第十話
「……さて。ワシの話は一旦ここまでだ。次は貴様の番だぞ、坊主」
ぼんやりと若かりし頃のバイスを想像していたところ。不意に体洗いを再開させたログライがそう口にした。予想していなかったその言葉に、オーレンは困惑気な声を上げた。
「え、僕ですか?」
「何を驚いておる。ワシの身の上ばかり話していては、不公平だからな。坊主も何か語るが良い。貴様は旅人なのだろう? 何か面白い話の一つでもあるのではないか?」
「えぇ……」
面白い話をしろとハードルを上げられて、実際に面白い話ができる人物などいるのだろうか。少なくともオーレンは咄嗟に思いつくものはなく、まごつくばかりだった。
「急に言われてもなぁ……」
うんうんとあごに手を当てて考え込む。彼の頭の中に再生されているのは、この世界……アークレストに初めて来たときの光景だった。そこから飛び飛びだが、印象に残っている場面を思い起こす。挙げればそこそこ話題はあるように思えるが、果たしてログライのお眼鏡に適うイベントは、と言われるとなかなか選べない。
そんなオーレンの様子にしびれを切らしたのか、ログライは呆れたように小さく鼻を鳴らした。
「そこまで悩まなくても、思いついた話をすればよいのだがなぁ。……仕方ない。わかった。では坊主、お主を含めた旅人のことについて話すが良い」
「旅人のこと……?」
オーレンが外していた目線をログライに投げかける。オーレンのつぶやきに、彼は「そうだ」と答えた。
「突如として姿を現すようになった、自らを旅人と名乗る集団。皆武術、魔法に精通しているが、流派が多いのか皆全く別な戦い方をする。だがすべからく、年齢の割には強い。またそれぞれ奇抜な髪の色や瞳の色をしているし、どうにも部族と言うには統一性がない。おまけに、噂では死んでも蘇るというではないか。わけのわからぬ言語を話すこともあるようだし、謎が多すぎてかなわん。一体お主らは何者なのだ? どこから来た? ……そのあたりの疑問に、答えるが良い」
確かにこの世界の住人から見た旅人像は、不可解極まりないものだろう。ログライが抱くその疑問も、当然のものだと思う。旅人と言うのは基本的に何人かでグループを組んで行動する場合が多いし、現地民と交流する機会というのもあまりない。加えて旅人の数からしてさほど多くなく、更には東大陸に渡った者となればさらに少ないはず。疑問を解消しようにも聞く相手がいなかったというのも、その謎めいた部分に拍車をかけているのかもしれない。
ただ、正直なところ。
旅人たち自身も、なぜこんなことになっているのか把握が付いていないところがある。
三年目の今でこそ当たり前のように享受しているが、この世界に迷い込んだ当初は誰もが世界に、そして自身の変化に当惑したものだ。それはいち学生に過ぎなかったオーレンも例外ではない。まあ彼の場合、夢に見た異世界冒険だと、当惑に勝る興奮を抱いたのだが。
それはそれとして。バシャンと体についた泡を落とすログライを横目で見つつ、オーレンはさてどうしたものかと頭を悩ませた。
「旅人のことかぁ……。正直なところ、僕たちも何でこんなことになっているのか、よくわかっていないんですよね」
「どういうことだ?」
煮え切らない様子のオーレンに、ログライは眉を顰める。オーレンはなんとなく天井を見上げながら、言葉を紡いだ。
「僕たち旅人は、元々こことは違う世界にいたんですよ。なんですけど……なんか、気が付いたらこの世界に来てて」
「……煮え切らん上に、にわかには信じがたい話だな」
「じ、自分でもそう思いますけど! でも本当なんですって」
明らかに信じていなさそうな声を漏らすログライに、さっと視線を戻してみると。案の定彼は『何言っているのだこいつは』的な表情を浮かべていた。慌ててオーレンはそのように言葉を付け加えたが、言う本人も心苦しい。けれど本当のことなのだから、どうしようもない。
「……まあ確かに――」
やがてログライは屈んでいた状態から立ち上がると、特に前を隠す様子もなく浴槽の方へと歩み寄ってきた。……まあ特に何もなくそのまま湯に浸かりに来ただけだが。何かされるのではないかと、オーレンはちょっとだけ身を縮こませた。
「異世界と言うのも、あながちあり得ぬ話でもないか」
ほう……と体にしみこむ温かさに息を漏らしながら、ログライがそう口にする。彼が浴槽に入ってきたことによって上がった水位に目を見張ったのち、オーレンはちらりと彼を振り返った。
「そうなんですか?」
「ああ。ワシも直接見たわけではないが。聖獣やら魔族やら、この世非ざる者を呼び寄せる……なんて輩もいるらしいからな。お主らのような旅人がいる世界というのもあるのだろうと、まあ考えられなくはない」
浴槽の縁に腕を乗せて、気持ちよさそうに天井を眺めるログライ。そんな彼は、直後ぐるりとオーレンの方を向いてきた。
「だがそのようなことは良い。して、旅人が住んでいた世界と言うのは、どのようなものなのだ? やはり腕の立つものがうじゃうじゃいる世界なのか?」
彼の場合、一番最初に気になるところはやはりそこなのだろう。先ほどバイスのことを語っていた時のような、どこか好戦的な笑みがその顔には張り付いていた。
とてもじゃないが、運動は苦手で家に引きこもっている時間の方が長いオーレンのような人種がたくさんいる平和な世界です……とは口が裂けても言えそうにない。
あーもう、どうすればいいのさ……。
「どうなのだ!?」と鼻息荒く問いかけてくるログライを横目に、オーレンは天井を仰いだ。
翌日。普段ならばオーレンは素振りを言い渡され、メリルが自身の修練のため遠くに見える山へと赴くのだが。今日からは来客としてログライがいる。オーレンの修業に力を貸してくれるという彼だが、果たして滞在中はどのようなライフスタイルになるのだろうか。
ここにきて数日経ったため、多少余裕が出来てきたオーレンがそんなことを考えていると。オーレンとログライは、メリルに呼ばれ家の前にある広場へと集められた。彼女はほいほいとついてきた二人を眺めると、おもむろに胸の下で腕を組む。
「まあ折角来客が来ているのだし。今日は実力把握も兼ねて、少し手合わせをしてみましょうか」
彼女のその言葉に先に反応したのは、やはりというかログライだった。彼はすぐさま好戦的な笑みを浮かべる。
「ほう……まさか早々に我が悲願がかなうとは」
そんな彼を見上げるメリルの瞳は、少しだけ鋭くなった。今にも担いだ剣に手を持っていきそうな雰囲気のログライに対し、彼女は小さく肩をすぼめる。
「一応くぎを刺しておくけれど。弟子の手前、殺し合うつもりはないわよ。まあ、仮にそうだとしても殺されるようなヘマはしないけれど」
「くっくっく。いやはや気の強い。益々気にいるではないか、剣乙女よ。どれだけワシを昂らせれば気が済むのだ、ん?」
忠告のついでに発せられた自信にあふれた一言。それを聞きつけて憤るどころか、殊更笑みを深めるログライに、メリルは少し嫌そうに顔をしかめた。
「残念ながら、貴方のような人は好みじゃないの。諦めて頂戴」
脈なんて一切存在しませんと言外にも見て取れる態度で断りを入れるメリル。だが当のログライは心外だとばかりに両手を広げた後、ぐっとこぶしを握り締めた。
「何を言うか。そのような女を落としてこそ、男の本懐よ。難攻不落な要塞ほど、落とし甲斐のあるというもの。戦場を経験したお主なら、分からぬ感情ではなかろう」
「……そう」
どうあっても自身の意思を曲げそうにない彼の様子に、メリルは呆れたようにため息をついた。これ以上の問答は無駄だと判断したのかもしれない。彼女は続いてオーレンの方に目を向けてきた。
「まあ、この男の妄言は一旦置いておいて。オーレン君には、私たちの立ち合いを見ていてもらいたいの。それで、何か感じ取ってもらえたら良いと思っているわ。今まで素振りばかりで、そろそろ飽きてきたころでしょうしね?」
ログライに対して発していたドライな口調とは違い、オーレンに対してはいつもの優し気で妖艶な雰囲気で語り掛ける。口元に浮かべる笑みに、思わずオーレンは見惚れてしまった。
「……成程。こっちの好敵手は坊主か。うかうかしていられないな」
「わ、ちょっ」
そんな時。不意にログライがガシガシと無遠慮に頭を撫でてきた。自身の頭なぞ掴めるのではないかと思えるの程の大きな手が、オーレンの頭をくしゃくしゃにする。
「ちょ、やめてよ」
「ははは! だがもう少し立派にならねば、対抗心より老婆心の方が先行してしまうなぁ。早く大きくなれよ、坊主!」
「な、何の話さ!?」
なんとかログライの手から逃れようと四苦八苦してみるが、がっちり抑えつけられているのか身動きが取れない。為す術なく頭部を蹂躙されるオーレン。だが彼らは、その様子に目を見開いてすごい速度で瞬きをするメリルの姿には気が付かなかった。
もしもっと近くに立っていたなら、彼女が口元で「……羨ましい」などと呟いていることに気が付けたかもしれない。
「……っ兎に角。そういうことだから、二人とも準備をして頂戴」
感情を押し殺したようなメリルのその言葉で、オーレンはようやっと頭撫で地獄から解放された。




