0004相死相愛
くじの結果、由梨さんの席はやや遠のいてしまった。僕は残念に思ったが、そんな障害に出くわしても恋を忘れることはできなかった。最後尾の席から彼女のツインテールを眺められるだけでも良しとしよう。僕はそう考えることで自分を慰めた。
だが慰め切れないこともある。
新川陸。奴はいつの間にか由梨さんの心を籠絡していたのだ。何でもD組の鮫島とかいう下々の男と闘ったのだという。それを見た由梨さんが、新川に一目で惚れ込んだらしいのだ。片平悠馬――こっちの心を見透かしているような嫌な奴だが、奴の話ではそうだ。片平はこうも言った。
「伊藤、由梨に告白する気ないんだろ? なら祝ってやればいいじゃん」
「僕が由梨さんに告白? 何でそんな話になる」
「あれ、違ったじゃん?」
片平は笑って去っていった。つくづく嫌な奴だ。
それ以降、由梨さんは周囲の目もお構いなく新川の腕に抱きつくようになった。新川は最初こそ拒んで離そうとしていたが、二日も経つと諦めたようにされるがままとなった。何て羨ましい――もとい、けしからん奴だ。僕は新川を恨み、彼への復讐を望むようになった。多少筋違いというところは目をつむるとしよう。
もちろん、新川を打ち負かしたところで、僕が由梨さんと結ばれることはない。僕には許婚がいるのだ。だが、このまま敗者の地位に甘んじていられるほど僕のプライドは安くなかった。
由梨さんをこちらに振り向かせるのだ。それが究極の目標であり念願であった。
僕は計画を練った。とりあえず出来上がった案を、クラスメイトの古山宇美さんに吐露し、意見を求める。放課後のことだった。
「なんで私に聞くのよ」
古山さんは当然ながら呆れたように尋ねてきた。僕は理路整然と答えた。
「古山さんはどんな生徒にも一線を引いて、決してそこを乗り越えたり乗り越えられたりしませんよね。つまり客観的に物事を見られる。違いますか?」
「よく見てるわね。その通りよ」
「そして由梨さんとよく喋り、乱暴者の新川が嫌いですね」
「ええ」
「何より、僕のこの相談を周囲に漏らさない誠実さがあります。僕の相談相手としてはうってつけです。で、どうですか、僕の計画は」
古山さんは肩をすくめると、顎をつまんで考え考え話した。
「そうね、いいんじゃない? 由梨は強い男が好き。新川君と勝負して勝てば、確かにあなたになびくかもしれないわね」
「やはりそうですか」
僕は太鼓判を押されてほっと安堵した。古山さんは首をひねる。
「でも、その種目が何でそんなわけの分からないものなのよ」
「得意なんですよ。これだけは誰にも負けない自信がありますから」
翌朝、僕は片平と喋りこむ新川の席へ――おのれ、その腕には由梨さんが絡み付いて微笑んでいる――向かった。
「お邪魔しますよ」
僕は割り込んだ。新川が僕を珍しそうに見上げる。
「お主は確か伊藤だったな。何か用かの?」
僕は精一杯の笑顔を撒き散らした。
「新川、由梨さん。ぜひ今度うちへ食事にいらっしゃいませんか?」
由梨さんが喜色を露わにした。
「本当に? 伊藤君、確かお金持ちなんですのよね?」
僕は計算され尽くした笑みを巧みに操った。
「はい。とっておきのご馳走を振る舞って差し上げますよ」
由梨さんが新川を揺さぶる。
「行こうですの、新川様! 伊藤君家の料理、食べてみたくないですの?」
新川は興味なさげに首を振った。
「いや、わしは別に……」
断られては元も子もないのだが……と思っていたら、
「行こうじゃん、新川!」
片平が新川の机を叩いた。
「きっと俺たち庶民が三年貯金しても食えないようなもんが出されるんだぜ! この機を逃してどうするよ? なあ伊藤! 俺も行っていいよな?」
片平はどうでも良かったのだが、こうなっては無下にはできない。
「ああ、いいよ、片平」
片平は指を鳴らした。
「やったじゃん!」
新川は頬を掻いた。
「まあ、片平には普段世話になっとるし、片平が言うなら行ってみようかのう……」
「決定ですの!」
由梨さんが満面の笑顔で新川の腕に頬ずりする。僕は体内温度が急上昇するのを自覚した。おのれ新川、僕のかたきめ。食事会のときが、お前と由梨さんの蜜月の最後だ。それまでせいぜい束の間の天下を楽しんでいるがいい。
そして次の日曜日――食事会当日だ、僕は召使いの駆るリムジンに乗り、湖水南駅前に向かった。空は晴れて蒸し暑く、冷房の効いた車内は快適だ。僕は身だしなみを点検した。手鏡に映る顔は容姿端麗だ。茶色の髪を女性のように長く伸ばしている。涼やかな凛とした瞳。高い鼻梁、薄い唇。完璧だ。僕の美貌の前では新川などただ多少素人に毛が生えた程度にしか映らないだろう。
道は空いており無駄な時間をかけることなく目的地へ到着した。新川、片平、由梨さん、古山さんの四人が、私服姿で立っていて、こちらを見つけて歩いてきた。
「伊藤君、時間ぴったりですの」
「お待たせしてすみません。参りましょう」
四人はリムジンに乗り込んできた。こうしてみると、由梨さんの衣装は色合い的にも地味でおとなしめだ。新川はシャツもズボンも色褪せた古臭いものだ。片平は自分が映えるようにコーデしているがその服は安物だ。古山さんは品のいい物を上手に着こなしているが、どことなく憂いがある。
「いやあ、この中は広いし涼しくていいじゃん。どうだ新川、伊藤の奴、いつもこんなので通学してるんだぜ」
新川がほう、と顎を撫でた。
「羨ましいのう。『ひまわり』の仲間たちも乗せてやりたいのう」
「『ひまわり』って、新川様の孤児院のこと? さすが、新川様はお友達思いの素晴らしい方ですの」
由梨さんが頬を赤らめて新川を見上げる。おのれ……!
車は穏やかな振動で滑るように道路を進んでいった。やがて僕の家が見えてきた。
「君たちは初めてですね。ここが我が家です」
新川たちは一斉に嘆息を吐いた。
僕の家は4階建ての洋風建築で、日本の住宅事情ゆえ庭こそさほどの広さでもないが、その造りは城とさえ言ってよかった。豪奢な屋根に白亜の外壁、輝く窓に巨大な玄関。贅を凝らした彫刻に彩られたその建物は、当代随一の建築家の設計によるものだけあって、並みの庶民では一生中に入ることさえ許されないような威風堂々としたものだった。
「まじかよ……」
王宮のような門をくぐり、駐車場へリムジンを停める。運転手がドアを開けるまで待ってから外へ出た。
「ではご案内しましょう、皆さん」
色鮮やかな庭木や花壇に歓声を上げる由梨さんを、僕は満足して眺めた。やはり由梨さんも一介の乙女、高級かつ美麗なものには単純な好意を示している。新川のような貧乏人ではどうあっても手に入れられない、由梨さんに提供できはしないものを、僕は持ち合わせているのだ。
僕は四人を引き連れて玄関に入った。庶民の家の居間に相当するであろう空間を惜しげもなく使っている。四人には靴箱に靴を脱いでもらって、スリッパに履き替えてもらった。白い毛皮のふかふかした履き心地のよい代物だ。
新川は惚けたように天井を見渡している。片平は「すっげえじゃん」とあちこちをきょろきょろと眺めている。由梨さんは目をきらきらさせ、古山さんはつまらなさそうに腕を組んでいる。