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4.眼から隠すという露出(10)

 ノートの表紙に「DIARY」と気取らない字で書いてあるのは、すでに僕も見ていた。

 十三貝さんに日記をつける習慣があったのは知らなかった。

 日記をつけるイメージの人ではなかった。


 彼女の性格が几帳面さに欠けるというのではない。

 読書記録をつけているというのなら納得できた。

 そういう几帳面さだった。

 自分の行動を文字で記録するなんてことは愚昧な行為だと彼女は言っていなかっただろうか。

 しかし、あれは自己韜晦にすぎなかったのかもしれない。


 日記には僕とのことも書かれているだろうか。

 ノートの始めにある日付は二月だった。

 ノートにかぶさるように読んでいるちさとの肩越しにざっと見てみたが、どうやら今年に入ってからの記述だった。

 いつ始めたのかはわからないがこれが最初の一冊というのではないようだった。

 しかし、これ以前の日記帳は目につくところに見当たらなかった。

 僕は机の前を離れた。

 自分に関する記述がないことをたしかめただけでもう日記への興味は薄れた。


「うーん、これはどうなのかなあ、この村田って人とつきあってるんでしょうか」

「食事を奢ってもらったり、物を貰ったりしてるよね。

 でも好きだとか書いてないし、そういうことをうかがわせる記述もない」


 ミロクさんはすでに全ページに目を通していたようだ。


「馬鹿にしてるようなところもありますよね。

 ここには『自分が鈍いことにも気づかない鈍さ』なんて書いてありますよ」


「もう少し先に誕生日のことが書いてあるよ。

 彼女は村田さんから両手に抱えきれないほどの薔薇を貰ってる。

 そこを読んでごらん」


「あ、ほんとだ。えっ、でも、凄いこと書いてますよ、美奈子さん。

『自分が利用されていることもわからない頭の悪い男』だって。

 村田さん、カワイソー。こんなこと書かれてるなんて、本人は知らないんでしょうね」


「それはそうだろう。なにしろ彼は自分が鈍いことにも気づかないくらいに鈍い人間なんだからね」


「あははは、そうか。鈍いんだもんな。

 村田さん、鈍いからしかたないかって、あら、鈍いくせに、この人、外車乗ってますよ。

 アウディって外車でしょ?

 外車に乗ってるってことはお金持ちってことですか」


「小金持ちって程度じゃないかな。そんな大金持ちって感じではないでしょう」


「そうですね。

 この人、学生じゃないみたいだけどなにやってる人なんでしょうか。

 ただ鈍いだけじゃゴハン食べられませんよ、フツー。

 仕事はなにか、どこかに書いてありませんでした?」


「うん、それがどこにも書いてないんだよね。

 まあ、日記なんて他人に読ませるつもりで書いてるわけじゃないから、そんな説明なんていらないんだろうけど。

 平日に会ったりしてるところをみると自由業じゃないかな」


「もしかすると――」

 ちさとの声は妙に溌溂としていた。

「村田さんがチューリングかカインなんじゃないですかあ」


「……うん、その可能性は高いな」


 二人のはしゃぎっぷりが癇にさわった。

 たしかにその村田という男がチューリングかカインかもしれない。

 しかし、同時に十三貝さんの耳を切り取った人間かもしれない。


「あれー、美奈子さんたらもう内定取れてるじゃないですか。

 デパートですよ。トモさん、知ってました?」

「いや」

「水臭いですよねー。ひとことくらい報告があってもよくないですか。

 えー、わたしたちには黙ってて、村田さんには報告してますよ?」


 水臭くなどない。

 むしろ十三貝さんらしい。

 鈍い村田が妬ましくもない。


 僕はベッドを見ていた。

 十三貝さんのベッド。

 かつて僕がギシギシ鳴らしたこともあるベッド。


 出かける前に取り替えたらしく白いシーツには皺がなかった。

 枕の白いカバーも替えられたばかりのようで、長い毛の一本もついていなかった。

 足下の方にタオルケットが畳んだまま置かれていた。

 このベッドにはまだだれも寝たことがないかのようだった。

 僕がそこで汗を垂らしたという事実の痕跡は、どこにも見つけられない。


「ああーっ」


 ちさとがサカリのついた猫のような声をあげた。

 僕はベッドに自分はおろか十三貝さんの残像すら見出せないまま、彼女を振り返った。


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