0005相死相愛
「さあ、こちらへ」
僕は優雅に四人をいざなった。エレベータに乗り込み、三階を目指す。
「凄いですの、伊藤君。まるでデパートみたいですの!」
それでも新川の腕を掴みながら、由梨さんは童子のようにはしゃいだ。僕は複雑な笑みで応じた。
「これが僕の家では当たり前なんですよ。今日だけに限らず、いつでもいらっしゃって構いませんよ。歓迎いたします」
学校のような幅広の廊下を、召使いの挨拶に鷹揚に手を振りながら歩いていく。片平が調度品や絵画、彫刻へ物珍しげに食いつき、いちいち「へえ」とか「うわ……」とか感激の言葉を漏らしていた。
「一個持って帰っていいかな?」
「僕はいいのだけれどね。父の許可がないと駄目だな」
「ちぇっ」
「さあ、ここですよ皆さん」
待ち構えていた二人のメイドが両開きの扉を開ける。四人がわっと大声を上げた。
そこは我が家の食堂だった。細長い、白いクロスをかけたテーブルが二列、並んでいる。その上には金銀の器が据え付けられ、色彩豊かな生け花が甘い芳香を漂わせていた。果実とパンが詰まった台座に、天井の豪華かつ巨大なシャンデリアが光を降り注ぐ。左右に居並ぶ召使たちが一斉に頭を下げた。
「凄いな、伊藤」
新川が肝を抜かれた様子で心からの感嘆を発した。そうだ、いいぞ新川。もっと僕の威光を際立たせろ。お前は僕の引き立て役になるのだ。
「さほどのことでもない。さあ、席について。荷物は腰の左脇に置いてください」
「なんだかドキドキですの」
由梨さんと古山さんの椅子を引く。片平は不満たらたらだ。
「何だよ伊藤、女だけサービスかよ」
僕は軽く笑った。
「当然だろう。この世の中は食事に限らず、何事も女性優先なんだ。それとも僕に椅子を引いてほしかったか?」
「まあ、そう言われれば確かに嫌だな」
全員が着席した。主賓の席で、僕はナプキンを広げた。
「さあ、皆さんも」
新川が片平に尋ねている。
「どうするのじゃ?」
「襟にかけるんじゃん?」
僕は小声で間違いを指摘した。
「長方形になるように半分に折って、膝の上に置いて使うんだ、二人とも」
「へえ」
いいぞ、いいぞ。ご覧になりましたか、由梨さん。今の僕のスマートなマナー。僕は由梨さんの方を見た。彼女は――古山さんと談笑していた。ううむ、視界に入らなかったか。
こうして会食は始まった。スモークサーモンのグリルの冷製、北海道産ホタテ貝のポワレ、フランス産鴨胸肉のローストなど、秋の味覚を満喫するメニューだった。
しかし、僕はその全てをほんの少ししか食べなかった。マナーに四苦八苦する新川に目を光らせる。よし、奴は残さず食っている。これでいいのだ。
食後の紅茶を楽しみながら、僕はお腹が満たされて満足げな由梨さんたちを観察した。
「いかがでしたか、僕のディナーは」
新川がうなった。
「こんな美味いものを毎日食っとるのか。つくづく羨ましいのう」
片平がお腹をさすりながら歯をほじっている。エチケットを知らない奴だ。
「最高じゃん? 今日は呼んでくれてありがとな、伊藤」
古山さんはコーヒーをすする。
「たまにはこういうのもいいわね」
そして由梨さんは……。
「美味しかったね、新川様!」
新川に対し莞爾とした。と思えば、急にしおらしく両手で自分の頬を挟む。
「二人きりだったらもっと良かったですの」
僕はやけになってカップをあおった。やはり、やるしかない、あれを。
「……ところで新川」
できるだけ自然に、さりげなく。僕は猫なで声を出した。
「食後の余興として、僕と一勝負しないか?」
「勝負?」
新川は目をしばたたいた。まあ当然だろう。
「せっかく今日こうして集まったんだ。そのまま帰るのも寂しいじゃないか。そこでお前と僕とで楽しいゲームと洒落込みたいんだが」
「素晴らしいですの!」
由梨さんが拍手して立ち上がった。
「見たいですの、伊藤君と新川様のゲーム! きっと新川様がお勝ちになるに決まってるですの!」
僕は傷ついた心をなんとかなだめた。
「ほら、由梨さんもこうおっしゃってる。どうだい、新川。それとも逃げるか?」
新川は頭を撫でた。
「まあ、食事のお礼もあるしの。いいじゃろ、勝負といこうじゃないか。……で、何をするんじゃ?」
「ついてきたまえ」
僕は四人を引き連れ食堂を後にした。といってもそれほど距離があるわけじゃない。僕はたちまちその部屋に到着した。
「ここだ」
そこは軽食をしたためるときに使う部屋、小食堂だった。さきほどの食堂とはうってかわって、ここは寝室程度――無論、僕の屋敷のだ――の広さしかない。それでも芸術品の展示が控えられているため行動空間は十分だった。
そこには樫の木でできたテーブルに、四脚のクッションが効いた椅子が備え付けられ、花瓶が中央に立てられていた。
そして、既にメイドたちが大量のお椀を用意して待ち受けていた。
「そうさ、新川。僕とわんこそば早食いで勝負だ!」
四人は固まった。いや、事前に説明されていた古山さんは、こめかみに手を当て呆れている。ややあって片平が口を開いた。
「もう準備されているってことは、初めからわんこそば早食い勝負をやるつもりだったんじゃん。それで食事を勧めたっていうのか? 卑怯な奴!」
むむ、言ってくれるじゃないか。
「僕も食べたじゃないか」
「いや、俺は見てたね。伊藤、お前食事を残してたじゃん、ほとんど!」
「気のせいだ、気のせい」
「お前なあ……」
新川が片平を抑えた。
「わんこそば早食いって、何じゃ?」
僕は噴き出した。
「ものを知らないな。わんこそばは400年以上前の花巻で、南部氏第27代当主南部利直が花巻城に立ち寄ったのが始まりだ。その殿様がそばを気に入って何杯もおかわりをしたのが評判になり藩内に広がったのだ」
そのとき、新川が妙な表情をしていたのに気づいた。何か遠くを見つめるような目だ。なぜかは分からなかったが、まあいい。
「そして昭和32年、花巻市は『わんこそば相撲冬場所』として競技会を開催した。もう60回近い歴史がある。いいか新川、僕とお前はその公式ルールで5分間闘うのだ」
僕はテーブルを叩いた。新川はそれで意識を地上に引き戻されたように、僕を見た。
「競技は簡単だ。一口大のそばを食べ終わるたびに、メイドがそのお椀に次々にそばを入れる。それをひたすら食べ続けるのだ。勝負は食べたそばの椀数で決まる。満腹になってギブアップするなら蓋を閉める。分かりやすいだろ?」
「なるほど。よく分かったわい」
新川はうなずいた。
「よかろう。その挑戦、受けて立とうではないか」
「頑張ってですの、新川様!」
由梨さんは新川を応援するつもりだ。僕は苦々しく思ったが、まあいい。このわんこそば早食いは僕の得意種目だ。一年前に挑戦し、5分間で200杯を食べきっている。そして腹具合はちょうどいい。抜かりはない。
「では、席につけ、新川」
「おう」
僕と新川はそれぞれ着席した。メイドがそれぞれの背後につく。箸を割り、薬味も用意された。椀を手に持つ。執事のセバスチャンが中央の時計のスイッチに手をかけた。