第二十九話
ここ数日、夏バテ気味なのか体調が優れません。やはり急に気温が上がったのが影響しているのかも…
「……く、狂ってる」
オーレンは思わずそんな言葉を漏らした。
ただでさえ倫理観の強い世界で過ごしてきたオーレンだ。彼にとって、ただ快楽のためだけに人を殺すなどという人物がいることが信じられなかった。
けれど、ここは日本じゃない。
魔物が存在し、人々はただ生きていくだけでも、剣を持ち戦うことが必要になるような世界だ。人の死というものが、元の世界に比べてはるかに近い位置にある。だから、死に対する観念の強さや重みが違うのかもしれない。
だが――
……そんな小難しいことはどうでもいい。
少なくとも、オーレンにとっては、今どうでもよかった。
ニーフの言葉に、オーレンはぎりと強く剣を握りしめた。
「……そんなことのためにログライさんを殺したのか、お前!!」
脳裏に浮かぶのは、短い期間だったが幾度となく言葉を交わしたログライの姿。自信家で、何事にも楽しそうに挑むログライが最後に話していたことは、昔殺しあったというバイスとの再会についてだ。気恥ずかし気にオーレンへと仲介を頼んだ彼は、その願いを果たすことなく死んでしまった。それがたまらなく、彼にとって悔しかった。
オーレンの怒りは、誰の目で見ても明らかだ。その瞳は、強く強くニーフをにらんでいる。その視線を受けて、ニーフは逆に楽し気に剣を構えた。
「……いい表情だ。それでこそ、潰し甲斐がある」
直後、ニーフが勢いよく地を蹴った。一足飛びにオーレンへと肉薄する。
「この!」
下からえぐり取るかのような一撃に対して、オーレンは渾身の振り下ろしを合わせる。ガァンと耳をつんざくような音とともに、小さな火花が飛び散った。その手応えに、ニーフは嘲笑うかのように小さく鼻を鳴らす。
「……力が入っているな。だが、それだけでは全く足らない」
「っ!?」
つばぜり合いで両者力を込めている最中。不意にニーフが力を抜き剣を反らした。その動きに対応できなかったオーレンは、いとも容易く姿勢を崩されてしまう。
「剣の道なぞ志さなければ、こんなこともなかったろうに」
姿勢を崩されたことで、オーレンの右脇腹ががら空きになる。ニーフは、素早く懐から小ぶりなナイフを取り出すと、容赦なくオーレンの脇腹へと突き刺した。
元の世界だと、痛みで絶叫を上げていたかもしれない。だがこの世界では、痛みというものはかなり軽減される。現にナイフを突き立てられたにもかかわらず、オーレンは患部に異物感やしびれを感じるばかり。精々不快感に顔をゆがめる程度だった。
「……血も出なければ、痛覚も抑制されているのか」
オーレンがあまり反応を見せないことに、ぽつりとニーフがつぶやく。戦闘中だというのに、その声色はひどく冷静だった。人に刃物を突き立てる……その凶行に何も感じ入るものがないのだろう。
オーレンはぐっと改めて剣を握りしめる。脇腹に突き刺されたナイフが、彼の斬撃を鈍らせていた倫理観を薄れさせた。
この人は――。いや……こいつだけは、このままにしちゃだめだ!
余裕の表れか、未だに至近距離に身を置くニーフ。今までは彼の持つ剣に狙いを定めていたのだが。オーレンは、視線を彼の肩口へと移した。そこに剣を振り下ろせば、確実に致命傷となるだろう。
だが、そう冷静に判断する思考が、先の一撃で遅れた。
この男を止めなければ、この先同じような被害者が増えてしまう。
いや、そんな先の話だけじゃない。今この瞬間、自分自身が危険にさらされている。
殺さなければ、殺される。
オーレンは反らされた剣をすぐさま振り上げる。その動きに気が付いたニーフが、その場から身を引こうとし始めたが、オーレンの視線は彼の肩口をずっととらえていた。
「っ――あああぁぁぁ!!」
口から出てきたのは、とても言葉とは言えないまるで獣のような雄たけび。彼の心情を表しているかのようなその絶叫のもと、視線の向けた先めがけて剣を振り下ろさんとする。
刹那。彼の視界に光が瞬いた。
同時に、体が勝手に動き始める。
今まで何百回何千回と練習を重ねてきた、上段からの振り下ろし。その動きには変わりない。
だが、そのひと振りは常軌を逸していた。
周りのすべてが、まるでスローモーションになっているかのような体感の中、自分だけが先行しているかのような感覚。そしてまだ何も切れていないはずなのに、何かを切り裂いているかのような不思議な手応え。
そしてその不思議な時間は、一瞬の後に走り去った。
「っ――」
不意に鼓膜を叩いたのは、風切り音と、ニーフの息をのむ音。それに遅れる形で、まるでテレビの音量を上げていくかのように、徐々に周囲の音が鮮明に聞こえてくるようになった。
「え……」
オーレンは不思議な感覚から現実に唐突に引き戻されて、間の抜けた声を漏らす。そしてまじまじと自身の正面を見据えた。
オーレンの視界がとらえたのは、体を反らせて無理やりオーレンから距離を取ろうとしているニーフと。
まるで空間に裂け目ができたかのような、虚空に浮かぶ斬撃の軌跡だった。
直後、オーレンの眼前にシステムウィンドウがポップアップする。そのウィンドウはスキルを習得した際に表示されるもので、彼自身レベルアップ時にしか見たことはなかった。一瞬何故と疑問を覚えたオーレン。だが、すぐに思い当たる。
脳裏に浮かんだのは、サドンクエストの中に記載されていた、『?』が並べられたスキル名。
システムウィンドウには、そのスキルの名前とその詳細が記されていた。
新たに覚えたスキルの名前は、『界繋の一閃』。
スキルの詳細は――
「……今のは驚いた」
不意に聞こえてきたニーフのつぶやき。それとほぼ同時に、オーレンの肩口に小ぶりなナイフが突き刺さった。
オーレンがシステムウィンドウに目が映っているわずかな間に、崩れていた姿勢を戻し、投擲してきたのだろう。
完全に不意を突かれた形のオーレンは、その衝撃に一歩後ずさる。退けた足が大地の縁へと達し、パラパラと土塊を雲海へと落とした。
「まさかこんな隠し玉を有していたとはな。……あと数瞬遅ければ、致命傷だった」
そういうニーフの肩口から胸にかけては、服がばっさりと裂かれていた。もしそれ相応の傷が入っていたならば血塗れになっているところだろうが。見たところ血に濡れているのは、裂かれた周囲の服のみ。恐らく、傷自体は軽いのだろう。
「……鋭さを極め、その頂に到達した一閃は、空間をも切り裂く。成程、剣乙女から受け継いだ極意……というわけか」
「しかし、残念だったな」とニーフは悠々と宙に刻まれた斬撃から一歩横にそれる。
「この一撃で仕留めきれなかった、お前の負けだ」
そして斬撃を避け一気にオーレンへと距離を詰めてきた。オーレンは後ろへ下がることができない状況に歯噛みしつつ、迎え撃つために剣を構える。
だが彼の言う通り、先の一撃でニーフを仕留めきれなかった時点で、オーレンの勝機は喪失していた。
ニーフはオーレンと距離を詰めると、上段に剣を振り上げた。
その動作を受けて、オーレンは咄嗟に剣を浮かせたが――
「……死ぬがいい。若き剣士の種よ」
ニーフは剣を振り下ろすことはなく。彼は不意に姿勢を下げると、オーレンの股下まで足を踏み込み、当て身を繰り出した。
そんな攻撃全く予想していなかったオーレンは、当然その衝撃に踏ん張ることができず。
「あ――」
いとも簡単に、大地の縁から足を踏み外した。




