第二十九話
「き、急に預けるなよっ」
筋力値が尋常じゃないといっても、持っている剣はとても重いものだ。いきなり体の自由が戻り手元からこぼれそうになった剣を、オレは慌てて抱えた。その時、大きく鋭い指になっている左手に引き裂かれそうになり、冷や汗を浮かべる。
『敵もいなくなったし、どうやら相棒の治療もひと段落付きそうだし。俺様はもとの宿主の元に戻るわ』
そう言ってオレの肩もとに小さな黒い青年が現れた。その青年は、そのまま横たわっているミシェリアの元に飛んでいく。どうやら青年は戦闘中彼女からドラゴンソルジャーを引き離す位置に移動しながら戦っていたのだろう。思った以上に距離がある位置にいる彼女は、見事にその両足を復活させていた。光の英雄の治療は完璧だったようだ。引きちぎられたローブから見える色白の生足がまぶしい。
「戻るって……オレと契約したけど、そういうことができるのか?」
オレはふとその疑問を口にした。すると青年は動きを止めてオレを振り返った。
「御覧のとおり、俺様は自由に動けるからな。契約があっても。それに、お前に渡したのは俺様の力の一部というか……、宿を変えたわけじゃねえんだ。まあ言いたいことは、別にお前にその姿を渡したところで、俺様の動きが制限されるわけじゃねえってことだな。その力、その姿はもうお前のもんだよ」
「まあ、もっとも……」と青年はいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「俺様が離れることで、えらい弱体化するだろうがな。まあ、一から育てるこった」
「……弱体化?」
言われてオレはステータスウィンドウを広げてみた。そこには、ここまで上がるのかといったレベルの値が並んでいる。確かにこれだけの数値があれば、どんな敵でも圧倒できるだろうというくらいだ。
というか、普通考えられない数値であった。
「……これで弱体とかどういう――」
意味だ……と言葉をつなげようとした瞬間、目の前のステータスウィンドウが砕けちった。
「ちょ――って!?」
と同時に左手の魔手も掻き消え、右手の剣が急に重くなった。重いどころか、持っていられなくなった。たまらずにオレは手を放し、ぎりぎりで踏みつぶされないようにかろうじて右足をずらす。
「な、なにが……」
急な変化に、オレは焦った。一体自分の体に何が起きているのだろうと、不安が募る。
少し離れたところから、ケラケラと青年が笑う声が聞こえた。
「なかなかいい反応するじゃねえか! もう一回、ステータス見てみな」
「……? ま、まさか」
言われてオレは改めてステータスウィンドウを開いた。
そして目を見開く。
「……よ、よっわ!?」
思わずうめく。
そこには、輝かしいレベル1という表示とともに、まさに初期ステータスと言わんばかりの貧弱なステータスが列挙されていた。
ま、まじかよ……。いや、確かにそうなることも想像できたけども……。
実は下位職と上位職は経験値の互換性がない。下位職で得られた経験値は、上位職に転職した際に反映されないのだ。下位職は下位職の間で経験値を稼がなければレベルは上がらないし、上位職も然りである。
今のオレの場合、『村人』で上げていた現在のレベルは、下位職に転職すれば引き継がれる。しかし、上位職である『紅魔リカ・リリエスト』に転職するときには、引き継がれず一から上げ直しになる……ということだ。
「……ま、まぁそこは仕方ないけど。……オレもついに職持ちだっ」
ステータスが下がったのは少し残念だったが、もともとチートみたいな数字だった。本来有り得ないものだったと思えば、多少は気がまぎれるというものだ。
「しかもこれ、絶対ユニーク職だろ」
第二王女であるミシェリアと出会うところから始まり、スレットモンスター相手に共闘し、最後には彼女に加護を与えていた英雄との再契約。これだけの大きな関連イベントの末に得られたこの『紅魔リカ・リリエスト』という職は、その特異な工程からユニーク職であることは間違いないと思われる。
誰も得ることのできなかった職に、最底辺だったオレがなることができた。
気持ちが高揚してしまうのも、無理はないだろう。
「まあ、性転換してしまうっていうのは、ちょっと予想外だし……あと、気になることも……」
そう言ってオレはステータス画面の、ジョブ紹介の欄を見返した。
「……『教会への立ち入りが出来ない都合、復活が行えません』。これ、本当のことなんだろうか?」
旅人最大の特徴ともいえる、死んでも復活するシステム。今までその絶対ともいえるシステムに、影響を与える事柄があったという報告はない。復活を抑制するなんてアイテムもなければ、復活させなくするジョブなんて聞いたこともない。
「もしこれが本当だったら、とんでもないデメリットだけど……。もしかしたら、オレが知らないだけでこういうこともあるんだろうか? 後でジェリクに聞いて――」
「俺がなんだって、赤いお嬢ちゃんよ?」
すぐ横から聞き慣れた声がした。はっとウィンドウから目を離し声のした方を眺め見ると、ジェリクを筆頭に仲間たちがオレの方に近づいてきていた。ただ、ミヤビとシシリーは倒れ伏したミシェリアの方へ向かっていたが。
どうやらドラゴンソルジャーがいなくなったことを確認できたため、近づいてきたようだ。
「さっきの戦い、もはや次元が違い過ぎてどう反応したらいいのかわかんねえけど。ともかく、助かったぜ」
直後「で、だ」という言葉とともに、先ほどまで浮かべていた笑みを潜め、ジェリクは真面目な顔をした。
「お嬢ちゃんは、一体何もんだ? ベル……黒髪の旅人の男はどこに行った?」
「え……」
一瞬、ジェリクが何を言ったのかオレは把握することが出来なかった。お前の言うリィンベルは目の前にいるだろうと、何を言っているんだお前は、と。
だが、すぐに得心が行く。
……そういえば、今オレ別人じゃん。
今のオレは、冴えない黒髪の野郎ではない。恐らく、どこへ出しても恥ずかしくない立派な十歳前後の幼女だ。
立派な幼女って、なんやねん。
「あー、えっと」
はて、どうしたもんかと考えた末。オレは手っ取り早い手段を取ることにした。
手っ取り早く身元確認ができる方法。それは、ステータスウィンドウを開示することである。まあ元に戻るのが恐らく一番早いのだろうが、戻り方が分からないため、止む無く断念した次第である。
「おまえさん、旅人だったのか」
「……なんか嫌な予感がするぞ」
オレがステータス画面を共有できるように、オプションでウィンドウの可視化をしていると、その動作を見てギルバインが意外そうな顔をした。その隣で何かを察したのか、ジェリクが困惑気な表情を浮かべる。
「……これを見ていただければ、早いと思います」
何となく敬語でそう口にしつつ、オレはぴっとウィンドウを彼らの前に飛ばした。送られてきたのは、勝手知ったるステータスウィンドウ。どこに何が書いてあるのか把握している彼らは、全員でそのウィンドウを眺めて。
全員で呆けたような表情を向けてきた。
「……り、リンなんか?」
オレのステータスウィンドウに記載されている名前を確認したのだろう、おずおずとギルバインが問いかけてきた。
それにオレは初めてのジョブに舞い上がっていたのだろう、アホな反応を返した。
「……新しいジョブを手に入れたら、こんなんになっちゃった☆」
人差し指で頬を軽く押しつつ、ウインクを一発かます。
その後引きつった表情を浮かべドン引きの仲間たちを見て、オレは我に返った。




