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相死相愛  作者: よなぷー
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0003相死相愛

 鮫島が吼えた。


「こいつが因縁つけてきたんすよ。知らねえ女の手帳を見せて、俺がさも悪者であるかのようにぬかしてきて……。俺は全然知らないんですけどね」


 小松はため息をついた。


「とりあえず生徒指導室に来い、二人とも。そこで詳しく言い分を聞いてやる。お前ら、見世物じゃないぞ。席につけ席に」


 小松は目顔で二人を解放するように俺たちに合図した。新川と鮫島は火花が散るぐらい激しく睨み合ったが、さすがに第2ラウンドとはいかず、おとなしく小松の後についていった。


 D組は狂乱の嵐が過ぎ去った後、その余韻でどこか浮き足立っていた。俺は山崎たちのもとに戻った。


「やれやれ、何だったんじゃん?」


 俺はそれだけ言った。由梨は両手を組み合わせて目を輝かせている。明らかに熱を帯びた光だった。


「新川君、素敵ですの……。あんな怖い鮫島君に喧嘩を挑むなんて!」


 古山さんは唾を吐きたそうな表情だった。彼女は非日常に同化せず、孤独にたたずんでいた。


「乱暴者ね。喧嘩なんて嫌いよ」


 そうして俺たちは後ろ髪引かれながら、担任不在の我らがA組へ歩いていった。




 鮫島のD組はもちろんだろうが、新川のA組も朝の喧嘩の話題で持ち切りだった。女をめぐる男同士の争い――と、勝手にワイドショーのような異名をつけられ、手帳の中身や遊び人鮫島の女癖の悪さ、新川の度胸などが論じられた。A組ということで新川派が多数を占め、鮫島を支持するものはほとんどいなかった。


「見たかよ、新川の奴。厳しいストレートをもらって倒れながら、すぐ起き上がって鮫島へ躍りかかっていったじゃん」


「あいつ、やるときはやるんだな」


「誰かスマホで撮ってなかったのかよ」


 朝のホームルームはD組の木庭先生が兼任した。小松も新川も戻ってこなかったので、俺たちの無責任な論評は終わりを知らなかった。


 やがて授業が終わり、昼には帰りのホームルームとなる。そこで担任の小松が戻ってきて、全員に号令をかけた。皆は今朝の乱闘騒ぎについての続報を待ったが、小松はすかすように「いいかお前ら、喧嘩はするなよ」と口にしたのみだった。


 新川がA組に復帰してきたのは翌日の朝だった。俺は朝練帰りに奴の背中を見つけると、さぞやお岩さんのような頬っぺたになってるんだろうと不謹慎にわくわくしながら肩を叩いた。


「おう、片平か。おはよう」


 しかし、鮫島に強烈なパンチを浴びたはずのその顔は、何の傷も残っていなかった。まるでそんなことありませんでしたとばかり、新川は涼しそうな表情をしている。


「お、おはよう、新川。……なあ、あれからどうなったじゃん?」


「別に。両者厳重注意、でおしまいじゃ。何を期待しとるんじゃ?」


 新川は昨日鮫島と闘ったことなどなかったかのように、悠然としている。俺は少し熱くなって声を高めた。


「だって、手帳がどうだの娘がどうだの言ってたじゃん」


 新川はにっこり笑った。


「ああ、あれはもういいんじゃ。鮫島を一発殴ったし、それでわしの遺恨は清算じゃ。さっき職員室でその鮫島と握手してな。小松先生の前で、二度と喧嘩しないと約束して手打ちとなったんじゃ」


 新川は呆然とする俺をよそに、肩の力を抜いた気楽な雰囲気でA組の教室に入っていった。由梨が歓声を上げる。


「新川様ですの!」


 新川の腕にしがみつく。新川が慌てた。


「ちょっ、これ、くっつかんでくれ」


「新川様、照れてらっしゃるですの」


 古山がその様子に軽蔑の視線を向ける。俺は頭を掻いた。


「どうなってんじゃん?」


 予鈴が鳴り、A組の朝の喧騒はいやがうえにも増していった。




   (二)




 いまいましい。僕はその男を憎んでいた。ちょっと変わった転校生というだけで、少し武勇伝を作ったというだけで、まるで2年A組の英雄気取りだ。


 鼻持ちならないのはそれだけではない。江崎由梨さん――僕の天使。僕のアイドル。2年A組の大輪の薔薇。彼女の尊い視線を彼は独占しているのだ。この超エリート高校生、伊藤仁いとう・じん様を差し置いて――


 夏休み、僕は由梨さんとの親交を持たなかった。我が伊藤財閥の跡取りとして、要人との豪華クルーズという避けがたい仕事があったからだ。それはおおむね順調だった。僕は偉大な父に恥をかかせぬよう、華美な衣装と慇懃な態度とで高名な客人をもてなした。先方の不細工な少女と二人きりにされたのは難所だったが、せいぜい丁重にあしらって、失点はなかったはずだ。ともかく数週間の船の旅から解放され、いざ二学期を目の前にしたとき、心は遥か由梨さんの元へ飛んでいた。


 由梨さんと出会ったのはこの春、2年A組に編入されたときだった。「目立ちすぎるな」「結局学歴は最終で決まる」との理由で、僕は敢えてこの偏差値のそれほど高くない湖水南に入学していた。周りは馬鹿ばかりで、僕は労せず学年トップの成績を積み重ねてきた。文芸部で原稿を書いたり論評を執筆するのにも飽きてきて、僕はこの高校に通う意味を見出せなくなってきた。そんなとき、僕の視界に飛び込んできたのが、同級生の江崎由梨さんだったのだ。


 身長149センチと小さい彼女の、どこに魅力があったのか。それは笑顔である、と断言できる。初めて同じクラスになり、隣の席に座ったとき、彼女は八方の席の生徒に声をかけた。クラスメイトとして初めての挨拶、というわけだ。最後が僕の番だった。


「江崎由梨ですの。これからよろしくですの」


 僕はにこやかに笑って応じた。長年の経験に裏打ちされた、機械的な笑みだった。


「はい、よろしくお願いしますね、江崎さん。僕は伊藤仁と申します」


 由梨さんの顔がかげった。僕は初めての反応に、若干戸惑った。


「どうかしましたか?」


 すると由梨さんはいきなり、自分の口の端に指を突っ込み、『変顔』をしてきたのである。それは美しい由梨さんの元の相貌とはかけ離れて不細工だった。


 僕は一瞬固まった後、不覚にも笑ってしまった。心の底からの笑いだった。由梨さんはそんな僕を指差すと、「それ!」と声を弾ませた。


「笑顔っていうのは、そういうのをいうのですの、伊藤君」


 そうして無邪気に生じた由梨さんの笑顔たるや!


 僕はその透明で純真無垢な微笑みに、一瞬で心を奪われていた。恋をするとはどういうことか、知らなかった僕は、しかし次の瞬間、その全てを思い知らされたのだ。


 それから僕と由梨さんの交際は始まった。といっても許婚のある僕としては、本気で恋し、想いを打ち明けることなどできるものではない。朝夕の何気ない挨拶、休み時間の短い会話。テニス部に向かう彼女を送り出し、また文芸部へ送り出される毎日。僕はそこに「忍ぶ恋」を見出していたのである。


「おはようですの、伊藤君」


「一緒にご飯食べるですの? 伊藤君」


「伊藤君、行ってらっしゃいですの」


 だから彼女と会えない、彼女の声を聞けない夏休みは苦しかった。僕は一日千秋の思いでカレンダーをめくり、ようやく新学期を迎えた。これで二人の距離は縮まった。また彼女の近くの席に座れるよう、僕は祈るように登校した。


 そんなわけでその日の朝、我が高校に転校してきたという「新川陸」なる男などどうでもよかった。僕の思いは席替えの結果に集中していて、多少美形であるという程度の新人の庶民など意識の外にあったのだ。

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