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5.だれのものでもない乳首(1)

 家に着くと家族はみな眠っていた。


 僕はシャワーも浴びず、そのままカツの足の方に転がって眠ってしまった。

 明け方むうっと暑くて、夢うつつにシーツの冷たいところを探して転がっていると、小さい頃から寝相の悪い兄に頭を蹴とばされて眼が覚めた。


 五時前だったが暑くてもう眠れなかった。

 流しへ行き蛇口に口をつけて水を飲んだ。

 生温い水は重たく鉄錆の味がした。

 鼻血でも飲んでいるみたいだった。


 明かりをつけて春樹から借りた本を読んだ。

 登場人物のひとりが「情緒不安定な男ってこの世でいちばん嫌なもんの一つよね」と言っていた。

 それってカツじゃないか、と僕は声を殺して笑った。


 日が昇ったので明かりを消してお湯を沸かした。

 じきに両親が起き出す時間だった。

 カツはせっかくの夏休みだから寝坊するのだろう。

 本の続きに取りかかろうとテーブルに戻ったとき、そこにある封筒に気づいた。


 昨夜からずっと眼には入っていた。

 ただ、あまりにもさりげなくそこに置かれていたので、何年もそこに封筒は置いてあったような錯覚にとらわれていた。


 白い普通の封筒の宛名にはダイレクトメールのようにラベルが貼ってあった。

 宛名には僕の名前がプリントされていた。

 ラベルの右下に、五ミリ四方ほど、シールをはがしたような、繊維のけば立っている部分がある。

 裏を返してみたが、差出人の名はない。

 百二十円切手が貼ってある。

 封筒は中央部が盛り上がっていた。

 押すと柔らかく弾力がある。重くはない。


 僕は封を切らずに放り出した。

 なにが入っているのかわからない、というのは嘘だった。

 まただれかの(おそらくは十三貝さんの)身体の一部だろう。

 左耳じゃない――大きさも重さもちがう。


 開ける決心がつかない。

 封筒をテーブルに置いたまま睨んでいた。


 なぜ僕なんだ?


 いつ送られたのか気になって、消印を見ると、七月二日、とあった。

 大学近くの郵便局だった。

 そこからなら翌日には着くはずだ。

 昨日の配達では一日遅い。ただの遅配か。


 うちのアパートは遅配が珍しくない。

 同じ町内にうちと同名のマンションがあるせいだ。

 うちのアパートが先に建っていたから、本来ならマンションの方が名前を調整すべきだった。

 しかし、マンションを建てた不動産会社は自社マンション全部にその名を付けていた。

 会社名よりもマンション名の方が知名度も高い。

 名前を変えたら販売にも響くということで、不動産会社はゆずらなかった。


 同じ町内に同じ名前のアパートとマンション。

 貧乏アパートと区別するため、マンションは名前の最後に「スペリオール」とマンガ雑誌みたいなのをくっつけた。

 しかし、手紙の発信人がそんな事情など知るはずもない。

 たいてい「スペリオール」は略してしまう。

 結果、マンションあてのDMがうちのポストに入ったり、うちあての督促状がマンションの住人に届けられたりする。

 そういうときは郵便局に連絡して取りに来てもらわなくちゃいけないからけっこう面倒だ。

 億劫だと思えば、私信でもそのまま放っておかれることになる。


 この分厚い封筒も、いったんは「スペリオール」マンションへ誤配されたのかもしれなかった。

 そうだとすれば消印から一日遅いことにも不思議はない。

 マンションの住人がまちがえて開封したらどんなことになっていたか。

 それを考えると、ぞっとした。


「開けるしかねえじゃん」


 顔を上げるとカツが立っていた。


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