1.袋の中の耳(5)
――どういう悪戯だ?
あとから考えればまともな反応じゃない。
しかし、このときの僕はそれを悪戯だと判断したのだった。
だれがこんな悪趣味な悪戯をしたんだ?
警備員が校門を開けるのと同時に僕は構内に入った。
まっすぐサークル棟へやってきて、紙袋を見つけた。
七時半の開門から一、二分しか経っていなかったろう。
僕より前にはだれも校門を入らなかったから、耳は僕が来る直前に置かれたのではない。
だからといって前日のうちに置かれたことにもならない。
夜間部の授業が終了するのは午後九時。
九時半に閉門だが、理系学部では実験で徹夜をする人がいるし、夜中に塀を乗り越えて侵入するのは難しくない。
僕も酔っぱらってやったことがある。
プレハブ二階建ての西サークル棟には鍵がない。
警備員の巡回も西サークル棟の中までは入らない。
キャンパス内に三つあるサークル棟のうち西サークル棟だけは大学当局の不可侵区域になっている。
学生運動が盛んなりし石器時代の名残だとかいう話だが、本当かどうかはわからない。
とにかく、耳を僕のラックに置くチャンスは、だれにでも一晩中あったわけだ。
大学関係者に限定すらできない。
若菜の仕業だとはまったく考えなかった。
彼女とは幼なじみで、こんな悪戯ができないことはよくわかっていた。
だれかが僕のラックに耳を置いた。
昨日の昼間かもしれないし、夜かもしれない。
どちらにしても僕への悪意からだろう。
僕はだれかに恨まれていたっけ?
いったいだれがこんなとんでもないことをする?
可能性としては大学以外の人間もありえる。
しかし僕への悪意という点から考えれば、やはり大学内部の人間に限定されそうだ。
恨まれるような覚えはないとはいえ……。
自分でも知らないうちに敵を作っていたか。
あるいは、この悪戯に理由などなく、たまたま僕が対象となっただけか。
そんなふうに、うだうだと考えて二時間も〈パブロフ〉の部屋にいたわけだ。
その間に少しでもノートを写せばよかったのに――
後悔は僕の日課。
学生課応接室の低いテーブルに苛立ちながら僕はシャープペンシルを走らせた。
警察が来たら作業は中断しなければならない。
いつもなら一語一語意味を考え、楽しみながら写す。
それがほとんど殴り書きで機械的な筆写になっていた。
こんなことならコピーをとる方が利口だろう。
講義は〈第三の新人〉にさしかかったところだった。
この授業にはテキストがなかった。
毎回、課題になる小説が指示され、次回までにそれを読んでおかなければならない。
「課題:吉行淳之介『原色の街』」で、若菜のノートは終わっていた。
どうにか警察が現れるまでに写し終えられてほっとした。
すっかり汗をかいたコップを掴むと、僕はひと息に麦茶を飲み干した。
ノックがあって、学生課課長が二人の男と部屋に入ってきた。
生まれて初めて見る本物の刑事だ。
本物は一見した限り普通のおじさんとお兄さんでしかなかった。
二人とも半袖の白いワイシャツで、似たような紺色のネクタイを締めていた。
「彼です」と課長が言った。
僕はどうしたらいいかわからなかったので、とりあえず立ち上がっておじぎをした。
すると、向こうの二人もぺこりと頭を下げた。
警察手帳を出したりはしなかった。