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3.世界を分節する舌(11)

 さっきの話というのは右耳のことだった。

 暇なあまり、僕はマスターにまで話してしまった。


「サークル室に最後までいたのは堀井君とその腰巾着の春樹君だったよね。

 二人が帰ったのが六時頃、で、ほとんど入れちがいのように若菜がノートを持ってきた。

 でも、若菜は部屋の中には入らなかった。

 中は無人のようだったと言っているけど、ドアを開けて見たわけじゃないんだから、だれかが息をひそめて隠れていた可能性もないわけじゃない。

 本当に二人は帰ったのかな?

 嘘をついているとしたらどうだ?」


「それは二人が共犯だってこと?」


「そう、二人はほかにだれもいなくなるのを待って耳を置いて部屋を出ようとした。

 そこへちょうど若菜が来たんだ。

 二人は出るに出られなくなってじっとしていた。

 すぐに若菜は帰り、二人は若菜が置いていったノートに気づいた。

 もともと耳を入れた袋にはおまえあてのメモでもつけていたんだろう。

 でも、若菜がノートを残していったおかげでメモはいらなくなった。

 ノートと一緒に置いておけば確実におまえの手に渡るだろうからね」


 戸棚から小さな白いポットとセットの白いカップを出した。

 そのカップはかたちの良い乳房を想わせる。

 制服に使うような硬い感じの純白。

 抑圧された欲望を連想させ、よりエロティックだった。

 僕はカップの曲面に指を滑らせながら、マスターが言ったことを反芻してみた。


 ……納得できない。


「堀井たちの可能性はあるとしても、あいつらじゃなきゃいけない理由はないよ。

 大学構内なんて塀を乗り越えれば夜中でも入れるんだから。

 それに十三貝さんの耳をなんで僕に見つけさせなきゃいけないのかわからない。

 だいたいあいつらがなんで彼女の耳を切り落とすの?

 彼女を恨んでたとも思えないし……」


「その十三貝とかいう女の子だけど、耳は彼女のだって決まったわけ?」

「いや。でも、ほかにだれがいる?

 警察はサークルの女の子全員を当たったらしいし、それで確認が取れなかったのは彼女だけなんだよ」


「昨日の今日だろ。

 旅行に行ってるとか実家に帰ってるとか、偶然で連絡がつかなかった可能性は結構あるんじゃないか。

 あたしゃ、耳はその人のものでない方に賭けるよ」


 僕はフォートナム・メイソンの缶を開けたところだった。

 葉の中へティースプーンをざくっと突き刺して、マスターを見た。

 大きなくりくりとした眼は、白目が黄色く濁っていた。

 微笑っていたが、気休めを言っているのではなさそうだった。


「十三貝さんの耳じゃないなら、だれの耳なのさ?」

「トモの知らない女の耳なんだよ。

 おまえにはまったく関係のない女のだから、かえっておまえに見つけさせたんだ。

 警察がおまえの生活範囲から被害者を探している間は、絶対に耳の持ち主の身許は判明しないわけだよ」


 マスターは得意げだった。


 僕はヤカンの火をとめ、ポットとカップに熱湯を注いで温めた。

 冷蔵庫から牛乳を出した。

 計量カップに入れて電子レンジに突っ込んだ。


 他人事だよな。


 切断された耳は現実なのに、そして、耳を切断された人間がいることも現実なのに、マスターも〈パブロフ〉の連中もカツもそして僕自身までが、無責任に謎を語っている。

 まるで小説のように現実感が希薄だ。

 そこに〈隠された真実〉があるのだろうとわくわくしている。


「マスターの名推理に水を差すようで悪いんだけど、そりゃないんじゃないかなあ。

 だってさ、耳の持ち主の身許を隠しておきたいなら、僕だろうとほかのだれかだろうとわざわざ見つけさせる必要なんてないじゃない。

 隠しておけばいいんだよ。

 そうすればだれもその持ち主を探しゃしないんだからさ」


「ふん…………きっと理由があったんだろう」

「どんな?」

「さあてね。データが少なすぎるよ。今の段階じゃ、あたしにゃなんとも言えないねえ」


 右耳の一件はひとまずこれで終わりだった。

 僕らがぼんやりミルクティーを飲んでいると客が入ってきた。

 条件反射でマスターと声を合わせ「いらっしゃい」と言う。

 しかし、客をよく見て損をしたと思った。


 若菜とちさとだった。


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