0009相死相愛
教室はちょうど中央で衝立によって仕切られ、黒板側がおみくじ販売所、反対側が占い屋となっていた。後ろの入り口から来た客が、占い屋で観てもらい、おみくじを買ったり買わなかったりしながら前の出口より出て行く。そういう構成だった。
自分は次々と生徒たちの手相を観ていった。観立てとそれに基づくアドバイスを、可能な限り与えていく。一時間半毎に休憩を入れねばやっていられないほどハードだった。中には教師の赤城や甘利などもいて、カーテンを閉めて薄暗い室内はしかし、異様な熱気で暑いくらいだった。
「お疲れ様」
休憩時、おみくじ販売所の片隅でくつろいでいた自分に、古山宇美が差し入れにペットボトルの緑茶をくれた。誰にでも一線を引く彼女は、当然自分にも目に見えぬ隔たりを感じさせたが、しかし好意は好意で受け取っておく。
「くくく……。ありがとうございます……」
「明日もあるから飛ばしすぎないでね」
「恐れ入ります……」
ふと気になった。
「古山さん、あなたの手相を観てもいいですか……?」
「え? 私の手相?」
変わり者である古山の手相には、もともと興味があった。こんな折だし、いい機会だ。
「ま、まあいいけど、別に……」
「くくく……。では左手を拝借……」
自分は柔らかく温かな古山の手を取り、カーテンを少し開けて日光の元にさらした。人間が描く複雑な紋様を読み取りにかかる。その結果……。
「影響線が怪奇な伸びを示していて、誰の運命にも悪影響を与えると出ています……。それから障害線が複数あって、いくつかのトラブルがあるかもしれません……」
そこまで言って、自分ははっとして口をつぐんだ。ジル様からよく言われている、『人に本当の悲劇を言うな』との教えを、このとき自分は完璧に忘れていた。やはり疲れていたのだろうか。
「当たってる」
だが古山は、極めて冷静な声で感心していた。自分はへどもどしながら言い訳した。
「いや、その、つまり……」
「いいのよ所塚さん」
古山は微笑さえ浮かべていた。今の自分の観立てにそれほど得心したのか、妙に晴れ晴れとした表情だった。しかしどこか寂しそうでもある。
「ありがとう。何だかすっきりしちゃった。……占い屋、頑張ってね」
古山はそれだけ言うと、笑顔で立ち去っていった。休憩時間はもうすぐ終わりだった。
午後三時、ようやく2年A組占い屋は閉店の時間を迎えた。
「終わったね、所塚さん!」
「お疲れ、所塚さん!」
「すごく繁盛してたよ!」
クラスの女子が自分の周りに集まる。抱えきれないほどの差し入れを山と積まれ、嬉しい悲鳴とはこのことだ。
「くくく……。ありがとうございます……」
果たして自分の占いはちゃんと当たっていたのだろうか。不安はあるが、自分なりに精一杯やったつもりだ。
自分から請願して、明日の一般公開も一日中占い尽くしだ。文化祭を楽しむ自由時間を自分は求めなかった。小松先生が三度確認してきたので、三度ともそう返答した。これも修行なのだ。
「大変じゃったな、所塚」
新川陸が――今日も江崎由梨にべたつかれている――自分の労をねぎらった。
「ありがとうございます……」
「もし良ければ……大変ついでに、わしの手相を観てもらえんか?」
新川は羞恥心を隠しきれず、やや頬を赤らめた。それを誤魔化すようにぶっきら棒に声を出す。
「いや、何、わしも婦女子の嗜みに関心があるというか……。男が占ってほしいって、やっぱり変かな」
「くくく……。そんなことはないですよ……。今日は男の生徒や先生も占いましたしね……。利き手はどちらで?」
「右じゃ」
「では左手を拝借……」
新川のごつい、男らしい手を、自分は覗き込んだ。そしてすぐ、奇妙な箇所を発見して驚愕した。
「何ですかこの生命線……! まるで水滴のように、末端で楕円を描いて元に戻っています……!」
あまりの驚きに、自分は新川の相貌と生命線とを交互に視線で射抜いた。新川は困り顔だ。
「そんなにおかしいのか?」
「おかしいも何も、こんなの今まで見たことがありません……! 凄まじい生命力の持ち主です、あなたは……」
そう言われて、新川は重々しくうなずいた。それに自分は違和感を覚えた。古山のように、思い当たる節があるもののみが閃かせる、それは納得の表情だった。
「何かありますね……?」
「いや、別に。どうじゃ由梨、お主も占ってもらったら」
「そうですの? でも私は興味ないですの。それに手相を見てもらったら、片手が新川様から離れてしまうですの。そんなのは嫌ですの」
新川はわざとらしく話題を逸らし、早々に江崎に話を振った。新川の手相を追及したい未練もあったが、まあいい。新川は話したくないのだろう。それを無理に喋らせる気は毛頭なかった。
こうして文化祭初日は成功裏に終わった。
「ほう、水滴の生命線か」
ジル様の食いつきは良かった。
今はキッチンで早い夕食を摂っていた。絶品のオムライスをスプーンで口に運びながら、ジル様は上目遣いで自分を眺める。その両眼は興味深げにきらきらと輝いていた。
「何かあるな、その新川陸とやら」
「くくく……。やっぱりそうでしょうか……」
自分はよく冷えた水を胃に流し込んだ。
「ところで、いわゆる『危険』とやらは起きませんでした……。明日、危難が待ち受けているのでしょうか……?」
ジル様はうなった。
「わしの占いは絶対ではないからの。今回は外れたのかも知れん。ま、用心はしておけ」
「はい……」
翌日曜日は好天に恵まれ、涼しい風が吹いていた。朝九時から夕方三時まで、一般客も参加する楽しい祭には最適なコンディションだ。テレビ出演もこなすプロの占い師・ジル様の名は世間に届いており、昨日同様、一番弟子の自分に期待を込めて駆けつける客は後を絶たなかった。
自分自身の体調は可もなく不可もなく、多少喉がかすれていたぐらいだ。今日一日は持つだろう。
年配の女性が友達と一緒に来たり、親子連れが子供の手相を観てもらいに来たり、客は老若男女問わずひっきりなしに来場していた。廊下で待つ客もかなりの数に上るらしく、自分はやや焦り気味で観ていった。
「いかんな、そんな調子では」
観終えた客がおみくじ販売所に流れていったとき、入り口付近から流れてきた聞き覚えのある声は、師匠のジル様のものだった。
「ジル様……!」
自分の放った素っ頓狂な声に、言われた当人は狼狽した。唇に立てた人差し指を当てる。
「しっ、静かに! 私の名前を大声で言うんじゃない! これでもお忍びで来てるんだよ」
そういえばジル様はサングラスに白いマスク、目深に被った帽子と、一見して誰だか分からない格好だ。どうやら変装しているようだ。自分は口元を手で押さえてうなずいた。
ジル様が自分のそばにやってくる。こそこそと用件を告げてきた。
「昨晩言っておった『生命線が水滴模様の男』……新川陸だったっけかのう。そやつを私も観たい。連れてきてくれんか?」
「くくく……。新川君なら衝立の向こうでおみくじを書いているはずです……。筆ペンで、それは達筆なんですよ……」