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5.だれのものでもない乳首(7)

 カツはシートに片足を上げると、ジーンズの上から膝をしきりに掻いた。

 集中すると身体のどこかが痒くなる。

 これは双子の兄にあって僕にない体質だった。

 カツは火のついていない煙草をくわえたまま、爪が剥がれてしまうんじゃないかと心配になるほど膝を掻きむしった。

 そして、魚の骨でも吐き出すみたいに言った。


「もう死んでるよ」

「どうかな? わからないさ」


「その女が死んでるのは」

 カツは食べ残したプリンをフォークで突ついた。

「こいつが鍋で茹でられた雌の小象じゃないのとおなじくらいたしかだね」

「それでもだよ」

 カツはだれを引用したのだろうと考えながら、僕は答えた。


「おまえ、おれに隠してることがあるだろ?」

「カツ、おまえもなにか隠してるだろ?」


 僕らは睨み合った。久しぶりに兄弟喧嘩かと拳を固めたとき、カツはぷいっと目をそらした。

 右手を上げて、今にも倒れそうなウェイターに、コーヒーのお替わりを頼んだ。


     ◆


 勘弁してくれよ、とカツがぼやいた。

 ぼやきたいのはこっちの方だった。

 プラトーと言ったのはカツの方だろう。

 どうして誘った方が金を持って出てこないんだ?


 カツがポケットから掴み出した所持金は総額七十六円だった。

 僕は一銭も持っていない。


「トモ、おれが財布を持つのを見たか。見なかったろう?」

「おまえがなにを持って家を出たかなんて見てるわけないだろう。

 ハンカチは持った?

 ティッシュペーパーは?

 ――なんて心配されたいのか、僕に?」


 カツは舌打ちした。


 財布を取りに家へ戻るのは論外だった。

 母はおそらく今日は仕事を休む。

 彼女の興奮が治まるまでアパートには近づけない。

 どんなに早くても昼までは無理だ。


 吉田のおじさん――マスターに借りるというのも、逃げ出す口実に使ってしまった手前ちょっと頼みづらい。


 残っている選択肢は一つしかない。

 二人ともテーブルに散らばった十円玉と一円玉を見たときからわかっていた。

 それは食逃げするよりほんの少しマシな選択だった。


「早くしないと間に合わなくなる」


 時計は八時を過ぎていた。

 時計の下にはぐったりしたウェイターが壁にもたれている。


「おまえが電話しろよ」

「なんで僕なんだ?」

「おれがかけると喧嘩になるって決まってるからな。あいつ、すぐ突っかかってきやがるしさ」

「すぐ喧嘩売るのはカツだって同じだろ。

 とにかくいいかげん決めようよ。

 僕はこいつを警察に持って行かなくちゃいけないし」


 乳首の入った封筒はテーブルの上に置かれたままだった。

 僕はどうにもそれをポケットへしまう気になれずにいた。


「ジャンケンだな」とカツは言った。


 まったくジャンケン好きな兄貴だ。

 どうしてこうも運任せにするんだろう。


 僕はテーブルの上へ腕を伸ばした。


 最初はグー、ジャン、ケン、ポンッ!


 僕はチョキで、カツはパーだった。

 人差し指を失くして以来、カツは左手を使っていたが、そのせいか彼の勝率は落ちているような気がする。


 カツは、ぐえっ、と言って十円玉を掴み取った。

 トイレのそばのピンク電話へ歩いて行く。

 その背中では青地に白くプリントされた鸚鵡たちが笑っていた。


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