5.だれのものでもない乳首(6)
――あの年、クリスマス・イヴの朝、僕は十三貝さんと会うために家を出るところを母に捕まった。
十三貝さんのことは家族に話していなかったが、彼女は母親の勘で、僕がデートに出かけると察したわけだ。
「あんたもそういう年頃なんだし、女の子とデートしちゃいけないなんて言うつもりはないわ。
でもね、あんたがそうやって女の子と知り合ったりデートしたりできるのは、カツが自分を犠牲にしているからだってことを忘れちゃ駄目よ。
いい? あの子の周りには薄汚い爺さんしかいないんだからね。
あんたが楽しむのは自由だけど、それをカツに言ったりしないでね。
女の子とつきあってることを悟られないようにしてちょうだい。
カツを傷つけたくないでしょう?」
母の僕の腕を強く握っていた。彼女は真剣だった。
「あんたたち童貞でしょ?」と母は言った。
なんとまあ、直截な。
それは母親に答えなければならないことなのかどうか、僕は悩んだ。
しかし、悩んで答えないこと自体、童貞だと告白しているようなものだった。
「抜け駆けしたっていいのよ、トモ。だけど、絶対カツにはばれないようにね。いい? わかった?」
童貞の僕はため息をついて家を出た。
あの朝以来、僕はずっと黙っている。
これもまた兄に対する引け目の一つ。
今さら言えやしない。
今言えば抜け駆けという事実よりも、むしろ哀れまれ知らされなかったことにカツのプライドは傷つくだろう。
「なんでクリスマスなんだ?」
当然出てくる質問だった。僕はできるだけさりげなく答えた。
「それが全然見当もつかないんだ」
カツは黙って僕を見つめていた。
「なんだよ。疑ってんの?」
「当たり前じゃん。理由もなく乳首なんか送ってくるかよ。その十三貝って女のにまちがいないか」
「ああ、警察の話じゃ彼女以外はみんな連絡がついたってことだからね。
たとえ十三貝さんの耳や乳首じゃないとしても、彼女が関係していることは絶対まちがいない」
「サークルとは関係ねえかもよ」
「それはないんじゃない?
今度のことで改めて考えてみたんだけどさ、自分でも意外だったのは僕の人間関係だよ。
こんなに狭いとはね。
情けない話だけどさ、女の子の知り合いなんてそう多くないんだ。
しかもこっちの住所まで知ってるとなると〈パブロフ〉の面子以外にはちょっと考えられない」
「それはこの乳首の持ち主のことか。
それともこれを送りつけてきたやつのことを言ってるのか」
「両方だよ」
「送ってきたのが女とは限らないだろ?」
「そりゃそうだけど、男だとしてもそんなに対象者の数が増えるわけじゃないんだな、これが。範囲は〈パブロフ〉に限定してかまわないだろう」
カツはアロハのポケットからロングピースを出した。
短い人差し指と普通の長さの中指の股に一本挟む。
しかし、なかなか火をつけない。
ひと口めを吸い込んだときの愉悦を先延ばしして期待感を増幅させているのだ。
カツが〈ヒャッケンメソッド〉と呼ぶ節煙法だった。
「いったいどういうことなんだよ?」
カツは怒ったように言った。
「気にかかることは二つあるんだ。
一つは十三貝さんは今どういう状態にあるのかってこと――
生きてるのか、死んでるのか、そういうことだね。
もう一つは今どこにいるのかってことだな」
「よお、それっておまえに関係あることか」
「当然だろ?
乳首は僕あてに郵送されてきたんだからね。
どんな理由があって僕なのかはわからないけど、わかってみればきっととんでもなく馬鹿馬鹿しい理由があるにちがいないんだ。
要は僕が理解できていないだけで、こいつを送ってきた人間の頭の中では僕と十三貝さんはなんだかものすごい関係で結ばれているわけだよ。
考えてもみてくれよ、いったいどんな種類の関係が人の耳や乳首を切断するような行為を引き起こすんだ?
原因にあるのは、たとえだれかの妄想なのだとしてもだよ、そんな妄想を生み出しちまった責任の一半は僕にもあると思わないか。
だから、僕は決めた」
「決めた?」
「ああ、十三貝さんを探し出す」




