8.胸に転がる異物(1)
カツは〈城〉にいるだろう。
図書館か、ビデオ屋か。
ほかには〈城〉しか、あいつの行く場所はなかった。
朝は探し物があると言っていたが、財布がないんじゃ、どこにも行けない。
結局は、図書館から〈城〉へ、というお馴染みのコースだろう。
村上刑事に〈城〉まで乗せてもらうつもりはなかった。
僕らが〈城〉と呼ぶ廃虚を見たら、彼は、僕の手とハンドルを手錠で繋いで、十三貝さんを探しに、廃墟へ飛び込んでいくにちがいない。
〈城〉は、人を監禁したり、殺害したりするためにあるような場所だった。
もっとも、僕らは〈城〉へ、本を読んだり、ただぼんやりしたりするために行くのだ。
アパートに引っ越して以来、ひとりになりたいときは、〈城〉へ逃げる。
だから、兄弟共有の場所だが、二人揃って行くことはめったにない。
カツが〈城〉でなにを考えるのかはわからない。
僕はたいてい自分のことを考える。
将来のことや、もし、あのとき、ああしていたら――なんてことを想像してみる。
ウイスキーのポケット瓶に相談したりする。
たぶん、カツも似たようなものだろう。
……もし、親父が事業に失敗しなければ……
……もし、ジャンケンに負けなければ……
……もし、プレス機に指を挟まれなければ…………。
本当のところはわからない。
実は、まるでちがったことを、思い巡らしているのかもしれない。
ただ、一度だけだが、〈城〉で、カツが泣いているのを見たことがある。
真冬の硬く乾いた空気――ガラスのはまっていない窓から差し込む四角い光の中に、あいつはうずくまって泣いていた。
僕は気づかれないように、あとずさって逃げた。
家に戻ってきたカツは、いつもと変わらなかった。
〈城〉は、僕らの特別な場所だ。
若菜ですら数度しか入れてない。
僕らだけのための空間。
そこは僕らの外にあるのではなかった。そこは〈内部〉なのだ。
それもかなり奥深い内側。
初めて〈城〉を見たのは、僕らが失ってしまった家への転居の日、父が運転する車の中からだった。
最初にカツが見つけた。
あれ、なんだ? と素頓狂な声をあげ、窓の外を指差した。
僕はカツの方へ尻を滑らすと、その身体にのしかかるようにして、彼が指差す先へ顔を突き出した。
車の左側は、小高い山になっていて、捩じくれた樹が、からみ合うように密生して、斜面を覆っていた。
その頂上に近いところに〈城〉があった。
コンクリートそのままの不機嫌な灰色をした、チェスのルークみたいな塔が二本、厚く塗り固められた油絵具のような緑色の塊から、にょっきりと突き出していた。
塔と塔を繋ぐ橋のように、建物の屋根の一部も、同じコンクリート色に、樹々の上へ、のぞいていた。
お城だ、と僕は言った。
本当にお姫さまが住んでるお城みたいねえ、と助手席の母が、弾んだ声で同意した。
ホテルじゃないか、でも、まだ建設中だな、という父のつまらなそうな声に、カツが、なに言ってんの、おとうさん、あんなホテルがあるわけないじゃん、と声を荒げた。
十年も前の話だ。
僕もカツもまだ、ラブホテルなんて知らない、無邪気な子どもだった。
母もまだ若く、そして、父はおそらく、人生の絶頂期にあった。
世間ではバブルの崩壊だとか言われていた頃らしい。
父が始めた仕事は、むしろこの時期に拡大成長した。
僕らはそれまで暮らしていた賃貸マンションを出て、父が生まれて初めて(そして、おそらく生涯最後に)建てた家へ、引っ越していくところだった。
庭付き一戸建て。
犬を飼ってもいいという約束を、僕らは父から取りつけていた。
ボクサーがいい、とカツは言っていた。
僕は柴犬が欲しかった。
しかし、うちに来たのはボクサーでも柴犬でもなく、猫だった。
犬ですらなかったことに、僕ら兄弟は唖然とした。
そして、自分たちの人生が一筋縄ではいかないことを、おぼろげながら予感したのだった。
猫は結局、母の猫になった。




