第十四話
「オーレン君、右から!」
「あ、はいっ」
鋭い掛け声に合わせて、メリルが自身の細剣を鋭く閃かせる。まるで光の軌跡のようなその斬撃は、目の前で対峙している熊のような獣の右腕を切り飛ばした。傷口から噴水のように生々しい血を吹き散らしながら、獣はあたりをつんざくような悲鳴を上げる。そして遅れて残った左腕で傷口をかばうように姿勢を崩した。
その結果、奴に向かって右側が無防備となる。
「はああぁぁぁあ!!」
獣とメリルが対峙している傍に待機していたオーレンはすかさず回り込み、思いっきり手にした直剣を振り下ろした。肩口から入り込んだ刃は、かなり深くまで潜り込み、やがて残っていた左腕も根元から切り落とした。
「っ――」
肉を切り裂く感触と、目の前で繰り広げられている惨たらしい光景に、オーレンは吐き気を催す。だが彼は、獣から視線を外さなかった。
両腕を失った獣は絶叫したが、やがてその鳴き声はか細くなっていく。そして最後にはその場に崩れ落ち、動かなくなった。
「……うっ」
その始終を眺めていたオーレン。今日は何とか耐えられそうだとちらっと思った矢先。こみあげるものを抑えきれずに、遂に彼はその場にうずくまり胃の中の物を吐き出してしまった。
地面に膝をつき荒い呼吸をするオーレンの元へメリルは歩み寄り、労わるようにその背中をさする。
「大丈夫?」
背中を優しくさすられる感触と彼女の声を耳にしながら、オーレンは地面に広がる枯葉を巻き込みつつくしゃりとこぶしを握った。
「……ごめんなさい。毎回こんな感じで」
呼吸の合間でそうつぶやくと、メリルはもう片方の手をオーレンの頭へ置いた。
「いいのよ。本来はオーレン君の反応が正しいの。平然としている私たちの感覚がおかしくなっているだけ。……けれど、やっぱり剣を使う以上避けては通れない道なの」
その後しばらく、オーレンはただただメリルに背中をさすられながら荒い呼吸を繰り返した。
メリルの弟子になって一か月が経過した。当初こそ彼女に言われるままに素振りのみを繰り返していたオーレンだったが。ここ最近は実戦を視野に入れて、メリルの修業兼食料調達に同行するようになっていた。
天空に位置しながら広大な土地を有するこの仙境には、メリル邸や転送装置がある平原のほかに、比較的急峻な山々とその下には深い森が広がっている。そこには魔物ではない、様々な草木や獣たちが群生しているらしく、メリルは日々そこで必要なものを調達しているのだという。その場にないものは、定期的に使えるようになる転送装置を用いて、下界へと買い出しに行くとのこと。
森や山での食材調達は、採取か狩りである。魔物の場合、体力が尽きると黒い霧へと変化してしまい後には基本何も残らない。だが普通の獣の場合、死体がそのまま残る。……まあ魔物が異常なだけで、死体が残るのは当たり前ではあるのだが。こんなゲームのような世界で丸二年くらいいると、そのあたりの感覚が麻痺してきている気がする。
それはそれとして。日々の糧を得るためには、獣を仕留めなければならない。肉を持ち、血の通った彼らを、斬る必要があるのだ。意気揚々と素振りをし、スキルの習得を心待ちにしていたオーレンは、ここで洗礼を受けることとなった。
元々あまり血生臭いことが得意でない彼の初日は、小型の猪がメリルによって斬られ血を流すさまを見て、動けなくなった。自分が手を下したわけでもない、糧にするには少なすぎる小さな得物たった一匹で、オーレンはその日何もできなくなったのだった。剣と言うものが恐ろしいものだということを、彼はこの時初めて思い知る。
そこから数日かけて。ようやく彼は獣を切り捨て、動かなくなる様を直視できるほどになったのだった。相変らず吐き気を我慢することは出来ていないのだが。それでも何も知らなかった彼であるからして、大きな成果といえるだろう。憧ればかりが先行し、多分に甘えが入っていることを察したメリルが、心を鬼にして決断したことは、彼を少しだけ戦士として成長させた。
「……けれど。段々迷いが減ってきているせいかしらね。なかなか良い太刀筋になりつつあるわ。この獲物は骨がしっかりしていて、切断するのはコツがいるのだけれど。それができるということは、実は並大抵のことではないの。そこは自信を持っていいと思うわよ」
「……毎回こんな感じでヘロヘロになってたら、カッコつかないですけどね……」
ようやく息が戻ってきたオーレンは、手の甲で口元を拭うとゆっくりと立ち上がる。血の匂いが辺りに充満していて不快だが、その中でも小さく深呼吸をした。最初はこんな中息をするのも無理だったのにな、と数日前の自分を振り返って苦笑を浮かべる。
「おお。そちらは随分と大きな獲物を狩ったのだな」
メリルが血抜きのため獣の首を落としている様を、吐き気に負けじと眺めていると。木々の間からログライが姿を現した。
彼は片手にメリル邸にあった直剣を持ちつつ、もう片方に猪のような獣の死体をぶら下げている。あまり大きくはないが、肥えたその獣は随分と重そうだ。だが、彼は平然と片手で持ち上げている。相変らずの筋力だなと、オーレンは肩をすぼめた。
「……ほう」
ログライは直剣を背中の鞘に仕舞いこみながら、スタスタとオーレンへと歩み寄る。そしてオーレンの顔つきを目にして、小さく目を見張った。
「今日は一段と良い面をしているではないか。数日前まで兎一羽も殺せそうもなかった男とは思えないぞ」
「そ、そうかな……」
気恥ずかし気にポリポリと頬を掻くオーレンに対して、ログライは口元に笑みを浮かべた。
「ああ。立派な戦士の顔になりつつある。生きているものを殺すことに躊躇わない……だが、殺める痛みもまた忘れない――そんな一番理想的な戦士の顔つきだ」
「……まぁ、結局また吐いちゃったんだけどね」
ちらりと自身が吐き出した液体を横目で見つつ、オーレンは自嘲気味にそう口にする。そんなうつむき気味な彼を、ログライはその背中をバシンと叩いて上向かせた。
「いった!?」
「それくらいでよいのだ坊主。殺しに忌避感を抱かなくなったら、そこで人間性を一つ失う。道徳心……と言えばよいのか? 命を奪うということは、本来それ相応の覚悟が必要なのだ。そしてその人間性はな、一度失えば一生戻ってこない。ワシも、そして剣乙女殿も、とっくの昔にそれを失ってしまったが、坊主までなくすことはないのだぞ。剣を使うためには、そして生きるためには、自分以外の命を奪う覚悟が必要だ。だが、それを当たり前だと思ってはいかぬぞ?」
ログライはどこか眩しそうにオーレンを見下ろしながらそう口にした。
オーレン自身は中途半端だと感じているこの状態が、メリルもログライも良い状態だという。それに彼は悩まし気に首をかしげた。
だが、確かにここ数日でオーレンの顔つきはだいぶ変化した。
顔のパーツは一切変化していないのだが、纏う雰囲気が変わっている。今までは学生気分が抜けきっていないというか、甘さが前面に押し出ていたのだが。今はどこか引き締まった印象を覚える。本人は全然自覚がないが、恐らく仲間が見ればすぐにその変化に気が付くだろう。
「そこの力持ちの傭兵さん。悪いのだけど、血抜きのためにこの獲物を木につるしてくれないかしら?」
ふとメリルのその声に振り返ると、彼女は熊のような獣の足元に立って腰に手を当てていた。見ると獣の足には、太い縄が括りつけられている。どうやら木につるすための用意はしたのだが、持ち上げる気はなさそうだ。
声をかけられたログライは、そんな彼女を見ると、その後ちらりとオーレンを見て肩をすぼめた。
「……ほらな。こんな風に人間性を失うのだ」
「……いや、それは違うんじゃないかぁ……」
それにオーレンは苦笑するしかなかった。




