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3.世界を分節する舌(4)

 古屋さんが人を殴るところは、相手が山口でなくても見てみたい気がした。

 著名な舞踏家を父に持つ古屋さんは、父親の実験動物として育てられたのだった。


 ワガノワやら藤間流やら、

 ヨガやらオイリュトミーやら、

 肥田式やら野口体操やら、

 大東流やら大射道教やら、

 肉体に関するメソッドならなんでもかんでも詰め込まれたらしい。


 二十年のゴチャマゼ肉体訓練の結果が今日の古屋さんだった。


 一般生活には過剰な筋肉で全身を覆い、

 刺激に先行して反応する反射神経を全身に張り巡らせ、

 少々発育不良のおつむには格闘技および舞踊の型が何百もプログラムされている――

 そういう存在になったわけだ。


「刑事はもう帰ってたのか」


「ううん。まだいたんですよ。

 なんか困ってましたね。

 一応とめに入ってましたけど、おかげでとばっちりをくっちゃって。

 まあ偶然なんですけど、山口さんの裏拳が見事に右眼に決まっちゃうし、もう、おかしかったスよ。

 アザができてましたからねえ」


 若菜が大喜びしそうな話だった。


「いろいろ訊かれた?」

「警察にですか」

「うん」


「ええ、まあひと通りは聞かれました。

 一昨日は何時に帰ったかとか、最後にサークル室に来たのはいつかだとか。

 最初はドキドキしてたんですけどね、そのうち飽きちゃって。

 事情聴取ってあまり面白いもんじゃないすね。

 古屋先輩が来てくれて良かったですよ。

 あの調子でずっと訊問を続けられちゃかなわないもんな。

 でも、トモさん、本当に耳を見つけたんですか」


「本物だったよ」

「すごいなあ」

「べつにすごくはなかったけどね」

「いえ、耳を見つけたことがですよ。結構感動もんじゃないスか、それって」


 春樹は本気で羨ましがっていた。

 頭悪りぃな、こいつ。

 しかし、他人事なのはなにも春樹だけじゃない。


「じゃあ、次に機会があればおまえに譲るよ」

「耳を発見するチャンスですか」

「そう。春樹を耳発見担当に任命してやる」

「やったー――って喜ぶようなことっすかね、それって」


「そこの馬鹿二人」と堀井が言った。


 馬鹿というのは僕と春樹のことらしい。

 見ると、堀井は舌が痺れたような顔をして僕らを睨んでいた。


「今はその話をしているんじゃないんだぜ」


 堀井に怒られて春樹はたちまち小さくなった。

 彼が堀井の態度に一喜一憂するのはいつものことだ。

 まるで飼い主の顔色を始終うかがっているお座敷犬。


 彼らの付き合いは中学にまで遡る。

 中部地方の中高一貫制の学校でも、二人は文芸部で先輩後輩の付き合いだった。

 今ではその関係も単なる先輩後輩にとどまらず、

 ドン・キホーテとサンチョ、

 銭形平二とガラッ八、

 ホームズとワトソンなみに、いつでもどこでも二人一組で現れる。

 堀井のデートに春樹がついていったというのは、実際冗談ではなかった。

 陰で僕らは、堀井は糞したあとも春樹に拭かせてるんじゃないか、と噂していた。


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