6.TATOO――契約の印(11)
「さっき山口さんに会ったでしょう。
彼にはいろいろと訊きたいことがあったので、署まで来ていただいたんです。
ほら、ストーカーという話がありましたよね。
調べてみると、たしかに彼は約二年前ストーカー行為で厳重注意されていました。
うちの署ではありません。十三貝さんの部屋は隣の所轄なんですよ。そっちの記録に残っていました。
あのマンションの前に立って部屋を監視しているところを捕まえて注意したようです。
これはけっこう効いたみたいですよ。
彼もそのあとはやっていないと言ってましたし、被害も届けられてませんから」
「本当ですか。本当にあいつはもうストーカーしていないんですか」
「そんな残念がらなくても」
縹刑事は巨大な黄色い歯を見せて笑った。
「二年前は無言電話とか、嫌がらせの手紙とか、部屋を監視するとか、そういうことをしていたようですね。
終いにはもっとエスカレートしてとんでもないことをしたようです。
それで警察に被害届が出たわけなんですよ」
「とんでもないこと?」
「玄関のドアノブにね、精液がべったりつけられていたんです。
被害者はドアを開けようとしてドアノブを握るまで気づかなかったんだそうですよ。
精液ですからね、普通じゃない。異常としか言い様がないです」
「それって僕が彼女とつきあっていた頃なんですか」
あのとき、十三貝さんがそんな目に遭ってるなんて、僕は全然気づかなかった。
ストーカーされているとは聞いていたが、引っ越してからは治まったんじゃなかったのか。
「そう。たぶん重なります」
「全然知りませんでした。彼女がそんな目に遭っていただなんて。
十三貝さんは僕にはそんなことなにも言ってくれませんでした」
「ちがうんですよ」
「はあ?」
「十三貝美奈子ではないんです。
ストーカーの被害届けを出したのは、彼女の隣に住んでいた、別の女子大生です」
身体がソファに沈み込んでしまうような錯覚にとらわれた。
山口がストーカーしていたのは十三貝さんじゃないのか。
では、彼女が部屋に入られたと言ったのは、いったいだれのことだったのだろう?
◆
「あなた、十三貝美奈子さんに利用されたんじゃないですか」
惚けている僕に、縹刑事が訊いた。
「どういう意味ですか。どうして僕が利用されたことになるんです?」
「真実というのは必ずしも見た目どおりではないんですよ」
「はあ……」
「たしかに隣の女子大生はストーカーの被害に遭っていた。でも、彼女はストーカーされてはいなかったかもしれません」
「女子大生の錯覚にすぎなかったと言うんですか。
でも、ドアノブに精液がつけられていたんでしょう?
――まさかそれも狂言だったということですか。
もしかして、その人はストーカーされているという被害妄想が募って、ありもしないことで警察に被害届を?」
縹刑事は首を振った。
「ドアノブの精液は被害届を出す前に拭き取ってしまって残ってはいませんでした。
ですから、それを事実ではないと言うことは可能です。
可能ですが、ただ可能だというだけのことです。事実は事実ですよ。
嫌がらせの手紙もあるんですね。女子大生は、何通か手許に取っておいたんです。
山口さんは、筆跡を自分のものだと認めたようですね」
「じゃあ、やっぱりストーカーされていたということでしょう?」
「普通なら、そう考えますよね」
「なにがいけないんです?
普通に考えればいいことじゃないんですか。
どうして刑事さんは山口の肩を持つんです?」
昂って早口になった僕を、笑みを浮かべたまま、縹刑事は見ていた。
化学反応を観察している科学者のようだった。




