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7.僕は精液にすぎないか(15)

     ◆


 ちょっと話がある、とミロクさんが言うので、僕は部屋に残った。

 村上刑事は、車で待ってる、と言って、玄関を出て行った。

 喉が渇いた、と言うと、ミロクさんは、冷蔵庫に麦茶がある、と言った。

 窓辺に立つ彼の顔は逆光でよく見えなかった。


 僕は冷蔵庫から麦茶を出し、食器カゴからコップを取って、麦茶を飲んだ。

 本当は喉など渇いていなかった。

 ただ、ミロクさんと二人きりで向き合うのがつらかった。

 しかし、麦茶を飲んでしまえば彼の前に戻らなければならなかった。


「僕と弟のことはだれに話してもいいからね」

 とミロクさんは言った。

「だれにだって秘密はあるよ」

 と僕は答えた。

「秘密なんかじゃ、ないんだよ」


 ミロクさんは、逆光の中で、微笑んだようだった。


「そう。じゃあ、だれかが聞きたがったら、そのときに話すことにする」


 ミロクさんはうなずいた。

 そのうなずきの意味はわからなかった。

 それでいいということなのか、そういうことも覚悟しようということなのか。

 わからないうなずきはわからないままですまそう。


 白砂咲子という女性から手紙が初めて届いたのは三年前だった、と彼は言った。

 僕は聞こえていないようなふりをした。

 彼はかまわず続けた。

 それはたしかに恐喝の手紙だった。

 しかし、白砂咲子が恐喝のネタとしたのは、ミロクさんの弟が連続殺人犯であることでも、彼が弟を罠にかけて警察に引き渡したことでもなかった。


「あの事件で最後の被害者が殺されずに逃げられたのは聞いたか。

 事件の解決後、警察はその子のプライヴァシーを保護した。

 マスコミだって中学三年のA子さん以上の報道はしなかった。

 もちろん、僕だってそういう子がいたということしか知らない。

 でも、手紙にはその子がその後、高校に進んでどんな生活を送っているか、事細かに書いてあった。

 名前とか、高校名とか、具体的なことは隠してあったけどね」


 村上刑事が言っていた四人目の被害者。

 生き延びた少女には、事件とまったく関係のない生活があり、それは事件のあとも変化なく続かなくてはならないし、続けなくてはならない。

 僕は、自分と同じ世界のどこかに、彼女もまた存在していることを、そのとき初めて気がついた。


「事件のことは、家族以外だれも知らない、と書いてあった。

 僕が、毎月一万円を白砂咲子の口座に振り込み続ける限り、彼女の秘密は守られるだろうってね、文面はそう終わってたよ。

 そのあと、馬鹿にしたように『p.s.』とあって、振込人名には『カイン』を使うよう書かれていた」


「疑わなかった?」

「疑ったさ。手紙に書いてあることは全部、嘘っぱちだろうってね。

 今だって、十三貝が四人目の被害者を知っていたとは信じられない。

 ……でも、僕は、僕を信じたんだよ、トモ」


 これは永遠に続く負債なんだ、とミロクさんは言った。

 返済し続ける自分を信じることしか、できることはなかったのだと。


「そんな被害者のことなんて、自分には関係がないとは、考えなかったの?」

「関係あるだろう。その子のことが関係ないなら、弟のことだって関係ないということになる。

 ちがうか」


「ちがうよ」

 僕ははっきりうなずいた。

「そんなの窮屈な生き方じゃない?」


「好きでやってんだからね、窮屈だなんて言えないだろう」


 僕にはやりきれない話だった。

 話題を変えた。

 いつから十三貝さんを疑っていたのか訊いた。

 逆光のミロクさんは、顔をしかめたようだった。


「こんな脅し方をするのは僕という人間を知っている証拠だ。

 だから、白砂咲子が身近にいるのはわかっていた。

 十三貝を疑い始めたのは、今年に入ってからだね。

 直接的な理由があったわけじゃないんだ。

 なんとなくそんな気がしたっていうだけなんだが」


「で、ピッキングの道具を買って、彼女の部屋へ忍び込もうと考えたわけ?」

「まあ、そうだね。その機会をうかがっているうちにこんなことになってしまった」

「どうして本人に直接訊いてみなかったの?」


「なんて訊くんだい、トモ?

 僕を強請っているのは君かって訊けばいいのか。

 どう訊いたって同じことだよ。

 彼女は否定するに決まってるじゃないか。

 白砂咲子なんて知らないって言うだけだよ」


「いや。知らないとは言わないんじゃないかな。

 白砂咲子は十三貝さんの母親の名前なんだ。

 本人は明日こっちへ来るらしいよ」


「そうか」

 ミロクさんはしゃがみ込んだ。

「もう行けよ。刑事が待ってるんだろう?」


 僕はうなずいて、彼に背を向けた。

 部屋を出ようとする僕に、当分〈パブロフ〉には顔を出さない、と彼は言った。

 わかった、とだけ僕は答えた。


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