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桃色昇華

作者: 御堂鳴子
掲載日:2018/05/15

 7人だ。

 なんの数字だとお思いだろう。入っている弱小サークルの人数? 同じゼミを取っている同級生の人数? 今なお繋がっている高校時代の友人の数? それとももっと端的に、私が友達と呼べる人の数?

 どれも虚しい数字だが、否。答えは私の口から、目の前でコーヒーを飲む男へ向けて。

「結局一人も彼氏できなかったぁぁぁぁ!!」

「うるさい」

 私がフラれた人数でした。はい。たった4年足らずで7人。我ながら恋多き乙女だと思うが、ゆえに敗れた恋も多く。しかもフラれた人は軒並み全部、そろいもそろって現在彼女持ち。つまり私は完全なる敗北者。行き着けの喫茶店に友人を呼び出し、愚痴の一つも言ってやらないと気が済むまい。

 ちなみに、昨日までは6人だった。朝起きたら7人になっていた。今日の私はダイエットのために糖分絶ちをしたときよりも不機嫌だ。

「なんでなの!? なんで私ばっかりこういう目に遭うの!? 自分で言うのも何だけど気配りできるほうよ? 彼氏に求める条件なんてほぼゼロに等しいのよ? 相手にされなくたって拗ねたりしないわよ? なのになんで!?」

「だからうるさいっつの」

 チーズケーキを頬張りながら怒鳴る私なぞ眼中にないのか、そいつはあくび混じりに言う。呼びつけたときから今までずっと眠そうで、コーヒーを飲んでいるのも多分眠気覚ましのためだろう。もしかしたら私の怒声も、ちょうどいい目覚まし時計くらいにしか捉えてないのかもしれない。そう思うと無性にムカつくので、私は頬杖をついて言った。

「ウルサイばっか言ってないで何か答えてよ、道人(みちと)。なんのために呼び出したのか分からないじゃない」

「愚痴聞き役じゃないのか」

「……間違ってないけどそれだけじゃないわよ」

 目じりにうっすら涙を溜めている。眠いときは特に意味もなくかふかふと口を開閉させるのは、高校時代から変わらないこいつのクセだ。

 道人はひらひらと手を振って言う。

「正直、これで何度目だかの愚痴聞かされてもなぁ。聞いてやる分には聞いてやるけど、返せる答えなんて出尽くしたっていうか、言ったところで結果が変わらないのは目に見えてるっていうか。だからこその七度目だし」

「うぐぅ」

 しっかり覚えているあたり、相当呆れられているらしい。知らないバンドのライブに連れてこられた人みたいな顔をしている。しかし、たとえ興味がなくとも聞いてもらいたいのが愚痴というものだ。吐き出すことに意味があるのだ。

 それに。何か答えろという要求にだって、今回はそれなりに理由があったりする。

「…………」

 少し黙った私の顔を、道人が覗き込んできた。心配してくれている……わけではなさそうだ。やっぱり呆れはてている顔で、浮かんでいるのは単純な疑問符。

「お前もよく飽きねえよな、恋愛するために大学通ったっつっても過言じゃねえだろ。それで収穫ゼロなんだから、そこに関してだけは同情してやるけど」

「そ、そっちだって同じじゃないのよ」

「俺はハナから作る気なかったからな、彼女。ま、作るって言ってできるもんでもねえと俺は思う」

 私を見ながら言うんじゃない。眉間に刺してやろうか、このフォーク。

「……ほーんと、何がダメなんだか分からないわ……」

 ダーツみたいに構えたフォークを、力なくケーキに突き刺した。私はそのまま重力に任せて机にしなだれる。ちょっと反撃されたせいでマシンガンみたいに愚痴を言ってやる気分もどこかに失せ、どちらかというと相談したい気分のほうが勝っていた。私の何がダメなのか。どうして彼氏ができないのか。

 がっついている肉食な感じに引かれているのでは、と言われたことがある。だが私の場合、特別がっついているわけではない。執拗に連絡を取ったりはしないし、私から遊びに誘うようなこともほぼしない。そのかわり日々を過ごす中で遭遇する機会があったら必ず声をかけ、向こうが嫌がっているふうでない限り一緒に過ごすようにしていた。図らずも二人きりになっていい雰囲気が漂ったことだって一度や二度ではないはずなのだ。なのに最後は、なぜか、別の女の子に取られてしまう。

「負け戦してるだけじゃねえの? 実は最初から心に決めた人がいた、とか」

 そんな気配はなかった。というか、私はこれでも人間観察はしっかりするほうだから、仲良さげな男女の間に割って入るような真似はしたくない。ドラマによくある三角関係的なものは苦手なのだ。

「お前はそうなの知ってるけどさ、相手はどうか分かんねえだろ。人間観察ったって限界は当然あるし、深い関係でもない人間を理解できるわけねえし」

「ん、まあ、それくらいはね、分かってるんだけど。でもなんかさ、勝負したって気が全くしないのよ。気づいたら一方的に負けてた、みたいな。……今朝だってそうだしさ」

 無邪気にはしゃいで『〇〇さんと付き合うことになりました!』だって。わざわざ個人チャットで言わなくてもいいじゃない。まったく。

 ケーキを食べるでもなく、手に持ったフォークをもてあそぶ。このフォークみたいにどこか尖ったところがあれば、男性にモテたりもしたのだろうか。他に秀でた特技はなく、勉強も運動もイマイチで、四回生になってまだ就職も霧の中。先の見えない私と付き合ってくれる優しい人なんて、いないのだろうか。養ってくれなんて言わないけどさ、私だって焦りがないわけじゃないんだよ。友達もみんな先のことは決まってるし。

 こいつだって。普段テキトーなくせに、将来のことだけは高校時代からがっちり固まってるやつだ。親の店だろうが何だろうが、私にないものがあるのはうらやましい。

「……なんだよ」

「別に」

 眠そうな横顔をじっと見ていたことに気づかれた。私はついと目を背ける。

 高校時代。私とこいつ、青山道人(あおやまみちと)は付き合っていた。もう何年も前のことのように感じる、当時はごく自然にあった、私と道人が手を繋いで一緒に歩いている風景。高二のときに付き合い始めてから卒業するまで、私の高校生活の思い出にはずっと道人がくっついてきている。仲が良かったのだ、本当に。もちろん今でも。

 ただ、今は、恋人ではない。いつしか私の中で、道人のことが大好きだった気持ちは、他の女友達なんかに抱く大好きと大差なくなっていって、卒業式が終わった翌日、私は別れを切り出した。友達に戻ろうと、そう言った。こいつってば面白かったな、今にも泣きそうになりながら、なんとか恋人って関係を維持できないか私を説得してたっけ。私はひたすら謝っていた。ごめんねって。他の言葉を忘れたように、何度も。

「…………」

 思えば不思議なものだ。道人は多分、今でも変わらず私のことを好いてくれている。大学に入ってからこうして遊ぶ中で、激情をぶつけられたことだってある。分かっていて遊びに誘っている私が悪いのは当然だから、道人の吐き出す言葉は全部受け止めてきた。それでも、道人にとって辛いことなのは間違いないはずなのだ。好きな人が、他の好きな人の話をしてくるなんて、考えるまでもない地獄のような時間だもの。私なら絶対耐えられないって思う。

 道人に我慢を強いる私はとんだ悪女だ。こんなに優しいのに。それこそ作ろうと思えば彼女くらい簡単に作れるだろうに。

「愚痴、終わりか? 急に黙ってどうした」

「…………」

 またあくび。理由は分からないけど、相当眠いらしい。なのに、来てくれた。無理やり呼びつけたのに、うだうだ文句を垂れはしても、帰ろうとはしない。愚痴だって聞いてくれた。何か答えろって言ったら答えてもくれた。

「ねえ、道人」

 私は素直に聞きたくなった。世界で一番心を許せるこの人に。

「なんで、私と一緒にいてくれるの?」

 コーヒーを飲もうとしていた道人の手が固まった。顔を見ればぽかんと大口を開けて間抜け全開、ぱちくり瞬きを繰り返す様はどこか可愛らしくすらあった。ああ、そうだ、思い出した。こいつは昔っからそうだ。予想外のことが起こったとき、咄嗟に反応できなくて一旦フリーズするんだ。あの頃から何も変わっちゃいない。だから可愛いんだ。

「なんでってお前……」

「楽しいからとか、そういうのはナシね。誤魔化さないで答えてほしい。私の聞いてる意味、分かるでしょ?」

「…………」

 コーヒーカップを皿に戻し、道人は黙る。答えを考えている、というよりは、どう言葉にしようか迷っているようだ。私はじっと待った。姿勢を正して、軽く握った手を膝の上に置いて、待った。

 1分くらいそうしていただろうか。道人がやっと口を開く。

「…………愛情、じゃね?」

「は?」

 何言ってんだこいつ。

「っ、や、あの」

 いや、かぁ~、って顔を赤くするくらいなら言わないでよ。言われたこっちも恥ずかしいんですけど。お前が恥ずかしがってどうする。堂々としてなさい堂々と。こら。

「悪ぃ、なんかこう、上手く言葉にできなくて! 頭ん中に浮かんだ言葉で一番インパクト強かったのを口に出しただけというか! 決してカッコつけたことを言いたかったとかそういう意図ではなく!」

「あーもう、分かった、分かったから落ち着きなさい」

 腕を振り回してわっちゃわっちゃする道人をなだめる。一応喫茶店の中だ、挙動不審のままいられると周囲の目が痛い。

 しかし、道人の言葉が理解できないのは本当のことで、私は内心首を傾げていた。愛情って、そんな曖昧な言葉で答えられたって私はどう受け取ってあげればいいのだ。道人から私へ愛情を向けるのは分かる、だって私のこと好きなんだから。でもそれは、さっきも言ったけど地獄のような辛さと一緒になっているはずだ。愛情ゆえに私のワガママに付き合ってくれるというのなら、愛情ゆえの痛みも一緒に感じていなければおかしい。

 少なくともさっき、赤くなる前に道人が浮かべていた、思わずドキっとするような優しい笑顔からこぼれる言葉ではないはずなのだ。

「…………すまん。落ち着いた」

「ならよし」

 コーヒーを一口あおり、わざとらしい溜め息をつく。私は私ですっかり食べるのを忘れていたチーズケーキをつまんだ。う~ん、ふわふわで美味しい。先を促すのもなんか変な気がするし、道人が話し始めるのを待つ。

「……なんつーかさ。お前と一緒にいると気が楽なんだよ」

「楽?」

「そう、楽。すげぇ自然体。ありのままの俺って感じ。家族と一緒にいるのともなんか違って、こう、対等っていうのか? 気を遣うことなんかほぼなくて、でもお互いやっちゃいけないラインは熟知してるから絶対踏み込んでこなくてさ」

「…………踏み込んでこない、か」

「俺、お前に心底嫌なことされた記憶ねえし、お前が心底嫌がることした記憶もねえ。……と思うけど、合ってるよな?」

「そこ確認とるの? まあ、ないけど」

 ちょっと嫌だな、と思ったらすぐやめてくれる。高校時代からそうで、一緒にいるうちに嫌だなと感じること自体なくなっていった。でもそれは、恋人という深い関係で一緒にいたから培われたのであって、今は話を聞くべきなのは分かっていても、私は反論せずにいられなかった。

「私、今、嫌なことしてるじゃん。道人に。こうして二人っきりで一緒にいること自体、今の道人にはすごく嫌なことじゃないの?」

 脈がないと分かりきっている好きな人と、二人っきりでお茶をする。片想いならいざしらず、一度は心が通じ合った仲なのだからなおさらだ。私はそう思っている。分かった上で、道人に甘えきっている。心が痛むくらい、する。

 なのにこいつはあっけらかんと笑うのだ。

「いーや、全然。むしろ楽しいぜ」

 あの頃、私が大好きだった、世界で一番安心させてくれる笑顔を、私に向けるのだ。

「わけ分かんない」

 こぼすように言った言葉に、道人はちょっと考えるようにしながら答える。

「だってお前、ちゃんと分かってんじゃん。こうして会うだけで俺のこと傷つけてるって。そりゃ最初のうちこそムカつきもしたけどさ、そのうちあんまイライラすることなくなって、純粋に楽しめるようになってきたんだ。俺のこと分かった上で俺に甘えてるってことは、逆を言えばそれくらい信頼してくれてるってことなんだと思うと、嬉しくて」

「…………信頼」

「違うのかよ?」

「……いや」

 違わない。そう思う。弱いところを見せたって私から離れていかない。無理に気を配らなくても機嫌を損ねたりしない。ときどき無神経なことを言っても笑って許してくれる。やりすぎたときは注意してくれる。私は道人を信頼している。多分、きっと、道人もそうだ。

 だけど私はまた頭を抱えた。道人の視線から逃げるように机に突っ伏した。何をどうしても『信頼』という言葉が『愛情』に結びつかなかった。私の中にある道人への信頼は、付き合っていた当時からずっとあるもので、大好きだったあの気持ちが消えても残り続けたこの信頼に、一体どんな名前をつければいいのか。

 名前なんて信頼のままでいい。

 でも、そうじゃない。それじゃいけない。そんな気がした。

「『信頼』は……『愛情』なの……?」

「おう。俺はそう思ってる」

 道人はきっぱり言い切った。迷いなんてどこにもない笑顔で。

 なんだか馬鹿らしくなった。遠回しに話を運んで答えをもらおうなんて考え、通じるわけがなかった。さっき思い出したばかりじゃないか、たとえ無様な姿を見せたって道人は私から離れていかない。全部さらけ出したって受け止めてくれる。

「フラれた男の人に言われたの。私からは運命を全く感じないって」

「なんだそりゃ。随分キザったらしい台詞を恥ずかしげもなくまあ」

「うん、私も、運命なんてクソくらえだって言い返してやった。……でも、なんか引っかかったんだ。もしも運命の相手なんてものが存在するんなら、少女マンガみたいな話が本当にあるのなら、私にもそんな人がいるのかなって。一緒にいるだけで胸が高鳴って、ときめきが止まらなくなって、幸せが花になってあふれるような、そんな人」

「ロマンの塊だなオイ……」

「本当ね。いるわけないじゃん。そう思って寝たんだけどさ……。その日、道人が夢に出てきたの」

 私は話した。道人がずっと私の隣にいる夢の話。朝起きて、ご飯を食べて、どこかに出かけて、出先ではしゃいで、くたくたになって疲れてきて、寝る。ごく普通の日常を送る私の隣に、道人がずっといた不思議な夢。そこには、張り裂けるような高鳴りも、うずくようなときめきも、あふれかえるような花もなく。二人の間にピンクのチューリップが、ただ静かに咲いているだけだった。

 道人が照れくさそうに頬をかく。

「……それは嬉しいな。素直に」

 その言葉を聞いて、私も嬉しくなった。運命かどうかなんて分からなくても、信じていいものがあるような気がした。

「一緒にいてね。何かあったら」

「何もなくても一緒にいるわけにはいかないのか?」

「それはウザい」

「…………そんなばっさり切らなくてもいいだろがよ。若干傷ついたぞ」

 誰にだって準備期間は必要だろう。道人も何年かかかったのだから、今やっと理解したばかりの私がすぐ適応できるはずがない。私の場合、これでけっこうカタブツだし、また数年かかってもおかしくない。愛想つかされる前になんとかなるよう努力はするけど、正直自信なんかこれっぽっちも湧いてこない。

 だけど、まあ。たとえ何年かかったって、道人は傍にいてくれるだろう。別れることはあっても離れることは絶対にない。

 今は素直に、そう思えた。

 ありがとう。


 愛する人よ。

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