第二十一話
それは遠征四日目の夜のことだった。
二日目以降進むことになった、オレたちが割り振られた森の奥へ続くルート。その道は、ライオットの言っていた通り魔物が徐々に強くなる傾向があった。といっても大半は新人騎士たちだけで対応できるものだったが、なかにはそうでないものもちらほらと。何の気まぐれかもっと奥にいるはずの魔物が現れたりすることもあった。流石にそのような敵には彼らだけでは心許ない。そういう時は、オレたち旅人が迎え撃っていたのだが……進めば進むほど、その機会は増えていき。元は新人騎士たちの訓練だったはずだが、半分くらいはオレたちのレベリングも兼ねる形になっていた。
新人騎士たちの中には、そんな環境に辟易しているものも多そうだった。だが一部は返ってやる気を満ち溢れさせている者もいる。それに感化され、気を改めるものも。もしかしたらライオットの目指したかったところは、こういう身内で高め合うような環境だったのかもしれない。あるいは自身が発破をかけなくてもやる気を出してくれるようにしたかったか。
……後者の方が正しい気がしなくもない。
それはそれとして。
新人騎士たちはどうであれ、レベル上げが出来るようになったオレたちは内心ほくほくである。
シシリーはもうレベル二十手前だし、オレも野営に入る前の戦闘で十四になった。特殊な固有スキルは増えていないが、筋力と体力の伸びが尋常ではなく、ライオット率いる新人チームの中では一番の力持ちになってしまった。見た目幼女なのに、腕相撲をしたら全然歯が立たないのだ。あんな華奢な腕のどこにそんな力があるんだ……と驚愕混じりの声で言われたものだが、当のオレ本人も全くの同意見。ぷにぷにと、マシュマロのように柔らかい自身の腕を揉みながら首をかしげた機会は、一度ではない。
そんな状況になっていたところで、オレはふと武器の更新を思いついた。
そういえば、使わないからってギルさんにレア武器何個かもらってたんだよな。もしかしたら、その中で新調できるものがあるかもしれない。
思い立ったが吉日。オレは自身の野営の担当を終わらせると(幼女補正か、筋力があるとわかっていながらもひどく簡単なお仕事だった)、手近な木の根元へと腰掛けた。意気揚々とアイテムウィンドウを開き、手持ちの武器の状態を調べる。
「あー、やっぱ全然足らないな」
アイテムの所持数に限りがあること、そして基本お金に困ることが多い旅人稼業なので、使わなくなった装備は店に売っぱらってしまう場合が多い。他にも、特殊な効果を持った武具を素材として用いて、より性能のいい装備へ継承させるといったこともよく行われる。なので、よほどの希少価値のあるものでなければ手元に残すことはあまりない。
「この武器なんて、要求値今の倍近くあるじゃん。……シュタイナー製か。やっぱりなぁ……」
刀匠シュタイナーの武器は、格好いい。もう使わないとわかっているものだが、ギルバインもコレクションとして取っておいたのだろう。その気持ちはよくわかる。記念撮影をする機会があるのなら、片手に持つのは絶対シュタイナー製の剣である。これ絶対。
「んーまぁ、別に今の武器も一応しょぼくてもレア武器だし。ここらの敵ならこれでいいと言えばそうなんだけど――」
期待外れだと言わんばかりのため息を小さく吐きながら、オレはスイスイとアイテム欄をスクロールする。
その際、ふと目に入るものがひとつ。
「おっ」
オレの目線が、若干青みがかった刀身を持つ直剣へと注がれた。
現在装備している武器よりも攻撃力の高い一品だが、それ以外の圧倒的に筋力要求値の足らない武器よりは幾分か大人しい数値。剣類がすべて装備できるという超絶優秀な性能のジョブであるからして、件の直剣も何ら問題なく装備可能だ。
あとは要求される筋力値が足りるかどうかだけ。
「さて、筋力要求値は? ……あっ!?」
説明欄にある数値を見た後、自身のステータスを確認したオレは思わず声を上げた。
「い、いち足らねぇ……っ」
身を近づけて数値を比較しても、視界に飛び込んでくるのはたった1しかない小さな差。実際その程度の数値なら、上がろうが下がろうが体感では全く認識できないほどの誤差だ。
だが、その小さな差が。誤差といっていいほどの小さな値が、オレの前に立ちふさがっていた。
「く、くっそ……」
オレはウィンドウを操作している指をわなわなと震わせながら、小さく悪態をつく。だが、すぐに首を横に振る。
「……いや。たかだか1くらいなら、何とかなるはずだ」
オレはウィンドウをかき消すと、ゆっくりと立ち上がった。その後きょろきょろとあたりを見回し、具合のいい空間を探す。すると、すぐ目の前に良さそうなところを発見。オレはそこにアイテムウィンドウから取り出した薄っぺらいマットを敷いた。
普段の旅路でも、野宿をする機会は比較的多い。そのときのために、このような敷物は常備しておくのが基本だった。ちなみにこれは、どんなコンディションの地面でも寝れるように、割と弾力のあるちょっとお高いマットだ。
それはそれとして。
「……やるか、筋トレ!」
オレは敷いたマットを見下ろしながら、ぐりぐりと腕を回し始めた。
ステータスウィンドウで確認できる自身の数値は、基本的にレベルを上げることで成長する。だが、数値を上げる方法がそれだけかと言われると、実はそういうわけでもない。ゲーム的な感覚に縛られがちなこの世界だが、向こうの世界と同じ方法を取れば成長することもできる。
つまり、限界までランニングを繰り返せば体力が上がるし、筋力トレーニングを行えば筋力が上がっていくのだ。
……まぁ、上がっても微々たるものなんだけどな。
といっても、レベルアップ同様の上がり方はしない。限界まで酷使したところで、精々1か2の上昇率しか望めないのが、この方法の悩ましいところ。レベルアップで二桁とか平気で上がることを考えると、効果はごくわずかといえる。しかも、やればやるほど上がるハードルも高くなっていく。恐らくこの方法でステータスを上げているのは、少しでもステータスを上げたいと貪欲に励んでいる攻略組の一部くらいだろう。正直、オレはそこまで努力する元気はないし、そもそもジョブ自体貧弱だったので、利用した機会はあまりない。
そんな筋力トレーニングだが、今回のような微々たる誤差を埋めるには十分な効果だろう。
「よっしゃ……やるぞぅ」
オレは敷いたマットの上に膝をつくと、その勢いで両手もついて四つん這いになった。
「よっ」
その後膝を持ち上げて、腕立て伏せをやり始めた。
やはり見た目の割に筋力があるのか、すいすい回数がかさむ。こんな幼女体型なのに男の時よりもはるかに強靭だというのは、少し心に来るものがあるが。
「……あれ、リカさん鍛錬っすか!?」
一心不乱に腕立て伏せをしていると、不意に頭上から声が振ってきた。オレは一旦膝をついて見上げると、そこには少年騎士たちが数人むらがっていた。その少年たちの顔には、驚きの表情が浮かんでいた。
こんな遠征先でも筋トレするとか、どんだけストイックなんだよ――といったところだろうか。
しかもこんなかわいい幼女が。やたら強いけど、自分たちより年下の女の子が!
「え、えぇまぁ……。ちょっと、もう少し強くなりたくて」
どう返したものかと悩んだオレは、膝立ちの状態でぽりぽりと頬を掻きつつ、そんなことを口にした。すると少年たちは動揺を隠せない様子でお互いを見始める。
「お、俺も鍛錬するぞ!」
集団の中の一人が、そう声を上げた。そうすると、連鎖するように少年たちが続いた。
「お、俺もやるぞ!」
「負けてられるか!」
「お前もう負けてんじゃん」
「こ、これ以上惨めな思いしてられっか!」
わいわいと騒ぎ始めた少年たち。その後まもなく、オレの目の前で数人の少年騎士たちが腕立て伏せをし始めた。その現場を目ざとく見つけた他の少年騎士たちも、面白半分か集まってきて。
やがてオレの目の間には、都合十人を超える少年たちが筋トレをする『ドキッ! 男だらけの筋トレ夏合宿! (夏ではない)』が開催された。風景にそぐわない異様な光景だが、むさ苦しい筋骨隆々な兄貴たちではなく、まだまだ幼い面影のある少年たちだというのが唯一の救いか。まだ部活感があって清々しい。
……ま、まぁいいけどさ。
まさかこんなことになろうとは欠片も想像していなかったオレは、取り敢えず自身の筋トレに戻るのだった。