第三十一話
長い文章量を有するスキルの説明。その中でもそこに目が行ったのは本当に僥倖であった。
『設置点を転移や召喚の起点にも使用できる。その場合陣の作成が不要となり、使用魔力量が減少する。減少量は軌跡の幅と長さに依存する』
詳しいことは、余裕があるときに読み込まないといけないだろう。
だが今はそれだけでよかった。
オーレンが召喚したのは、小さな爆発を起こさせる火の精霊だ。初期のレベル帯で覚えられる精霊術であり、威力も消費魔力も少ない。そして何より呼び出す時間が非常に短いのが、この下級の精霊たちの特徴だ。
威力はさほど必要ない。ほんの人間一人を弾き飛ばす程度の強さであればいい。
今のこの状況には最適であった。
まさかこの状況で、後ろから攻撃が来るなんて思ってもいなかったのだろう。オーレンの目の前で、ニーフが爆風を受け宙に投げ出された。
その様を見て、彼は小さく笑みを浮かべる。
僕だけ落ちてたまるか。ここであいつを野放しにすると、メリルさんが殺されてしまう。
だから――
「道連れだ」
風切り音が遠慮なく鼓膜を揺らし、自分の声すらも満足に聞こえない。オーレン自身も、正直口に出したところで伝わるとは思っていなかった。だが、ニーフはオーレンの呟きに合わせて顔を歪ませた。まるで射殺さんばかりに強いまなざしが、オーレンへと向けられる。
しかしその視線はすぐに彼から離れた。
ニーフは空中で体の向きを変え、仙境の大地へと相対する。そうして何やら腰元に手を伸ばすと、何やら平べったい円盤のようなものを手に取った。
その円盤からは、何やら三又に分かれたかぎ爪のようなものが顔を出して――
「あ、まさか!」
オーレンが思い当たり鋭く声を上げたころには、ニーフはそのかぎ爪を円盤から引き抜き、勢いよく仙境の大地へと投げ飛ばした。かぎ爪には細いロープが括りつけられている。
あ、ひ、卑怯臭い!?
思わずオーレンは歯噛みする。別にニーフの用意が良かったというだけだが……。対して、オーレンはその手の道具を持っていない。もしかしたら所持品の中に似たようなものが紛れ込んでいるかもしれないが、残念ながらウィンドウを操作するような余裕はなさそうだ。
このままでは、オーレンの頑張りは無駄になってしまう。
なればと、オーレンは精霊術を発動させる。もう一度、今度はより強い精霊を召喚するつもりだ。かぎ爪を吹き飛ばすことができれば、ニーフの生還を阻むことができる。
しかし精霊の選択時に、オーレンは小さく舌打ちをした。
既に界繋の一閃は消失しているのか、設置点からの召喚が行えなくなっていたのだ。
……仕方ない。こうなったらあいつ自体を――
オーレンがそう思い至ったタイミングだった。
まっすぐ仙境の大地へと伸びていたかぎ爪。あのままの勢いならば、難なく大地へと届くであろうと思われたそれが。
不意にあらぬ方向へ吹き飛んだ。
え――
かぎ爪を吹き飛ばしたのは、空からの飛来物。速度があったため一体何が飛んできたのかはわからない。
飛来物は、かぎ爪を吹き飛ばした後虚空の彼方へと消えていった。
え、一体何が……。
状況が呑み込めず、危機的状態ながら呆けてしまっているオーレンをよそに、事態はさらに動く。
視界を飛来物の消え去った方向からニーフの方へ戻すと。オーレンは目を見張った。
オーレンが眺める前で、ニーフの体に一振りの剣が突き刺さったのだ。
地表に切っ先を向けたその剣は、容赦なく根元まで深々と突き刺さった。ばっと、ニーフの背中から血しぶきが飛び血の雨を降らせる。落ちる方向が違うためその雨が降りかかることはなかったが、その量たるや傍目からも尋常じゃないということがわかった。
致命傷だ。
飛来してきた剣に押されるように、ニーフの落下速度が上がる。そのおかげで、ニーフはオーレンの横あたりまで近づいてきた。
ふと、ニーフがこちらを振り返り、目が合う。
「っ――」
一体彼は、そのとき何を思ったのだろう。
その表情は、ひどく疲れた様子で。
その目には、小さく涙の軌跡があった。
「あ――」
思わずオーレンは、ニーフに向けて手を伸ばす。何故とっさにそんなことをしたのか、オーレンも把握が付かなかったが。
何となく、この瞬間なら分かり合えるような気がしたのだ。
オーレンが手を伸ばすも、ニーフは見つめるばかりで動きを見せない。それをじれったく思ったオーレンは、さらに腕を伸ばそうと身をひねらせたところ――
「オーレン君!!」
不意に天上から名を呼ばれる。その声は、この風切り音が強いなかでも、はっきりと聞こえた。
その声に天を仰ぎみる頃には、温かくも柔らかい感触がオーレンを包む。
視界に広がるのは、さらりとした金糸。それが人の髪であるということに気が付くのに、さほど時間はかからなかった。
先ほどの声、そしてこの金色の髪。思い当たるのは一人しかいない。
「メリルさん」
その名前を出すと、ふと体の力が抜ける感覚を覚えた。恐らく、安心したんだろうなと、自分のことながら他人事のように考える。
メリルはオーレンが反応を示すと、きゅっと彼を抱く腕に力を込めた。
「ちょっと歯を食いしばっていて頂戴ね」
そして何やら不穏な言葉を発すると、右腕を外し自身の腰元へと持っていく。そこには、彼女が愛用している細剣が。
「っ――」
メリルの口元から、小さく息をのむような音が聞こえる。
というか、今気が付いたがすぐ目の前に彼女の顔がある。目の覚めるような美しい造形の顔に彩を加える、紅色の綺麗な唇が――
直後、強い衝撃がオーレンの全身を襲った。
同時に、風切り音とは異なる、ざざざっという異音が鼓膜を叩く。そして再び訪れる衝撃。強制的に肺から息が吐きだされる。
「げほっ!?」
先ほどから突然の何かが多すぎて、心臓がそろそろ悲鳴を上げている。そのせいか視界がチカチカする感覚を覚えながらも、オーレンは慌ててあたりを見回した。
先ほどまではあたり一面雲海と頭上には天空の大地を拝むばかりだったが。いつの間にかそんな影は一切ない。緑豊かな草原と、頭上からは生い茂る木からの木漏れ日が燦々とこぼれる、のどかな光景。
そして背中には、しっかりとした大地の感触。
よくわからないが、助かった……のかな。
ぼんやりと木を眺めながら、大きく深呼吸をする。そのおかげで、多少落ち着きを取り戻した気がした。相変わらず背中には自信を支える地面の感触があり、ようやく自分が落下から復帰したということを理解した。
もうこれで、墜落死をすることはない。
「……さすがにちょっと無茶だったかしらね」
不意に真横から声がする。それと同時に何かが動く気配。反射的にオーレンは顔を向けた。
「大丈夫だったかしら、オーレン君?」
声の主は、メリルだった。と言っても、声質から彼女であることは、振り返らずともわかってはいたのだが。
その距離だけは、予想外だった。
振り返った先、オーレンの視界には、白い彼女の衣服が広がった。一体これはどの部位だろうか。などど一瞬頭を悩ませはしたが、すぐに思い当たる。
恐らく今目の前に広がるそれは、彼女の胸元だろう。コートの襟とか、服の張りとか、思い立ったらそうとしか思えない。
彼我の差は十センチ程度。
そういえば、さっきも目の前に彼女の顔があったし。察するにこの状況は……。
抱きしめられているのだろう。
「え、あ、あ――」
オーレンは口をパクパクさせるも、そこから出てくるのは意味をなさないうめき声のみ。
「……ふふふ」
その様子に、メリルは小さく笑い声を漏らした。




