第二十一話
「ログライさん!?」
オーレンがたまらずといった様子で飛び出して、倒れ伏したログライのもとへ走り寄る。
「……っ!?」
傍に駆け寄り慌てて膝をついたのち顔をのぞき込むと、オーレンは息をのんだ。
限界まで見開かれた目は瞳孔が開ききっており、強くかみしめられているであろう歯の間から泡を吹いている。まだかろうじて息をしているようで、僅かにひゅーひゅーと風切り音が聞こえてきた。
まだ辛うじて生きている。だが、このままでは間もなく命を落とすことは目に見えていた。
「くっそ――」
オーレンは乱暴に指を宙に走らせシステムウィンドウを表示させる。その指は迷うことなくアイテムウィンドウを表示させるアイコンに延び、新たに表示されたそれを食い入るように見つめた。お目当てのものを、目の前に広がる一覧表を下へとスライドさせることで探す。
「なんでこんな時に限って手元に出してなかったんだ、僕――」
ようやく一覧から求めるものを見つけた彼は、すぐさまそれを顕現させた。
オーレンの手元に現れたのは、黄土色の液体が詰められたガラス瓶。
すべての状態異常を解除できるアイテムであった。
毒や麻痺といった状態異常は、その効果が微弱であろうとも非常に恐ろしい。強力なものでない限り、大抵のものは時間経過とともに効果がなくなっていくのだが。たとえどんな小さな異常であっても、効果時間中体は十全なパフォーマンスが出来なくなる。毒に侵されれば、発熱したかのような感覚を覚え判断能力が鈍るし、手足のしびれは少しあるだけでも、踏ん張りが利かなくなるのだ。
それは一瞬の判断・行動が生死を分ける戦闘の最中において、致命的な影響を与える。
今までそんなことかけらも考えていなかった旅人たちは、これまでの冒険の中でそれこそ身に染みて痛感したことだろう。オーレンだって、状態異常に苦しめられたことは一度や二度ではない。
そんな状態異常の危険性を知っている旅人たちは、回復薬に加えて状態異常を治療する薬も、すぐ取り出せるように顕現させている。
だが、それも普通戦闘に出かけるときだけだ。街中でそんな用意をしているものは、ほぼいない。そのあたりが、もしかしたら日本人の根底が平和ボケでできているという証左なのかもしれない。
そして残念ながら、今のオーレンも油断して備えをしていなかった。
「でも、これで――」
オーレンは左手に現れたガラス瓶を確認すると、右手で邪魔なウィンドウを消し去る。そして改めてログライの方を向こうとしたところで。
彼は横から何かが迫ってきていることに気が付いた。
「な!?」
気が付き、とっさに身構えたのが奇跡といったタイミングであろうか。得物を構える間もなく、仕方なく腕を折りたたんで我が身を守る。その直後、とてつもない力が腕に伝わり、あっけなくオーレンは吹き飛んだ。
もともと姿勢が悪い状態で受けたことが影響し、オーレンは踏ん張ることさえできずごろごろと地面を転がされる。幸いHPの減りは大したものではなかった。何事かと顔を上げてあたりを確認すると。思った以上に吹き飛ばされたのだろう、数メートル先にログライの姿があった。
「ほう? よく反応できたな今ので」
そして倒れ伏すログライの横には、ニーフが片足を上げた状態で佇んでいた。
恐らく先ほどの衝撃は、ニーフに蹴られたことによるものだと悟る。
「な、なにをすんのさ……」
「何を? それはこっちの台詞だっつぅの」
よろよろと立ち上がるオーレンを冷めた目で見ながら、ニーフはゆっくりと足を下ろした。
「人様が戦っている最中に入り込んでくる方が、よっぽど常識外れだろ? 特にお前らみたいな騎士かぶれの奴らの常識ならよ」
まるでこちらが悪いといった様子で、ニーフが口を開く。その言葉に、オーレンは目を見開いた。
「戦っている最中って……もう勝負はついてるじゃないか!」
倒れているログライは、全く動く気配がない。今すぐ治療をしなければ死んでしまうような状況であることは、だれの目にも明らか。対してニーフは若干疲労こそ見えるものの、目立った外傷もなければ、何かしらの身体異常を覚えている様子もない。誰がどう見ても、この勝負はニーフの勝利であると疑わない状況だ。
だというのに、いったい彼は何を言っているのだろうか。
「どう見てもあんたの勝ちだろ! 早く治療しないと、ログライさんが死んじゃうんだ! だから早くこの薬を――」
オーレンの言葉に、ニーフはやれやれといった様子で肩をすぼめた。
「甘ぇなガキ。まだ勝負はついていねぇよ。……まあもっとも、それもすぐ終わるけどな」
「な、何を……」
不可解な言葉をこぼしたニーフ。彼はおもむろに右足でうつぶせになっているログライの背中を踏みつける。そして感情のこもらない目で彼を見下ろした。
その目は、恐らく彼の首筋に向けられている。
その後ニーフは、だらりと下げていた直剣を振り上げ始めた。
「や、やめ――」
彼の意図を察したオーレン。慌てて静止の言葉を叫んだが。
ニーフの剣は振り下ろされ、無慈悲にもログライの首元に吸い込まれた。
直後、まるで噴水のように血しぶきが上がる。
しぶきはすぐ横にいるニーフに飛び散り、勢いの良い何滴かが色白な彼の頬を赤に染めた。彼は口元に伝ってきた血を小さくなめとり、その後ゆっくりと顔を上げこちらを振り返る。
「……はい、戦闘終了だぁ」
彼の顔には、まるで悪魔のような笑みが浮かべられていた。
「うっ――」
目の前の現実をようやく認識した直後、不意にこみあげてきた嘔吐感。抗えないほど強力なそれになすすべなく、オーレンは地面へと吐いた。
「なんだよガキ、情けねぇな。お前の大切なお仲間だろ? ちゃんと看取ってやれよ」
げぇげぇと胃の中のものを吐き出しているオーレンを笑いながら、ニーフはログライを足蹴にした。その後、ゆっくりとオーレンの方へと歩み寄り始めた。
「何なら、お前も一緒に逝かせてやってもいいんだぜ?」
あれだけ燕のように走り抜けられるはずのニーフが、もったいぶるようにゆっくりと、オーレンのもとへと近づいてくる。その気配が、嘔吐感にさいなまれているオーレンに恐怖を与えた。
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい――
頭の中で警鐘が鳴り響く。
何とかしなければという思いはある。
だが、何も思い浮かばない。体も言うことを聞かない。
そんなオーレンをよそに。
一歩、また一歩と、死神は近寄ってくる。
彼は何が楽しいのか、口元に満面の笑みを浮かべながら口を開く。
「おいおい、黙ってちゃわか――」
刹那。一陣の風が吹き荒れた。
風はオーレンとニーフの間を吹き抜け、猛烈な勢いで彼らの服の裾をはためかせる。
それだけではない。
不意に違和感を覚えたのか。ニーフが立ち止まり、風が吹いてきた側の頬を軽くなぞった。そしてちらりと触れた後の指を眺めると、そこには固まり始めたログライの返り血とは異なる、今流れたと思われる血の跡が。
いつの間にか、彼の頬は浅く切り裂かれていた。
「……あの傭兵も言っていたけれど――」
ふと、誰もが口を閉ざした空間に声が割り込んでくる。まじまじと血の付いた指を眺めていたニーフは、声のした方を振り返った。
そこには。
「彼の後の相手は、私が務めることになっているわ」
細剣を抜き放ち、切っ先をニーフに向け不敵に微笑むメリルの姿があった。




