第二十七話
「……ま、マジかよ」
まるで夢を見ているような心地だった……と表現すればいいだろうか。オレが実際に動かしていたわけではないのに、体が勝手に動き、目の前の巨体を圧倒している。このまま驚きの光景を見続けるのかと思いきや、不意に自由が戻る体。思わずふらっと前のめりになったオレは、慌てて足を前に出し体を支える。踏み出した足を見ると、明らかにオレの知っているオレ自身の足ではない。オレの足はこんな褐色じゃないし、こんな子供のもののように華奢でもない。
「耳に入ってきてた声からも、嫌な予感してたけど。……あの野郎、食いつくさないんじゃなかったのかよ」
魔方陣の光がはじけ、視界が完全にふさがれた後。次の瞬間オレの視界に飛び込んできたのは、ドラゴンソルジャーの拳をせき止める、謎の影のような手だった。見ず知らずのものであったが、何故かそこに感覚があることに気が付いた。自分の腕であるという感覚。その後勝手に口が動くわ体が動くわで、あれよあれよという間に今に至った。
劇的に変わる状況に頭が追い付いていなかったが。恐らくこういうことなのではないかと、オレは察する。
今、オレはどこかの世界で青年が使っていた姿に変わってしまっている。
加えるなら、それは少女で、恐らく幼い女の子であろう。
『なんだよ拍子抜けた顔しやがって。敵前だぞ、もちっとしゃっきりしやがれ』
ふとそこで、頭の中で先ほどまで話していた黒い青年の声がした。先ほどまでオレの口を借りて話していた声質ではない。
「こんなん状況について行けるかっ」
念話のようなものだとなんとなく察したオレだったが、思わず声に出して悪態をつく。口から出た声は、今まで聞き慣れた青年のオレの声色ではない。ミヤビのように成人した女性の声でもない。年端も行かない少女の、鈴が鳴るような声だった。
「てか、なんでいきなり動けるようになったんだ!?」
オレは両手を体の前に持ってきて眺め見る。右手には意匠のこらされた直剣。左手は影のような異形。その両方が、オレの意思で自由に動く。
『あ? んなもん、俺様がお前に自由を委ねたからだろ。元々俺様がお前の体を借りて動いてたんだからよ』
「やっぱ、お前が動かしてたのか。というか、この体はもしかしなくてもお前の過去の……?」
『あぁ。俺様の過去使ってたもんだ。殺すことしか能がなかった、殺戮娘だ』
「……なんだよ、それ」
とんでもない青年の説明に、オレは返答に困ってしまった。
そんな折、不意に目の前にシステムウィンドウが開かれた。突然のことに驚いたオレは、文面を目にしてさらに驚愕する。
「……初めて見たわ」
眼前のウィンドウに書かれている内容。
それは彼が心から待ち望んでいた、新規ジョブ獲得を示すものであった。
『新規ジョブ『紅魔リカ・リリエスト』を獲得しました。
詳細◇紅魔リカ・リリエストの体を借りて戦うことが出来る。リカ・リリエストは魔族の軍団の切り込み隊長。圧倒的な戦闘能力と左手に宿した『影の魔手』を駆使して、天使軍を蹂躙した。赤髪と通常時は碧だが気が高ぶると赤く変化する目、そして戦闘から帰還するたびに、全身を返り血で真っ赤に染めていたことから、紅魔という異名が付いた。十二歳という幼さで命を落としたが、その生涯で引き分け、敗北を味わったのは、それぞれたった一度だけだった。相手は同じく十二歳の天使の少女。最後その少女に殺されたが、結果を見れば相打ちであった。年齢を重ね体が完成していれば、さらなる化け物になっていたことは、容易に想像がつく人物である』
「……とんでもない説明文だな」
その衝撃的なプロフィールのあとには、使用武器が剣全般と体術であること、そしてレベルを上げれば『影の魔手』が使用できることなどが書かれている。後すぐに目につくのは、固有スキルであろうか。そこには筋力・体力値に上昇倍率がかかること、光属性に対して相克であること、天使属性の敵に特攻を持っていること、などが書いてある。
「……ん?」
そしてそれら説明欄の一番下。オレはとても引っかかる文面を見つけてしまった。
『※このジョブは特性上、以下の注意点があります。
・この職業は、通常時と紅魔状態に切り替えができます。ステータスは反映されませんが、一部スキルは反映されます。
・切り替え前に受けたダメージは、切り替え後でも反映されます。そのため切り替え前に、切り替え後のHP以上のダメージを受けた場合、回復するまで切り替えが出来なくなります。
・高レベルの魔除け結界に阻まれるため、一部都市への入国が出来なくなります。
・魔族の血を引いているため、教会への立ち入りが出来なくなります。
・教会への立ち入りが出来ない都合、復活が行えません』
「え、これって――」
『何してんだ、さっさと避けろ!!』
不意に脳裏に響く、青年の叫び声。オレは反射的に下げていた顔を上げると、目前にドラゴンソルジャーの拳が迫っていることに気が付いた。
「やっべ!?」
咄嗟にオレは手に持っていたジェリクの剣を盾代わりに使った。しかし衝撃までは殺しきれず、横方向へと吹き飛ばされる。
くそっ、初めてのジョブ獲得ウィンドウに舞い上がってしまったけど。今は戦闘中なんだった!?
青年がどこかの世界で使っていた体……リカ・リリエストの体を借りているおかげか、あれだけの衝撃を受けてもまだ四肢を動かす余裕がある。だが、床に足をつけることが出来ず吹き飛ぶ速度を抑えることが出来ない。このままでは、再び壁へと叩きつけられてしまうだろう。
またスタンでも食らったら、大目玉だぞ……っ。
そう思い、なんとか吹き飛ぶ速度を抑える手段を考えていた最中。
『流石に、急に自由をいただいても、混乱を招くだけでしょう。面倒くさがらず、この場は何とかしてあげなさい』
脳裏に初めて聞く声色が響いた。女性の声だ。青年のように粗暴な口振りでない、穏やかで包容力を感じさせる、優しい声色。
『へいへい。ったく、世話のかかる。ほれ、少し体貸せ』
その女性の声に、青年がさも面倒くさそうにそう答えた。途端、再び体の自由が利かなくなる。
オレの制御を離れた体は、壁に激突する寸前にくるりと宙返りをし、壁を足場として跳躍した。そのまま一気にドラゴンソルジャーの死角へと回り込む。
「ったく、なんでこんな敵に苦戦するかねぇ」
『貴方の体を貴方以外の人がすぐ扱えるわけないでしょう。それに、誰もが貴方のように強いわけではありませんからね』
「っけ。おめーに言われると皮肉にしか聞こえねえな。で、どうだミシェリアの方は?」
『回復は順調です。ミシェリアは強い子ですね。彼女の生命力が高いおかげで、間に合いそうです』
「そいつぁよかった。んじゃ、こっちは目の前のデカブツを倒しますかね」
軽快な会話を展開する両者。その二人の会話から、女性の声のほうが青年の相棒だという光の英雄であろうとオレは目星をつけた。ミシェリアの治療を施しているという彼女だが、なんとかなりそうだということでオレは少し安心する。
『すみません、リィンベルさん。出来ればすぐにご挨拶をしたかったのですが……。今は状況が状況なので、後に回させてくださいまし』
とそこで女性の声が、オレへと言葉を投げかけてきた。オレは首を横に振って……実際に動かすことが出来ないので、動かした気になっただけだが……何でもないことを伝える。
『いえいえ。さすがにこの状況だとそれが当然だと思います。ミシェリアの治療、お願いします』
『ええ。夢多き乙女ですもの。傷を残すような可哀そうなことにはさせませんわ』
「おめーら、戦ってねぇからって頭ン中で騒ぐなよ……。気が散る。後にしろ後に」
『はいはい、分かりました。あなたの邪魔はいたしませんわ』
女性がそう言ってしまうと、オレも下手に口を開くことが出来なくなる。いろいろ聞きたいことはあるが、他に優先順位が高い事案が目の前にあるのは確かだ。オレは黙って勝手に動く体に意識を集中する。
「よぉく感覚を覚えとけよ旅人。この体の正しい使い方ってやつを、特等席で見させてやるからよ」