0007相死相愛
「誰かさんが断れば、うちも喫茶店で決まってたのに。主役になりたかったのかな、誰かさんは」
自分は友達が少ない。福沢は多い。自然、クラス内の序列は福沢の方が上となる。悲しいかな民主主義社会。
福沢は茶髪の髪を肩まで垂らす。自分では穿けないようなえぐいミニスカートだ。豊満な胸、悩ましくくびれた腰は確かに男受けがよさそう。顔は化粧の威力もあって魅惑的な造りといえた。
福沢は彼女の友達が「やめようよ」と小声でいさめるのも聞かず、自分に更に吹っかけてきた。
「ちょっと占いができるぐらいで調子に乗ってさ。優越感に浸ってんじゃないわよ、気味の悪いブスがさ」
「くくく……」
自分は思わず失笑した。そんな笑いでさえもくぐもった、『気味の悪い』ものになってしまうのは天性のものだ。自分では変えようもない。
福沢とその友達が怯えたような目つきになった。そしてそんなおのれを恥じたか、糊塗するように挑戦的になる。もはや目標を隠さなかった。
「何よ、何笑ってんのよ」
自分は鞄に教材を詰め終わると、明後日の方向を見てつぶやいた。
「これは独り言ですが……。あなたがた、良くない相が出ていますよ……。自動車と猫に気をつけることです……。くくく……」
自分は呆然とする福沢たちを尻目に、教室を後にした。言ったのはでたらめだったが、小さな復讐心を遂げて心は満足だった。
「ただいま……」
自分は帰宅した。高級マンションの2階が自分の、正確には師匠兼家主のジル様の部屋だった。ジル様はリビングでバラエティ番組を観て笑っていた。
「ひぃひぃ、面白い、こいつら面白いわい」
ジル様は58歳、プロの占い師である。年齢の割りに老けていて、それは本人も気にしていた。最近は額の出来物を手術で取ろうか取るまいか悩んでいる。早くも腰が曲がり始め、その歩行はたどたどしくなってきていた。今は派手な赤い服でくつろいでいた。
こちらに気づき、ワインを手にしながら微笑む。
「おう歩、お帰り。冷蔵庫にチャーハンが入ってるよ。レンジで温めて食べなさい」
「くくく……。いただきます……」
自室に入って明かりを点け、学習机の上にそっと鞄を置く。それにしても、福沢は自分を「気味の悪いブス」と呼んでいた。本当にそうなのだろうか?
一応身だしなみは毎日チェックしているつもりだ。化粧も少しながら施している。それでも隠し切れないほど器量が悪いのだろうか。まあそれでも一向構わないが。
鏡台を覗き込む。こげ茶色の天然パーマだ。口元にはいつも笑みが浮かんでいる――意識はしていないのだが。たえず身に着けているブレスレットや首飾りは、一応運気を向上させるとジル様に言われたものだ。前髪が目元にかかり、両目は隠れている。世間一般的にはやはり気持ち悪く映ってしまうのだろうか。
まあいい。福沢のような退廃的な外見よりは程遠くて、それで十分だった。
自分は着替えると食堂へ向かった。冷蔵庫を開け、今夜の食事にありつく。ジル様手製のチャーハン、味は抜群と保証されている。
ジル様と自分に血の繋がりはない。ジル様と出会ったのは一年前、彼女の職場でだ。
湖水南の通称『占い館』――様々な占い屋がすし詰めに店舗を経営している建物――に、彼女の『水晶占い』の店はあった。あまりにも良く当たるというので評判になり、ネットで熱い支持を得て、テレビまでもが食いついた。彼女の店の前には連日長蛇の列が出来、皆期待と興奮で逸り立つ心を抑えかねる風だった。
当時高校一年生で、プロの占い師を目指していた自分もまた、その列に連なる客の一人だった。いったい希代の天才占い師、ジル様とは何者か。自分のこの目ではっきり見て確かめたかったのだ。
20人ほどが時間の経過と共に捌けていく。先に済ませた人が狐につままれたような、不得要領な顔で部屋を出て行くのが気になっていた。何をどう占ってもらったら、ああした表情になるのだろう。
閉店時間間近になって、ようやく自分の番が来た。10分3000円。いい商売だ。自分は部屋に入った。
中は黒一色の小さなスペースだった。四隅にライトが仕掛けられており、部屋の内部を白く照らし出している。中央に台座があり、真紅の敷き布の上に水晶玉が置かれていた。それを挟んで対面式に、壮年の小柄な婦人が椅子に座っている。
「私がジルだよ。ささ、かけなさい」
「くくく……。お願いします」
至福の瞬間がこれから始まるのだとしても、自分の薄気味悪い笑いは変えようがなかった。椅子に腰掛ける。
ジル様が水晶に手をかざした。程もなくにやりと笑う。
「あんた、同業者だね」
一発で見抜かれて、自分は慌てふためいた。
「それは、その……」
「いいんだよ、隠さなくたって。その年じゃプロではないね。私んところへ勉強にでも来たのかい?」
自分は焦って生唾を飲み込んだ。
「よく当たる、と聞きまして……」
「ハッ! 大方そんなところだろうよ」
ジル様は快活に笑うと腕を組んだ。
「それで、どう占ってほしい? 時間は10分もある。『何を占ってほしいか』を占ってもいいんじゃがな。それでは意味がなかろう。さあさあ、言ってごらん」
自分は心の翼をわずかばかり広げた。
「自分が将来プロの占い師としてやっていけるかどうか、占ってほしいです……」
ジル様は顎をさすった。
「ほう。それが占ってほしいことじゃな。よかろう、わしが見定めてやる。……もう少し近くに寄れ。水晶玉を睨みつけろ」
自分は言われたとおりにした。水晶玉は輝いて透明で、海底のような奥行きを示していた。思わず心だけでなく体さえも釣り込まれそうになる。
「それでいい。では始めるぞ。むむ……!」
ジル様の様子が変化した。穏やかだった目は三白眼のようになり、両手は震えて水晶玉の表面を撫でる。その動きは自動機械もかくやとばかり、正確で緻密なものに思われた。水晶玉が心持ち光り出したように感じられ、ジル様の天井へ伸びる影が不意に巨大化したような錯覚があった。
「見えてきた。見えてきたぞ」
ジル様が念仏を唱えるような、しかし抑揚に富んだ声で喋りだす。
「……お主は大占い師になるだろう。ただしそれは優れた占い師の下で修行を積めば、の話じゃ。家族は捨てねばなるまい。家族はお主を励まし鼓舞してくれるが、足枷となる可能性が捨てきれない。時期は今後三年、高校生の間に全てが決する。今こそ立ち上がるときじゃ。迷いも躊躇も許されん……!」
自分は一言一句聞き逃すまいと、全身を耳にして目を皿にして、ジル様の語りに注意深く接した。そうか、大占い師になれるのか……!
ジル様はため息を吐くと、かざしていた手をのけた。
「私の観相はこんなもんじゃ。まだ時間はある。何か占ってほしいことはないか?」
「あの、ジル様……」
「何じゃ」
自分は勢いよく立ち上がり、深々と頭を下げた。ジル様の占い結果を信じれば、言うべきことはただ一つ。
「お願いです……! 弟子にしてください……!」
室内を静寂が満たした。誠心誠意の懇願は、あえなく突き放されるかと不安になる。だが一時間にも刹那にも感じられた時は、あたたかな吐息で終わりを告げた。