6.TATOO――契約の印(4)
洋子さんは目を伏せたまま、くず桜の最後のひとくちを口に運んだ。
それから、やけに上品にお茶を飲んだ。
「混乱したわよ。あんなパニック状態はあとにも先にもあれ一度きりだわ。
初めはウマノスケを疑ったんだけど、あいつはデータを持ってないし、なによりそんなことをする男じゃないじゃない?
わたしはデータの出所は一つしかないってようやく気づいて、CDをしまっておいたはずの戸棚の引き出しを開けてみた。
CDはもちろんなかった。
部屋中探してみたけど見つからなかったわ。
結論は一つ、だれかが盗んだのよ。だれかがね。
そして、そのだれかはひとりしかありえなかったの。
それが美奈子ってわけ。
彼女が家に泊まりにきたとき、酔った勢いでついCDを見せたことがあったのよ。
そのとき、わたしが酔いつぶれたあとで引き出しから持ち出したのね。
絶対、そうなのよ。
だって、彼女のほかにはそんなCDが存在することさえだれも知らないんだから」
「本人に確認したの?」
「それとなくね。
あの子はしらばっくれて、それ以上追及できなかったわ。
でも、わたしにはわかってる。絶対に美奈子なのよ。
脅されたりも強請られたりもしてない、それどころかCDの話なんてそれきり出たこともないわ。
それでも、まちがいなくあの子が持ってるの、わたしのCD」
十三貝さんならそんなこともするかもしれない。
僕は冷めかけたお茶を飲み干し、熱いのを注ぎ直した。
「ねえ、洋子さん、どうして友だちやめないの?」
「馬鹿ねえ、トモ。だからこそ友だちをやめられないんじゃないの」
洋子さんは盗み見るように上目遣いに僕を見て、くすっと笑った。
その眼は潤んでもいなかったし怒ってもいなかった。
ただ、つくり物のように澄んでいた。
「美奈子にとってはねえ、恋人も友だちも支配関係なのよ。
どうしてそんなに怯えなくちゃいけないのかわからないけど、人に裏切られるのを極端に恐れているのね。
だから、裏切られないように保険をかけておくわけ。
わたしからはCD、トモ、あんたからは――なんなのかしら?」
「わからないな。ちゃんとできたかって聞いたのは、もし僕がちゃんとできていなかったら、その弱味につけ込んで僕を脅してるんじゃないかって、そういう意味だったの?」
「そうね。だいたい、そんなとこ。
でも、直接脅すようなこと、美奈子はしないのよ。
たぶん、微妙にね、それとなくプレッシャーをかけてくるはず。
わたしにはそうだから。
それで、ときどき面倒な頼みごとをしてくるのよ。
こっちが断れないことぐらいわかっているのに、無理だったらいいなんて言うの」
結局、十三貝さんは僕に弱味を見つけられなかったのだろうか。
僕が弱味すらないような単純な人間だったから、彼女は関係を続けることは無理だと考えたのだろうか。
それはそれで見方によっては情けない話だった。
「でも、洋子さん。どうしてそんなビデオのこと、僕に話すんだ?」
「美奈子の部屋に音楽CDがあったでしょ?」
「うん、何枚か。趣味が合わないからきちんとは見なかったけどね。
本の趣味とかは悪くないんだけど、あの人の音楽センスにはついていけない」
「あの子がどんな音楽が好きかなんてどうでもいいのよ。
わたしが言いたいのは、その中の一枚は問題のCDだろうってことよ。
ケースは普通の音楽CDでも、中身はわたしのCDというのがあるはずなの。
それをあんたに取り返してきてもらいたいわけ」
洋子さんの頼みを聞かなければならないような、とんでもない弱味を彼女に握られていただろうか。
もし、僕にそんな弱味があれば、十三貝さんとはもっと長く続いたかもしれない。
洋子さんが言うには、臆病だから自分ではとてもそんな恐いことはできそうにない、かといって古屋さんに頼めるようなことじゃない、ウマノスケに頼むのが筋かもしれないが今さら借りは作りたくない、僕ならすでに昨晩不法侵入の前科があることだし、ほかに信用できる人間がいない、とのことだった。
田代洋子という女は根本的に頭が悪い。
まったく理不尽な注文だ。
だれがそんなこと引き受ける?
他人のセックスの後始末なんて手前勝手な頼みを聞いてやるのは、救いようのない馬鹿だけだ。
そして、僕はその救いようのない馬鹿だ。
理由なんて訊かれても困る。
こういうことは大概引き受けてしまう。
カツなら「安手のハードボイルド的行動倫理」と鼻で笑うだろう。
でも、あいつだってきっと引き受ける。
うちの兄弟はそんなふうにできているんだからしかたがない。




