命中し、狩人の右の視界を奪うことに成功した。


「~~~~~~~~~~~ッ!」


声にならない悲鳴をあげて空いた手で右目のあった個所を抑えて悶絶する相手に、トリニティは鷲掴みを解除。

七転八倒する相手を他所に、銀の棒へと戻ったソードを回収し少女の元へと帰還する。


「よく私の指示を守ってくれた。偉いぞ」


血に濡れた顔で微笑む彼に少女は嘆息し。


「褒めたからって何もでないけどね。それより、あの怪物が復活したら厄介だから、とりあえず身を隠そっか」


血だらけの自分を見ても驚かず、平然とした様子で隠れることを提案する少女にトリニティは少なからず驚いた。彼女くらいの歳であれば怪物染みた狩人を見ただけで気を失うか絶叫するだろう。だが、彼女は目の前で人が殺められても、狩人から辛くも痛手を食らわせた自分を見ても恐怖を覚えるどころか、おののく素振りさえ見せようとしない。この少女は年齢に似合わずだいぶ肝が据わっている。


「どうしたの? 早くついてきたら」

「ああ……」

「考えるのもいいことだけど、頭ばかり動かしてたら他の機能が退化しちゃうんじゃない。考えながら行動もしないとね」

「一理ある」

「一理どころか百理はあるって言ってほしいね」

「そういうものなのか……」

「そういうこと!」

「ところで君は――」

天野あまのナツ」

「あんどーなつか」

「天野ナツだってば。でも、呼びにくいんならそのニックネームでもいっかな。あたし、ドーナツ大好きだし! それで、アンタは?」

「年上にはせめてあなたと言った方が良いのでは?」

「いーじゃんそんなことどーでもよくて。堅いことばかり気にしていたらお煎餅みたいになっちゃうよ~。コミュニケーションはもっと軽くいかなきゃね! それでさっきの話に戻るけど、アンタの名前は何?」

「トリニティだ」

「じゃあトリーって呼んでいい?」

「そのような呼び方をされるのは初めてだ」

「それって嫌ってこと……?」


ナツがトリニティの顔を下から覗き込む。

美白の肌に小さな顎、パッチリと開いたツリ目気味の黒い瞳。弾力のありそうな小さく赤い唇。彼女は瞳を涙で潤ませながら訊ねる。

その姿は捨てられた子犬が雨にずぶ濡れになりながら、段ボールから顔をのぞかせ連れていってと頼む様子を彷彿とさせるものだった。

もしもナツに犬の耳があったとしたら、きっとしゅんと下向きに垂れているところだろう。


「……君の好きにしてくれ」

「イェイ!」


ナツのあまりの可愛さに思わず目を背け、言葉をかけると、ナツはウィンクをしてニッといたずらをする子供のような笑みを見せた。

騙された。自分ともあろうものが少女の嘘の表情に簡単に引っ掛かった。変なあだ名を認めさせるための演技を見抜けないとは、自分もまだまだ修行不足。己の未熟さを痛感し、打ちひしがれていると、ナツが指を差して。


「あの建物に入ろうか。みんな入っているみたいだし」


その方向にはドーム型の巨大な建築物がそびえたっていた。

球場か、それとも体育館だろうか。いずれにせよ、参加者全員を収容できる建物には間違いなさそうだ。あそこで少し休息をとり、それからあとのことを考えるのも悪くはないだろう。


「何してんの。さっさと行くよ!」

「私の腕を引っ張るのはやめてくれないか」


だが少し不満を口にしたところでナツの耳に届くはずもなかった。


残り28人


トリニティらが入った建物はショッピングモールだった。

服や電化製品、食料品や本屋だけでなく飲食店や映画館まで備わっている。表の外見と中身は全くと言っていいほど異なっていた。

狩人の気配も感じられないので、成り行き上ではあるがナツと一緒にモールの中を散策することにした。歩くことで思考が活性化し、このゲームの攻略法を見つけられるかもしれないと踏んだからだ。

二人仲良く歩くその様はさながら歳の離れた兄妹のように見える。


「……これが普通の人の暮らしというものなのだろうか」

「アンタはショッピングモールとか行ったことないの?」

「機会が無くてね。こういう場所には縁がなかった」

「でも、こうしてこられてよかったじゃん。しかも美少女と一緒に。デートみたいで楽しんじゃない」

「自分の容姿を自画自賛するのはどうかと思うが、楽しいかと問われればよくわからない。経験が無いのだから」

「長い人生だし、経験はこれから積んでいけばいいと思うよ?」

「成程な」

「ところでトリー、さっきから気になっていたんだけど」

「何だ」

「人気が少なすぎない?」


彼女の問いかけにトリニティは入店した直後から抱いていた謎の違和感の正体がわかった。このモールは巨大な娯楽施設の割に異様なほど人の気配がないのだ。もともと富豪しか住めないことを差し引いたとしても、この場所に来てから二十分もの間、誰一人として出会っていないのだ。単に客が少ないのであればわかるが、この施設には店員の影も形も見当たらない。


「何か変だよ」

「X氏がこのゲームを主催するにあたり、ゲームの障害物と鳴りかねない住民を排除したと考えるのが妥当だろう」

「ってことはドーナツ食べ放題ってこと!?」


目をキラキラと輝かせ頬を紅潮させるナツにトリニティは嘆息した。

初対面の時は命令口調で指示を出したと思ったら、フレンドリーに接し、店の違和感に恐怖を覚えたら次の瞬間にはドーナツ食べ放題などと明るく言い出す。彼女は情緒が不安定なのか、それとも自由気ままに生きているだけなのか。彼には全くわからなかった。


「あんどーなつ。店員がいないからといって盗み食いは感心しないな」


諭すような口調で告げ、横を見るとナツの姿がない。

まさか誰かに連れ去られたか。この一瞬で? 自分にも気づかれないほどの速度で誘拐するとはかなりの手練れ。彼女を誘拐する目的は何だ。体中からアドレナリンが噴き出し、左右を見渡す。その眼力は鷹のように鋭い。


「こっちこっち!」


ナツの声がしたのでその方角を向くと、何と彼女はドーナツ屋のテーブル席に腰掛け、オレンジジュースと白い皿に大量のドーナツを載せ、頬杖をついていた。気だるそうに手招きをしつつ、ストローでジュースをすすっている。


「あんどーなつ! 君は何をしているんだ」

「ドーナツを食べてるに決まってるじゃん」


喋りながらプレーンドーナツを頬張る。


「それは見ればわかるが、金は払ったのか」

「店員さんもいないし、お金なんて払う必要ないでしょ」

「なっ――」

「それに、いま食べておかないといつ狩人に襲撃されるかわからないし。よく言うでしょ。腹が減っては戦はできぬって」

「だが、未成年のうちから犯罪に手を染めるようなことがあっては」

「Xさんより酷いことしてないんだから大丈夫だって。それに、請求を求められたら、ゲームクリアの賞金で払えばいんだし」


割り切っている。彼女は何もかも割り切り、余計な思考を排除し、己の欲望のままに動いている。それは自分にはない長所。だからこそ、決断力があり、大胆な行動がとれる。このゲームを攻略するには彼女のような思考を持つのも重要なのかもしれない。

意を決してどかっと椅子に腰かけ、ナツと向かい合った。


「ドーナツ食べ放題なんだから、好きなだけ食べないと損だよ」


店に置いているドーナツはもちろん商品なのだが、このまま置いておいてもあまり日持ちしないこともあり、早く食べたほうが廃棄処分にもならないし、ドーナツにとってもそれが喜びになるだろうと切り替え、トリニティもナツと同じくドーナツを頬張る。

だが、驚いたのはナツの食欲だ。両手にドーナツを持ち、大口を開けながらパクパクとそれを食べる。一個につき十秒ほどで完食している。


「早食いは消化によくない」

「今は非常事態なんだから、そんなことは言いっこなし! それで、怪物と戦って何かわかった?」

「収穫はあった」


トリニティが彼女に話したことをまとめると。


狩人は野生の生き物ではなく、人工的に生み出されたもの。

普段は鈍足だが、戦闘と参加者を仕留める場合に限り俊敏性を発揮する。その速さはチーター並み。但し、重量級なので長くは速度を維持できない。

口から発射する唾液には生命体を石化させることができる。

かぎ爪を武器としている。

胴体は甲冑に覆われており、強固。

長い尻尾を有しており、その尾を使った攻撃や締め付けもできると見られる。


情報を伝え終えるとナツはジトッとした目つきでトリニティを見て。


「それってさぁ、別に戦わなくてもほとんどわかることなんじゃ……」

「見ると体験するでは同じ物事でも違って感じることができる」

「成程ねぇ。それで、こっちの戦力はどんな感じなの?」

「今の時点で参加者は二十八名。各々の戦闘力は不明だが、私はトリニティソードを大破されたから、素手で戦わざるを得なくなった」

「トリニティソードってセンス悪すぎ。自分の名前を付けただけじゃん」

「個人的には気に入っているのだが」

「アンタの壊された剣は使用不可能として。食料品コーナーに行けば、料理道具も販売しているはずだから包丁とかはあると思うよ」

「包丁を武器にするのは気が進まぬが、この際、仕方がないだろう。武器はそこで手に入れるとして、問題がもう一つある」

「もう一つの問題って?」

「残りの狩人がどんなやつかわからんということだ」

「確か三体いるんだっけ」

「その通り」


X氏はゲーム開始前に三体の狩人から逃げろと言った。

一体は爬虫類型の狩人であるのは分かったが、残りの二体がわからない。一体目と同じく人工生命体なのか、それとも普通の人間なのかもトリニティは予想ができなかった。その話を聞いたナツはチュルチュルと音を立ててジュースを飲み干すと天井を見上げて言った。


「そんなの会ってみなきゃわからないじゃん。ここで予想大会したところでハズレるのがオチだろうし」

「正論だな」

「……いつまでもここに長居しているのもつまらないし、そろそろどっか行こうか」

「私たちはこの街に観光に来たわけではないのだぞ」

「わかってるって。まずは食料品コーナー、でしょ」

「だがその前に、やるべきことがある」


トリニティは鞄から袋を取り出すと、素早い手つきで店のドーナツを詰め込む。


「君はドーナツが好きな様子だからな。非常食にはなるだろう」

「気が利いてるじゃん」

「では、行こうか」


トリニティが店から出ようとしたとき、ナツから着信音が聞こえた。

彼女が黄金カードを取り出すと、それが発光していた。

X氏から支給されたカードは現在の参加者の残り人数を知らせる機能が付いている。彼女はカードに示された数字を見て、目をまん丸にして仰天した。


「嘘! マジ!?」

「どうした」

「アンタも自分のカードを見たらわかるよ」


心なしか彼女の声に元気がない。試しに自らのカードを見てみると、そのわけがわかった。


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